第59話 時間稼ぎ
普段はあまり身に着けない金属製の具足一式を、〈犬〉に手伝ってもらいながら身に着ける。
少し前の襲撃で岸から奪ったモノの内、俺の体格に丁度いいのを拝借したんである。
元が騎士の持ち物だっただけあって、丈夫さについては折り紙付きだ。
兜の方は金の斧で真っ二つになっていたので、別な騎士――こっちは胴を裂かれた――から奪ったモノを被っている。
おかげで外見が少しばかりちぐはぐだ。
「大丈夫ですかね?」
背中側の留め革を絞りながら、〈犬〉が不安げに言う。
「しょうがねえだろ。他にやりようがないんだから」
何はともあれ、夜――つまり姫様が脱出できる頃合い――までは時間を稼がなきゃならないのだ。
まともにやりあった場合、不可能とまではいわないがかなり分の悪い賭けになる。
「そうなんですがね。相手方は間違いなく手練れ揃いですぜ」
「どんなに強かろうが、一度だけならいけるさ」
ロバート親分がそうだったように、きちんと防具を着ている奴ほど俺の前では油断する。
相手がローズポート伯みたいな奴なら分からんが、多分あんなのはそうそう居ないはずだ。
そうでなくちゃ困る。
「……鎧同士の決闘なら、相手は間違いなく組打ちを狙ってくるでしょう。
腕だけはとられんように気を付けてください」
「任せとけ」
準備が整い、〈犬〉の忠告を背に受けながら門の前に立つ。
「開けまーす!」
「おう!」
ガラガラという重い鎖の音と共に門扉代わりの跳ね橋がゆっくりと下がっていく。
軽い衝撃と共に跳ね橋が接地したその先には、完全武装の騎士が一人、俺を待ち構えていた。
ピカピカに磨かれた小札鎧を身にまとい、その手には尖った方を下にした涙滴型の細長い盾と、切っ先が鋭く研がれた長剣を携えている。
背後には、先程ブレセンヌ公シャルルと名乗った男が向こう側の立会人としてついてきていた。
俺の後ろには〈犬〉がついてきている。
相手の騎士は手にした剣の切っ先をこちらに向けて名乗りを上げた。
「我はブレセンヌ公に仕える騎士ピエール! シェリアンの城主ジョフロワの子なり!
汝は何者なりや!」
こちらは斧を掲げて名乗り返す。
「我が名はジャック! ウェストモント公に仕え、この城の護りを任されたものだ!」
「相手にとって不足なし! 我が勝利した暁には、この城に捕らわれしご婦人と二人の子らをしかと解放していただく!」
「承知! 俺が勝利した暁には、明日の昼まで戦の始まりをお待ちいただく!」
「承知! この剣と我が主君ブレセンヌ公の名に懸けて、約定を守ることを誓う!」
「同じく! この斧と我が主君ウェストモント公の名に懸けて、約定を守ることを誓う!」
「いざ参らん!」
敵方の騎士が一歩踏み出し、跳ね橋に足をかける。
こちらも応じて門をくぐり、俺たちは跳ね橋の上で向かい合った。
何しろ小さな城の門であるから、せいぜい荷馬車が通れるほどの幅しかない。
当然回避や側面に回る余地はなく、泥臭い殴り合いになることが予想できる。
ある日の稽古の最中に、師匠が俺に問うたものだった。
『さてジャック殿、闘う上で貴方の最大の武器は何ですか?』
それに対し俺はこう答えた。
『フットワークでしょうか?』
先の決闘において、俺は身軽さを武器にあの若い騎士に勝利したんである。
ところが師匠は首を振って身も蓋もないことを口にした。
『いいえ、金の斧です』
なるほどもっともだった。
『貴方の金斧の前には、いかなる鎧も裸同然です。
あの武器を生かすのであれば、貴方は鎧を纏っての戦い方を覚えるべきでしょう。
そうすれば、敵の刃が通らぬうちに貴方は一方的に相手を切り刻むことができます』
ぐうの音も出ない程に合理的な見解である。
かくして、俺はこの冬の間、付け焼刃ながら装甲を纏っての戦い方についてみっちり稽古を受けてきたのである。
「うおおお!」
敵は盾に身を隠しながら気勢を上げて突っ込んでくる。
俺は姿勢を落として同じく盾を前に出し、衝撃に備える。
衝突の直前に俺は微かに重心を逸らした。
衝撃を受け流し、敵の体勢を崩すためだ。
ガシーン!
