第58話 王弟シャルル
「おい! 全員配置に付け! 敵だ!」
〈犬〉の叫びに俺は耳を疑った。
なんで敵が北から来るんだ?
「どういうことだ?
スティーブン殿下が勝ったんじゃないのかよ」
「アンディカ伯の軍勢じゃあありません。
青地に蒲公英ですから、パリシアの王族です。
遠目なんではっきりとは言えませんが恐らく、王弟のブレセンヌ公の兵かと」
「さっぱりわからん。だからどういうことだ」
「つまり、パリシア王の軍勢がこっちに来てるってことです」
ますますわからない。
パリシア王の軍勢はウッツ市でこちらの王軍と対峙しているはずだ。
「それが何でこんなところにいるんだ」
「分かりません。
援軍として一部を派遣してきただけであればいいんですが……。
全軍がこちらに来ているとなると厄介です。
なにせパリシア王の軍勢はウェストモント軍よりもだいぶ数が多いですからね。
その場合、当分の間救援は期待できません」
クソが。
「姫様を呼んで来い。脱出させる」
「もう無理です。
丸見えですからね。少なくとも夜を待たないとすぐ捕捉されちまいます」
反応が遅れたのがつくづく悔やまれる。
全て俺の油断が招いた事態だ。
「……さて、どうしたものかね」
「ひとまずは守りを固めてウェストモント公を待ちましょう」
殿下が順調に行軍しているのであれば、明日にも姿を現したっておかしくない。
そうとも、勝利は目前なのだ。
目前ではあるのだが、今は敵の軍勢が粛々と布陣していくのを指をくわえて見守るしかなった。
主塔にいても大したことはできないので、俺は〈犬〉と連れ立ってさほど大きくもない門塔へと移動した。
こちらの方が敵がよく見えるからだ。
敵の数は五百ばかり。
どいつもこいつも立派な鎧を着こんだ騎士たちに見える。
整然と隊列を整えていく様子からすると、戦闘技能も間違いなく高い。
「おい、どうみる?」
俺は〈犬〉に見立てを聞いてみた。
「まともにやれば勝ち目はありませんね」
ですが、と彼は続けた。
「一方で、歩兵や荷車は見当たりません。
おそらく、騎兵のみを分離し、一足先に送り込んできたんでしょう。
荷車がないってこたあ、大型の攻城兵器はおろか梯子や破城槌だってないはずです。
そいつらが追い付いてくるまではまあ何とか持つかと」
「どれぐらいだ?」
「別行動させるったってあまりに離れさせることはないはずです。
かといって、ほとんど離れないんじゃわざわざ別行動させる利点がありません。
最低でも一晩、遅ければ二日程度でしょうかね」
なるほど。
夜まで持たせられれば、最低限姫様だけでも脱出させられるだろう。
「ところでおい、ありゃなんだ」
俺は布陣を進める敵のやや後方で、何やら作業をしている一団を指さした。
〈犬〉は身を乗り出してそれを確かめると、うめき声をあげた。
「……梯子ですな。
騎兵が荷車なしで持ち運べるよう、組み立て式にしたものでしょう」
この城の城壁は極めて貧弱だ。
高さからして大したことがないのに加え、塔のような張り出し設備がない。
これでは、敵が梯子をかけてきた場合にそれを横射ちすることすら満足にできない。
盾を構えた装甲兵であれば、容易に梯子を登りきるだろう。
「……降伏した場合はどうなる?」
「騎士様や郷士ならともかく、私どもの様な雑兵は奴隷として鉱山か、あるいはどこか遠くに売られて終いですな。
そうなった奴が無事に戻ってきたって話は聞いたことがございません。
あるいは国においてきた財産で十人ぐらいは買い戻せるかもしれませんがね。
姫様は……まあ高くつくでしょう。
最悪、我らがエリック王は身代金の支払いを拒否する可能性もあります」
我らが姫様は、現在のウェンランド王であるエリックから、スティーブン殿下のもとへ王位を取り戻そうとしているのである。
エリック王にしてみれば邪魔なことこの上ない相手であり、これ幸いと始末しにかかる可能性は十分にあった。
そうこうしているうちに、敵は布陣を終えたようだった。
もちろん、弓や槍が届くような距離じゃない。
主力はこちらの門を遠巻きに囲うように布陣しているが、川向うにも少数ながら見張りが配されている。
奴らの目を盗んで部隊丸ごと脱出するのは困難だろう。
敵の中から、ピカピカと輝くひときわ目立つ鎧を着た騎士が出てきた。
恐らくは軍使だろう。
そいつは、門のすぐ前まで来ると兜を脱いでこちらを見上げた。
それを見たウィルが、矢柄を弦にあてながら言った。
「射ちますかい?」
「やめろ」
認めたくはないが、この先は降伏も選択肢に入ってくる。
むやみに使者を射てば悪影響が出る。
「我が名はシャルル。先代パリシア王の息子にしてブレセンヌ公爵である!
