第54話 ミュール城
俺達はジェラルド達から兵糧の提供を受けた後、先鋒部隊の野営地を離れ再び敵地へ向かって南下を開始した。
これまでに手に入れた戦利品は先鋒部隊に預けている。
ジェラルドは信用の置けない男だが、ヒューバート殿が名誉にかけてというのなら安心だ。
ちなみにジェラルド達はこのままここで敵を待ち受け、後方の殿下率いる本隊まで敵主力を誘導するらしい。
一方、俺達がスティーブン殿下から受った新しい指令は「敵軍の背後に回り込んで敵城を奪取せよという」ほとんど死んで来いと言われたも同然の代物だった。
にもかかわらず、姫様はまったく楽観的である。
「大丈夫よ。ステフがそんなに無茶な命令を出すわけないじゃない。
きっと、ほとんど空っぽだとか、そういう情報があったのよ」
「そうだといいんだけどな。
普通なら敵の背後に回り込むってだけでも十分危険なんだぞ」
「それだけステフが高く買ってくれているってことよ。
実際、貴方達ならそれぐらい問題なくできるでしょ?」
まったく。
あの王子様が世間に流布する与太話を無邪気に信じてなければいいんだが。
なにしろ一番ひどい奴になると、俺がオクスレイ城を丸ごと真っ二つにぶった切ったことになっているのだ。
なるほど、そんな真似ができるなら城の一つも楽勝で落とせるかもしれないが。
「まあ、割のいい仕事だってのは確かですよ、お頭」
と〈犬〉が話に割り込んでくる。
「なにしろ、『偵察し、可能であれば』って但し書きがついてましたからね。
無理そうなら引き返しちまえばいい。
それでいて、万が一奪取できればとんでもない大手柄ですよ」
「大手柄ねえ。そんなにすごい城なのか?」
「城自体は大したモンじゃありません。
問題は場所ですよ。
敵から見れば、街道沿いでは決戦場の最寄りの城ですからね。
敗走した場合には、立て直しのための集結地点として頼みとする場所です。
逆に言えば、決戦前にここを私らが抑えちまえば、負けた時に敵は散り散りに逃げる他ありません。
殿下の手紙にあった『勝利を確実なものとするため』とはそう言った意味でして。
そうなりゃ、一番手柄とまではいわないまでも、全軍の前で感状を貰えるぐらいにはなりますよ」
「それにしたってスティーブン殿下が勝てばの話だろ。
仮に城を落としたところで、殿下が負けりゃ俺達は敵地の真っただ中に置き去りだ」
「勝つわよ」
姫様は殿下の勝利を欠片も疑ってないらしい。
なんだこの無根拠な信頼は。
「そこまで強そうには見えなかったけどな」
スティーブン殿下についてはむしろひ弱そうな印象すらある。
まあ、師匠みたいなのもいるから油断は禁物だが、それにしたって彼はあまりにも若い。
子供と言ってもいいぐらいだ。
「戦争と決闘は違うのよジャック。
軍勢を率いての戦では賢い方が勝つわ。
そしてあの子はとっても賢いんだから!」
理屈の問題ではなさそうなので俺は話を打ち切ることにした。
「……殿下がそうおっしゃるのであれば、その通りかと」
「分かればいいのよ」
姫様は得意げである。
そんな俺たちのやり取りを見て〈犬〉が肩をすくめた。
「どの道やれと言われりゃ、やらなきゃならんでしょう。
お頭の呪い云々を抜きにしても、私らは殿下に全賭けしてるんですから」
「まあ、な」
姫様のためにはこれが必要なのだ。
なにより、俺だって名声やらなんやらに興味がないわけじゃない。
〈犬〉が俺の肩を叩いて慰めるように言う。
「どうにもならないってんなら、せめて楽しくやりましょうや」
「しゃあねえなあ」
そう答えて、俺は少しばかり面白くなってしまった。
〈犬〉が突然ニヤニヤと笑いだした俺を見て怪訝そうな顔をする。
「突然どうしたんで?」
「いやなに、仕方ないで城を落とされたんじゃ、奴らもたまらないだろうと思ってさ」
「ハハ、そりゃ違いない。
それじゃあ失礼のないよう、せいぜいやる気を出すと致しましょうかね」
*
「あれがミュール城か」
「はい、間違いありません」
遠目に見る限り、確かに貧相な城ではあった。
川沿いにあるのはかつて襲ったオクスレイ城と同じだ。
川と言っても大河とはいいがたく、小舟が浮かべられる程度の小さな川だ。
その川を背に小ぶりな主塔が建っており、それを囲むように半月型の城壁が巡らされている。
が、その城壁も高さは俺の背の三倍に足りない程度で、〈犬〉が「張りぼて」と評したオクスレイ城のそれよりもさらに頼りない。
川から水を引いているはずの堀は深さが足りないのかあるいは単に川の水かさが減っているのか、ところどころ泥が顔をのぞかせている。
まあ、貧相とはいってもあくまで他の城と比べてと言うだけの話だ。
ざっと見た限り守備兵も百人はいる。
戦時下だけあって、見張りに立つ守備兵たちにも弛んだ様子は見られない。
正面から襲っても七十人ばかりで容易く奪えるような代物ではないだろう。
「前のようにはできないの?