盾と盾がぶつかり重たい衝突音が耳を打つ。
が、手に伝わる振動は軽い。
相手もこちらが重心をずらしたのを読んで勢いを落としていた。
互いに盾と盾を合わせたまましばし押し合う。
力比べでは相手側の方が有利だ。
あの涙滴型の盾は上腕にベルトでがっちりと固定されている。
対するこちらは丸盾の中央についた取っ手を握りしめる形だ。
自在に動かす分には都合がいいが、押し合いとなるといささか力が入れにくい。
押し合いの合間に敵が盾の縁から剣を突き入れてくる。
それを俺は盾に隠れ、あるいは身をよじって躱していく。
俺は防戦に専念した。
迂闊に腕を出して投げられるのを警戒してのことだ。
俺が今一番警戒すべきは、敵の刃物ではなく体術である。
あの手の技をやられてしまえばせっかくの斧もクソもなくなる。
疑われない程度に鉄の斧でゴツゴツと叩いてみたが、当然の事、鎧には刃が立たない。
しばらくもみ合っているうちに、こちらの体勢が少しばかり崩れた。
それを好機と見たのか、相手は足を大きく踏み込んでこちらを圧倒しようと体重をかけてくる。
すかさず俺は手の斧を金に変えると、不用心に出てきた脚に横から振り下ろした。
奴はこちらの攻撃を気にも留めない。
彼の体は足の先までしっかりと甲冑に覆われており、この程度の攻撃は跳ね返せると思っているのだ。
それどころか、俺がいささか無理な姿勢で攻撃に出たのみてさらに体重をかけようと押し込んできた。
が、彼の足が体重を支えることは無く、そのまま派手にすっころんだ。
その顔には驚愕の色が浮かんでいる。
それでもそいつがとっさに剣を振り出してきたのを、俺は後ろに飛んで避ける。
重い甲冑のおかげで完全には躱せず、鋭い切っ先が脛甲に当たってキンと甲高い音を立てた。
敵はもう一度立ち上がろうともがいたが果たせず、その場に倒れ伏した。
俺は既に鉄に戻した斧を突き付けながら騎士に問う。
「降伏しろ」
「ぐっ……参った……」
騎士が負けを認めたのを受けて、背後から歓声が上がった。
振り返ってみれば、門の上から大勢の兄弟たちが戦いを見物していた。
ちゃんと見張りは残してあるんだろうな?
「見事な戦いだった」
前に視線を戻すと敵の指揮官であるシャルルがいた。
「約定通り、攻撃は明日の昼まで待とう。
この者の身柄はこちらで引き取ってもよろしいか」
「ああ、いいぜ」
ただでさえこれから忙しくなるってのに、捕虜の世話やら見張りやらにまで人手をとられたくない。
「感謝する」
そう言ってシャルルは騎士の足元に屈むと、手際よく鎧の足部分を外して傷口を縛り上げた。
それから怪我人に肩を貸しながら立たせると、こちらに向かって言った。
「この者の鎧と馬とは後程届けさせよう。
勝者の権利だ。受け取るがいい」
なんともまあ、律儀な事だ。
「そんなことより、約束は守ってくれよ」
俺の要求にシャルルは不敵に笑って応じる。
「神に誓って。
まあ待ったところで我々は有利になりこそすれ、不利になることは無い
明日には歩兵隊も到着しよう。
だが、断言してもいいがウェストモント公は来ないぞ」
「だからどうしたってんだ」
「つまらぬことを言ったな。許せ。
ではまた明日、次は城壁の上で会おう」
だが迂闊に「おう」等と言おうものなら本当に城壁の上まで招待しなきゃならなくなる。
だから俺は正直に思いを伝えた。
「二度と来んな!」
それを聞いたシャルルは大声で笑うと、こちらに背を向けて騎士を支えながら去っていった。
*
城内に戻り、今後について主だったメンツを集めて話し合った。
「ひとまず一日は稼いだぞ」
「流石はお頭です」
と、エルマー。
「油断はなりませんぜ、お頭。
ああ言ってこちらの気が緩んだところを襲うつもりかもしれません。
少なくとも、警戒はしっかりと続けるべきでしょう」
と、これは〈犬〉。
「だな。それでどうだ。
奴らが攻めてきたとして、実際の所どれぐらい持ちこたえられる?」
俺の問いに、〈犬〉が眉間にしわを寄せた。
「相手のやる気次第ですな。
幸い食料はたっぷりとあります。
奴らが損害を嫌って包囲戦をやるってんなら、半年だって戦えます。