この城の現在の守将は誰であるか!」
思わず俺は〈犬〉と顔を見合わせた。
軍勢は〈犬〉の見立て通りではあったが、王族がこんな小勢を率いてこんな場所まで来ているとは。
ともかく、呼ばれたからには名乗り出ねばならない。
俺は胸壁の間から身を乗り出して応じた。
「我が名は〈木こりのジャック〉!
ウェストモント公に仕え、この城の守備を任されている!
パリシア王の軍勢が我々にいったい何の用か!」
「木こり? 騎士ではないのか!」
「如何にも! 生まれついての下賤の身だ!
相手にとって不足と思われるなら他所を当たられよ!」
これはまったくの本心だった。
本当にどこか他所へ行ってくれないだろうか?
しかし、あいにくと相手にその気はないようだった。
「面白いことを申す男だ!
だがご安心召されい!
このシャルル、能のある者ならば身分の軽重は問わぬ!
敵であればなおのこと!
全身全霊をもってお相手いたす!」
勘弁してくれ。王族ってのはあれだ、もっと身分の上下に厳しくあるべきだろう。
うちの姫様なんぞ……ダメだ、あの姫様は参考にならない。
「さて、ジャックとやら!
命が惜しければ直ちに武器を置き、門を開くがよい!
大人しく城を開け渡せば、命だけは保証してやろう」
なかなか魅力的な提案だが、受けるわけにはいかないんである。
「我々はウェストモント公よりこの城を保持するよう仰せつかっている。
殿下も間もなく到着なさる頃合いだろう。
貴殿らこそ、殿下が到着なさる前に逃げ出してはいかがか!」
少なくとも、これまでの情報通りならそのはずなのだ。
だが、相手の表情は微塵も揺らがなかった。
「ウェストモント公を頼みとしているなら無駄だぞ、ジャックとやら。
公の軍勢は北へと一目散に退却中だ。
もはや援軍はない。大人しく開城するがいい」
隣で〈犬〉が小さく呻くのが聞こえた。
周囲の兄弟たちが酷く動揺している気配も。
マズイな。
俺は彼らの動揺を鎮めるため勢いよく啖呵を切る。
「俺達を騙そうたってそうはいかないぞ!
どうしてもこの城が欲しいってんなら力づくで奪ってみやがれ!
全力で相手してやらあ!」
「おうとも! お前らが何人でかかってこようと皆殺しだ!
おい! お前らもなんか言ってやれ!」
〈犬〉が応えて気炎を上げ、兄弟たちがおっかなびっくりそれに追従する。
「そ、そうだ、そうだ!
やってやらあ!」
「よくぞ言った! それでこそ戦いがいがあるというもの!
だが、こちらにも準備があるのでな。
しばし待たれよ。
貴殿らも、今のうちに最後の食事でも楽しんでおくがよい」
そう言ってシャルルはこちらにくるりと背を向けた。
準備というのはあの組み立て式の梯子の事で間違いないだろう。
みたところ、数は十本。
この城壁にかけるのに必要な長さから考えて、組みあがるのにそう時間はかからないはずだ。
少なくとも夜までは持つまい。
「待て!」
俺はシャルルを呼び止めた。
「なんだ、降伏する気になったか?」
冗談じゃない。
だが、このままコイツを帰してしまうのはまずい。
こうなったら一か八かだ。
「そっちの準備が終わるのをただのんびり待つのも退屈だ。
一つ、余興に賭けでもしようじゃないか」
シャルルが振り返ってニヤリと笑う。
「ほう、いったい何を賭けるつもりだ?」
いいぞ、ノッてきやがったな。
「そっちの一番強い奴を出して俺と一騎打ちだ。
もし俺が勝ったら、そうだな、攻撃を明日の昼まで待ってもらおうか」
「ウェストモント公は来ぬと言っただろうに。
まあよい、それでそちらが負けたらどうしてくれるのだ?
大人しく城を明け渡すか?」
「余興だって言ったろうが。
そこまで要求するなら、こっちだってアンタらに退去を求めるぜ。
そうだな、俺達は城主の奥方と子供たちを預かっている。
そっちが勝てば、これを解放するってのはどうだ?」
「なに、ド・ミュール夫人はご無事か」
「もちろんご無事さ。
さて、どうする?」
「よろしい、ご婦人がために戦うは騎士の誉!
もちろん受けて立つとしよう!」
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