第53話 歓待

 ホースヤード伯のドラ息子ことジェラルド率いる先陣部隊の野営地は、見晴らしの良い、なだらかな丘のてっぺんに設営されていた。

 この野営地も、ローズポートで見た時と同じようにその周囲には簡素ながら堀と土塁で囲われ、土塁の上には柵まで備えられていた。

 以前見た時にも思ったが、これをやるにはなかなかの労力が必要になるはずだ。

 もしかして彼らは、行軍中の一夜限りの野営地に毎度これを施しているのだろうか?

 ジェラルドの奴がそんなマメな性格とは思えないが、あのホースヤード伯であればいかにもやりそうではある。


 その柵の内側からは炊事の煙がいくつも上がっており、旨そうな匂いが丘の麓まで漂ってきた。

 見つかることを恐れず、堂々と火を焚けるのは素直に羨ましい。


「申し訳ないが、全員を柵の内にお泊めするわけにはまいらぬ。

 貴殿らにはあのあたりに天幕を立てていただきたい。

 食事については温かい物を全員分運ばせるので、それでご容赦を」


 そう言って、老騎士は丘を少しばかりくだったあたりを指さした。

 確かに柵の内側には天幕が整然、かつぎっしりと並んでいる。

 あれでは俺たちが追加で天幕を張る余地はあるまい。

 まあ、あの大軍勢のすぐ近くであればもはや敵の小勢にちょっかいをかけられることもないだろう。

 見張りを怠るのは論外にせよ、兄弟たちも久々にゆっくりと体を休めることができそうだ。


 それから、俺と〈犬〉の二人が改めてジェラルドの天幕へと招待された。

 情報交換を兼ねて共に食卓を囲みたい、とのことである。

 正直な所あんなやつとは顔を合わせたくないのだが、断っても角が立つし、なによりこの老騎士の顔を潰すことにもなる。

 仕方がないので笑顔で応諾し、兄弟たちに野営地の設営を任せてジェラルドのもとへと向かう。


 俺は野営地の真ん中にある一番大きな天幕に案内された。

 その中ではコの字型に机が配された机に、ジェラルドを始めとした十人ばかりの騎士たちが席に着き俺たちを待っていた。

 ヒューバート殿が俺たちをジェラルドの前に連れて行き、膝をついた。

 俺と〈犬〉もそれに倣う。


「お待たせしました、若殿。

 傭兵隊長のジャック殿をお連れしました」


「なんだ生きていたのか」


 これが俺に対するジェラルドの第一声であった。


「若――」


 ヒューバート殿が彼を嗜めようと口を開いたが、ジェラルドはシッシとばかりに手を振ってそれを遮った。


「てっきり敵にやられて盗賊として晒し首にされているものとばかり思っていたが」


 まったくたいそうなご挨拶だが、俺とて似たようなことを考えているのだからおあいこだろう。

 俺は彼の言葉を無視して感謝の言葉を述べた。


「お久しぶりにございます。ジェラルド様。

 この度は晩餐にお招きいただき光栄にございます」


 俺が礼を失しないようできるだけ平静を装いながら応じた。

 ちなみに、この手の定型の挨拶には嘘が適用されないのは確認済みだから安心だ。

 遅く起きて「おはよう」などと言っても問題は起きないんである。

 彼はそんな俺の態度を見てつまらなそうに鼻を鳴らした。


「腰抜けめ。言い返すこともできないのか」


 こうまで言われては、何も言わぬのはかえって失礼に当たるのではないか?

 が、チラリとヒューバート殿に視線をやってみれば酷く気をもんだ様子で事の成り行きを見守っている。

 俺を招いてくれた彼の顔を潰すわけにもいくまい。

 大人しくいこう。

 俺は改めてジェラルドに頭を下げながら言った。


「申し訳ありません。

 食事をお恵み頂く身でありながら、座の主人に悪口を申すなどという失礼を為すわけにはまいりませぬ」


 そうしてから顔を上げ、ジェラルドに向けてにやりと笑って見せた。


「ですが、いつかジェラルド様を我らが晩餐にお招きし、

 此度のおもてなしの返礼をさせて頂きたいと考えております」


 俺の意図は正しく伝わり、ジェラルドの顔にさっと朱がさした。

 なるほど、まったくの馬鹿ではないらしい。


「どうせ貴様らはブタの餌でも食っているのだろう!