食料よりも薪の心配をした方がいいでしょうな」
なるほど。
「問題は強襲された場合です。
こちらの戦力は六十人ばかり。
見たところ奴らの梯子は十本。
兵は具足を着込んだ騎士が五百。
城壁があるとはいえ、相当きわどい戦いになるでしょう」
〈犬〉に続いて弓組をまとめているウィルが口を開く。
「ひとまず、矢に関してだけは心配いりません。
倉庫には備蓄がたっぷりとありましたんで」
実に心強い限りだ。
続いて、柄杓組を率いるエルマーが口を開く。
こちらは少しばかり難しい顔をしている。
「あっしら柄杓組は少しばかり厳しいですな。
槍の手持ちは一人頭三本しかないもんで……。
お頭、また賭けをやって殿下が来るまで時間を稼ぐってわけにゃいきませんかね」
これには〈犬〉が答えた。
「難しいだろうな。
相手だって手練れはあいつ一人じゃねえだろう。
後二回もやれば確実にタネが割れる。
何ならもうバレててもおかしくない。
これ以上お頭だけを危険にゃ晒せねえ」
その言葉にエルマーはシュンとなったが、直ぐに気を取り直して言った。
「ま、まあ投げ槍が尽きたって、この柄杓でなら石だって投げられまさあ。
あっしらも最後まで戦い抜く覚悟でごぜえます」
言葉の方は威勢がいいが、顔つきは悲壮そのものだ。
「……なあ、〈犬〉よ。
殿下からの指示は『できる限り保持せよ』だったな?」
「はい、その通りで」
あの少年は実に気が利くな。
できないならやらなくていいってことだ。
俺の呪いも考慮に入れれば、出来る間は絶対に守り抜かねばならないことにもなるが。
「こうなったら開城も視野に入れるほかないな」
「俺達に奴隷になれってことですかい?」
ウィルが鼻白んだ。
「そうじゃねえ。あくまで最後の手段だ。
まずは夜を待って姫様を脱出させる。これはいいな?」
全員が頷いた。
「姫様にはウェストモント公の援軍を呼んできて貰うよう頼んでおく。
そうして、援軍が来るのを待つんだ」
これを聞いてエルマーの顔がパッと輝いた。
単純な奴だ。
ウィルが難しい顔で口を開く。
「万が一、殿下が来る前に敵の攻撃が始まったらどうします?」
「返り討ちにしてやる。
まあ、一度ぐらいなら何とかなるんだ。
それで痛い目を見たら、敵も考えを改めるかもしれん。
敵が手出しを控えてくれりゃあ、あとは殿下が来るのを待つばかりだ」
ウィルはまだ疑わしそうな顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
聞くだけ無駄だというのも分かっているんだろう。
「よし、それじゃあ方針は決まったな。
よろしく頼むぞ」
「へい!」
エルマーとウィルは威勢良く返事をして配置に戻っていった。
後に残った〈犬〉がボソリと言う。
「本当にウェストモント公が来るとお考えで?」
「……シャルルとかいう奴の言うことが本当なら、来ないな」
そして、あれが嘘なら殿下の軍勢はもう姿を現しているはずなのだ。
当然、〈犬〉だってそれぐらいわかっているだろう。
「まずは一戦だ。
できる限り奴らに出血を強いるぞ。
それでもまだ奴らがやる気だってんなら、諦めて開城するとしようか。
全員の無害退去が引き出せれば上々だな。
交渉はお前の仕事になる。よろしく頼むぞ」
「へえ、お任せを」
*
晩になって、姫様を船着き場への出入り口前に呼び出した。
「脱出していただきます」
「嫌よ」
まったく予想通りの回答だ。
既に状況は伝えてあるにもかかわらずこれなんである。
「ステフは必ず来るわ。
だったら、ここを出るほうがよっぽど危険よ」
なるほど、一応理屈らしきものは用意しているらしい。
〈犬〉が片膝をつきながら姫様を諭す。
「しかしながら殿下、ウェストモント公は北に向かって移動中との情報もございます。
これが事実であった場合、私どもは全滅する他はありません。
ですから、備える必要があります。
どうかウェストモント公のもとに赴き、事実を確認し、事実であったならば公を説得し、軍勢を呼び戻してください。
これは殿下にしかなしえぬ仕事にございます」
「私がここに残って、他の人がそのことをステフに伝えたほうがいいんじゃない?