えーっと、確かトイレから忍び込んだのよね?」
と、一緒に城を覗きに来た姫様が言う。
俺としては森の奥で大人しくしててほしいんだが。
「あれは〈梟〉が引っ張り上げてくれたから出来たんだ。
中からの手引きなしじゃあ、普通に城壁を登るのと変わらない。
見張りが手薄になってるんでなけりゃ、すぐに見つかっちまう」
「ああ、なるほどね。
じゃあ中に入れさえすれば何とかなるの?」
姫様の疑問に今度は〈犬〉が答える。
「確かに、侵入さえできれば色々とやりようも出てきます。
まあ、そこが一番難しいところなんですがね」
姫様は、前のめりになって城を睨みつけている。
その時、城の跳ね橋が降ろされて荷馬車の列が入っていった。
護衛の兵士がついていることから、後方から兵糧を運んできた輸送隊か徴発隊だろう。
姫様がそれを指さして言う。
「あれはどうかしら?」
「あれっていうと、あの輸送隊か?」
「ええ、そうよ。
あれだけってことはないでしょう。
城から離れたところでああいう荷車を襲って、入れ替わるの。
それで荷物の中にも仲間を隠しておけば、結構な人数を中に送り込めるんじゃないかしら?」
姫様も随分と発想が物騒になってきたなあ。
やっぱり戦場に連れてきたのは間違いだったんだろうか?
「殿下、そいつはさすがに無理かと」
と、〈犬〉が渋い顔で言う。
「奴らだって見知らぬ顔をホイホイと中に入れるほど甘くはないでしょう。
最悪、その場で戦闘になりかねません」
「じゃあ、よく知らない人が運んできてもおかしくない状況を作ればいいってことね?」
「そりゃまあ、それができるんなら……」
〈犬〉が完全に否定しなかったので、姫様はにんまりと笑った。
「ねえ、マーサ。近くに大きな女子修道院があったはずよね?」
「はい、姫様。聖マルシー修道院でございますね。
私も一時期身を寄せていたことがございました」
「ジャック、私にいい考えがあるんだけど」
何を考えたのかは知らないが、その表情があまりに楽しそうだったので、俺は説得を諦めた。
*
そうしたわけで、俺達は酒樽に詰め込まれた上で馬の背に載せられてしまった。
馬は五頭。その背にはそれぞれ樽が二つずつ。
そのうち一つは本当に酒が入っているから、今回の潜入メンバーは都合九人となる。
いずれも〈犬〉が選び抜いた我が一党の精鋭だ。
もちろん、俺と〈犬〉はこの樽の中にいる。
その馬を引いて先頭に立つのが我らが姫様と師匠である。
当然のこと、修行中の尼僧の格好をしている。
それから馬一頭につき一人ずつの兄弟達。
こちらは運搬のために雇われた人足たちといったていで、兄弟たちの内からなるべく警戒されなさそうな面の連中を選んだ。
アンディカ伯の命令を受け、先程名前の挙がった女子修道院からワインを献上しに来た、と言うのが姫様が用意した筋書きである。
樽の乗り心地は最悪だった。
身動きが取れないというだけでも耐えがたいのに、一歩ごとにゆっさゆっさと揺すられるのだ。
しまいには上下の区別すら曖昧になってくる有様。
こんなんだったら、真正面からあの城に切り込んだ方がましだったんじゃなかろうか。
そんな愚にもつかないことを考え始めた頃に、突然揺れが止まった。
樽の外で、姫様が大きな声をあげる。
「お頼み申し上げます!
マルシー女子修道院より、アンディカ伯への献上品を持参してまいりました!
どうか、橋を降ろして私どもを囲いの内へお招きいただけないでしょうか!」
どうやら城に着いたらしい。
さて、姫様のお手並み拝見だ。
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