 そんな晩餐に招かれるなど真っ平だ!」


 おっと、これは思っていた以上に直接的な侮辱が飛んできたぞ。

 さてどう出て見せるべきか――


「若!!!」


 突然の怒声に思考が中断された。

 発したのは当然、ヒューバート殿である。


「いい加減になさい!

 今すぐジャック殿に謝罪するのです!」


「いったいお前は誰に仕えているのだ!

 この俺だろう!

 それがよりにもよって下賤の者に謝れだと?

 ふざけるのもたいがいにしろ!」


「下々の出であろうとも、今は私の客人にございます。

 しかるべき礼を求めるのは当然にございましょう。

 なにより、これは若様のことを思っての忠言でございます。

 いつまでもそのように振る舞われていては――」


「黙れ黙れ! 不愉快だ!

 お前の客だというならお前がもてなすがいい!

 付き合ってられん!」

 

 ジェフりーは勢いよく席を立つと自身の椅子を蹴倒し、足取りでも荒々しく天幕から出て行った。

 その背を見送ってから、ヒューバート殿が小さくため息をついた。


「重ね重ね申し訳ない、ジャック殿」


「いえ、お気になさらず」


「そう言っていただけるとありがたい。

 どうぞこちらへ」


 老騎士に勧められるまま、末席に用意されていた椅子に腰を下ろす。

 すると隣の席の中年騎士が俺に話しかけてきた。


「イアンと申す。お見知りおきを、ジャック殿」


「こちらこそよろしくお願いします」


 差し出された手を握り返しながら応じると、彼はウィンクしながら言った。


「ところでジャック殿、一つ頼みがあるのだが」


「なんでしょう?」


「もし本当に若様をお招きするような機会があれば、その時はぜひとも私も一緒に招いて欲しいのだ」


「それはいいですが……大したおもてなしはできませんよ?」


「構わん。そなたが若様に返礼するところを見られるならな。

 それだけで十分なもてなしになる。

 なんなら、本当にブタの餌を出してくれてもいい。

 若様がそれを食わされるところが見られるなら、私も喜んで食おう」


 それを聞いて残った騎士たちがどっと笑った。

 どうも、ジェラルドの奴はよほど嫌われているらしい。


「これイアン、つまらぬ戯言はよさぬか」


 ヒューバート殿が苦々しげに言う。

 少しばかり場の空気がすさむ中、〈犬〉がヘラヘラと笑いながら提案した。


「さっさと食事にいたしましょう。腹が減ると気が立っていけません」


「……む、いかにもその通りですな。

 おい、配膳を始めろ!」


 ヒューバート殿の合図で、天幕の外からぞろぞろと料理が運ばれてきた。

 暖かいスープに、香ばしく焼かれた肉。

 それから柔らかいパン。どれもこれも戦場とは思えない程美味かった。


 飯を食い終わってからは、地図を囲んでの情報交換が始まった。

 ヒューバート殿が言うには友軍の進撃はいたって順調。

 スティーブン殿下率いる本隊は、ここから半日ほど後方にいるらしい。

 それから数日前の情報として、国王本軍の動きについても教えて貰う。

 国王陛下はメイン伯の軍勢を打ち破りウッツ市の包囲を開始したが、パリシア王軍は未だ姿を見せず、とのことだった。


 こちらからは、最後に確認した敵本隊の位置や、これまでのルートや進軍速度。

 そして、これまで挙げた俺達の戦果について伝えた。

 〈犬〉の方では襲撃の片手間にこれらの情報収集を積極的に行っていたらしく、本隊の大まかな陣容まで調べていた。

 本当に有能な男だ。

 なんで盗賊なんかやってたんだか。


「なるほど、よく分った。

 これらの情報は一度まとめた上で、早急にウェストモント公へ伝える事にいたす」


 ヒューバート殿が、俺達の話を書き取らせた物を読み返しながら言った。


「戦果もさることながら、これらの情報はまことに得難いものである。

 公もさぞお喜びになることだろう」


「光栄にございます」


 〈犬〉がヒューバート殿に折り目正しく頭を下げる。

 着ているのが襤褸でなければ本物の騎士にしか見えなかっただろう。


「時に、貴殿らは今後については指示を受けているかね?」


 老騎士殿がこちらに目を向けて訊ねた。


「いいえ、ヒューバート様」


 俺の答えに、老騎士殿は目を細めた。


「ならば、接敵するまでは我らと行動を共にしては頂けないか。

 諸君らの様な抜け目のない傭兵隊はどんなときにも頼りになる。

 兵糧の提供はもちろん、追加の報酬も出そう」


 はて、どうしたものか。

 このまま宙ぶらりんになるよりはよさそうだが、受けていい話なのだろうか?