私がいると分かれば、絶対に助けに来るわ」
〈犬〉は首を横に振った。
「もし、公が真に玉座にふさわしいお方ならば、そうはなさらないでしょう。
身内可愛さに味方全部を危険にさらすような奴に、誰が自分や手下の命を預けようって気になりますか?」
「その理屈じゃ、私が行ったって同じことじゃない」
「さっきのは何もしなければの話です。
誰かが公やその配下の者に、この城を守ることに利があると信じさせれば別でさあ」
「……この城にそんな価値はないわ」
「それを口八丁であると信じさせるのが使者の腕の見せ所で。
王族や貴族様たちを相手に回してそれができるなんてのは他でもない。
殿下、貴女だけです」
姫様は反論できずに唇を噛んだ。
が、その表情はまだ不服そうなままだったので俺も口を挟む。
「姫様、前にも言ったが俺達はあんたに何もかも全部を賭けてるんだ。
それこそ、命までもな。
こんなところで死なれちゃ困る」
「で、でもだからって、貴方達だって死んでしまえば終りでしょう?」
「必ず死ぬわけじゃない。
最悪、どうにもならなくなったら降伏すりゃいい。
捕虜になったって、姫様さえ無事なら買い戻してもらうこともできる。
だが、姫様も一緒に捕まったらそれもしてもらえない」
スティーブン殿下の財布だって有限なのだ。
俺達みたいな雑兵を買い戻してもらうには姫様の後押しがいる。
「……分かったわ。
安全に関わることについては貴方の指示に従う約束だったものね。
それで、どうやって脱出すればいいの?」
「船着き場に河舟が一艘残っている。
そいつで脱出してもらう。
おい、エルマー!」
俺が呼び掛けると、エルマー達三人組が姿を現した。
それから、
「この〈獺〉は元は河漁師で船の扱いがうまい。
夜の闇に乗じて一気に川下まで運んでくれる。
護衛にはエルマー達三人をつける」
姫様はエルマーから一歩下がったところにいるビルとセシルに目をやったあと、少しばかり不安そうな顔をした。
「大丈夫なの?」
姫様の心配はもっともではある。
エルマーはともかく、後の二人は戦闘で当てになるタイプではない。
それでもだ。
「その三人は、俺が一番信頼している仲間だ。
こいつらなら何があろうと姫様を裏切らないし、見捨てない」
必要とあらば、丸腰で盗賊に啖呵を切ることができる奴らなのだ。
大事なものを預けるなら、こいつら以外には考えられない。
「……貴方が言うなら信じるわ。
それじゃあ、よろしくね」
「へ、へえ!」
「お任せ下せえよー!」
それから、もう一度俺の方を見て。
「ジャック、一つだけ約束して。
私が戻ってくるまで、かならず生きているって」
俺はわざとヘラヘラ笑いながら答えた。
「殿下、そいつはご勘弁を。
そんな約束をして万が一流れ矢にでも当たったら、死んだ上に呪いで地獄行きだ。
踏んだり蹴ったりじゃないか」
そんな俺に姫様は呆れたように言う。
「女の子に気休めの一つも言えないなんて、難儀な呪いね」
〈獺〉が空を見上げながら割り込んできた。
「見て下せえ、もうじき月が雲に隠れます。
暗くなったらすぐに出ましょう。
また月が出る前に、出来るだけ距離を稼いでおかにゃなりません」
俺達は無言で頷き合った。
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