 判断に迷った俺は〈犬〉に視線を向けた、

 すると彼は俺に代わって答えてくれた。


「ありがたい申し出ではありますが、私共はウェストモント公に仕える身。

 一度、公にお伺いを立て許しを得る必要がございます」


「なるほど、もっともだ。

 では先程の報告のついでに、貴殿らを借り受けられるよう殿下にお願いいたすとしよう。

 話は以上だ。

 決戦の日は近そうだ。貴殿らもよくよく体を休めておくように」


「はっ」


 天幕を辞去し〈犬〉と二人、丘を下る。

 外はもうすっかり暗くなっていたが、奇襲を防ぐためか野営地から離れた場所にも一定間隔でたいまつが設置されており、存外歩きやすい。

 その途上、蹄の音が聞こえたので振り返ってみれば、松明を掲げた騎馬の一団が後方に向けて駆けていくのが見えた。

 恐らくは本隊へ向けた伝令だろう。


「もうずいぶん暗いのによくやるな。

 朝になってからでもいいだろうに」


「そりゃ間違いですよ、お頭。

 情報の伝達は早ければ早いほどいい。

 ちょっとした連絡の遅れで敗北した例は山程あります。

 ヒューバート殿はその点を本当によく理解しておられる」


 なるほど。〈犬〉が言うならそうなんだろう。


 翌朝早く、ジェラルドからの使者がやってきて、丘の上の陣地に呼び出された。

 嫌がらせかとも思ったが、そうではなく殿下からのお返事がさっそく届いたとのことだった。


 昨晩の大きな天幕に入ると、そこにはすでに昨晩の面々が地図を囲んで何やら話し合っていた。

 ジェラルドが俺に気づいて何か言いかけたが、結局何も言わずに目を逸らした。


「よく来てくれた。

 ウェストモント公より、貴殿らに新しい指令が届いておる」


 ヒューバート殿がそう言って筒の様に丸められた羊皮紙を差し出してきた。


 俺がそれを受け取り、蝋封を割って紙を広げる。

 そこには確かに殿下からの指示が書かれていた。

 命令自体はいたって簡潔。ミュール城なる小城を偵察し、可能ならば奪取せよとのことだった。

 手紙の内容によるならば、どうやら殿下は俺たちが期待以上の成果を挙げたのを見て、さらなる武功と名声を得る機会を与えてくれることにしたらしい。

 とんだ有難迷惑である。

 手紙の末尾は「たった二十人でオクスレイ城を奪った諸君であれば、容易い任務だろう。会戦の勝利を完璧なものとするため諸君らの働きに期待する」と締めくくられていた。

 まあ、おそらくは街道から外れた位置にあるような、戦略的には意味のない城とは名ばかりの小さな館だろう。


 俺が顔を上げると、ジェラルドが実につまらなそうな顔でこちらを見ていた。


「なんだ、字が読めるのか」


 どうやら、字の読めない俺を嘲るつもりでいたらしい。

 残念だったな、と舌を出したいのをこらえる。

 〈犬〉に手紙を手渡しながら、俺はヒューバート殿に訊ねた。


「ミュール城を攻撃せよとのことだったのですが、

 どこにある城かご存じでしょうか?」


 それを聞いて、ヒューバート殿が目を見開いた。

 ジェラルドまでもがギョッとした顔を浮かべている。

 いったい何事だ?


「……こちらへ」


 そう言って、ヒューバート殿が俺達を地図の近くへ招く。

 地図を覗き込んでみると、いくつか色のついた小石が置かれており、それぞれが敵味方の軍勢の位置を示しているらしい。


「この白い石が我が軍の現在位置。こちらの黒い石が敵軍の推定位置になる。

 そしてミュール城はここだ」


 そう言ってヒューバート殿が指差したその場所は、敵の軍勢を飛び越えてさらにその向こう側にあった。

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