第39話 姫様と木こり

「あら、ジャック。こんなところにいたのね」


 振り返ると、マーサ婆さんを従えた姫様がいた。

 俺が慌てて立ち上がろうとすると止められた。


「いいわよ、そのまま楽にしていて」


「はい、ではお言葉に甘えて……」


 俺が浮かせかけた腰を落とすと、姫様はそのまま俺の隣の地べたに腰を落とした。


「あ、で、殿下!?」


「気にしなくていいわ。言葉もいつもの砕けたのでお願い」


 姫様はそう言いながら、俺の脇に置かれた山盛りの大皿に目を止めた。

 一皿は村のおかみさんに、もう一皿は〈犬〉に押し付けられたものだ。


「随分欲張ったわね。

 食べきれるの?」


「押し付けられたんだよ」


「ああ、なるほど」


 なにやら心当たりがあったらしく姫様はそれで得心したようだった。

 それから、皿のてっぺんからチーズを一つ摘み上げると一口かじった。


「うん、いつ食べても美味しいわね。

 このチーズ、大好きなの」


 あれが姫様の好物だというおかみさんの言葉は本当だったらしい。

 姫様はしばらくの間、その小さな口でチーズを少しずつかじりながら、広場で楽し気にしている村の衆を見ていた。


「ねえ、ジャック」


 彼女は広場を見つめながらぽつりと言った。


「なんだ?」


「いい村でしょう。

 みんな、明るくて、親切で」


「まあな。俺達みたいな荒くれ者もこうして歓迎してくれる。

 本当にいい人たちだよ」


「そうでしょうとも」


 彼女は自慢げな笑みを向けてくれた。

 が、すぐに視線を落として浮かない顔で黙り込んでしまった。


 何か答えを間違ったのだろうか?

 俺は振り返って、背後にいるはずのマーサ婆さんに助けを求めたが、婆さんは完全に気配を絶ってまるで置物のように素知らぬ顔をしている。


「なにかあったのか?」


 沈黙に耐えかねてそう尋ねたが、彼女は答えなかった。

 だけど少したって、躊躇いながら口を開いた。


「この間……」


 言いかけて、また口をつぐんでしまう。

 訳が分からないが、せかしてどうにかなる話でもなさそうなので俺はそのまま辛抱強く待った。

 再び彼女が口を開いた。


「ねえ、人を殺す時ってどんな気持ちになるの?」


 また話がとんだな。

 しかし、冷やかしで聞いているんじゃないのはその顔つきからわかった。


「……まあ、いい気分にはならねえな」


 少なくとも、殺しや暴力を楽しいと思ったことは、ない。


「必要だからやる。それだけだ」


「やっぱり、そうよね」


 姫様はまた俺から視線を外してうつ向いてしまった。

 話の流れがさっぱり読めない。

 だが、彼女は今のやり取りから何かを得て、それを消化しているらしかった。


 広場では依然として皆が楽しげに騒いでいるが、このあたりだけはその騒ぎから切り離されているかのようだった。


「……あの日」


 彼女が再びしゃべり始めた。


「あなたが捕まえて来た盗賊の裁判をした時。

 村の人たちがみんなすごく殺気立ってて。

 判決を下すときに、エドワードが言ったの。

 『石打ちにすべきです。彼らは復讐を求めています』って。

 領民が求めているモノを与えるのも、領主の務めだって。

 それで私……あんな酷いことになるなんて……思ってなくて……」


 姫様はそう言ってシクシクと泣き始めてしまった。

 やっぱり、あの時のことは相当に堪えていたらしかった。


「ああ、なんだ……代官の言う通りだと思うぜ。

 彼らにだって復讐は必要だ。

 それに、盗賊はどうせ縛り首だしな。

 対した違いじゃないだろ」


「そうじゃない。そうじゃないの……」


 姫様は首を横に振った。


「石を投げている村の人たちの顔が凄く怖くて……。

 いつもはあんなに優しい人たちなのに……」


 どうやら、姫様は村人たちの豹変ぶりに驚いてしまったようだった。


 そのまましばらく待っても、姫様は泣き止まなかった。

 どうしたものかと、もう一度振り返ってマーサ婆さんに助けを求めたが、婆さんは相変わらず素知らぬ顔である。

 俺がどうにかしないといけないらしい。

 こんな時、どうすればいいんだったか。

 母さんや、父さんはどうしてくれたか。

 あるいは森婆やハンス爺さんは、俺が一人で泣いている時にどうしてくれたか。


 かろうじて思い出せたのは、背中に触れる手の温かい感触だった。

 だが、相手はお姫さまだぞ?

 小さな子供とはわけが違うのだ。


 俺はおっかなびっくり姫様に向けて手を伸ばす。

 念のためマーサ婆さんの様子を窺ってみたが、わざとらしくよそ見をしていた。


 思い返してみると、ハンス爺さんも不器用な人だったなあ。

 俺はそんな愚にもつかない記憶を振り払うと、覚悟を決めてその背に触れる。

 やわらかい、とは違う不思議な感触。

 儚い、とでも表現すべきだろうか。

 厚手の外套越しにもかかわらず、ずいぶんと暖かいような気がする。

 そしてその背中はあまりにも小さかった。


 肩に手を回せば抱き寄せられたかもしれないが、さすがにそこまでの勇気は湧いてこなかった。


 しばらくそうしていると、姫様も落ち着きを取り戻すことができたらしかった。


「……ありがとう」


 彼女は泣きはらした目をこちらに向けて微笑んだ。

 それから、口元を引き締めると、広場に視線を向けて言葉をつづけた。


「きっと、私は石打ちなんて判決は出しちゃいけなかった。

 たとえ、あの人たちが望んだことだとしても、

 あんなこと、あの優しい人たちにやらせちゃいけなかった」


 そして、こちらに視線を戻す。


「貴方が盗賊をみんな殺してしまっているのは、私のためよね?」


 嘘はつけない。俺は黙ってうなずいた。


「貴方がそうして私を守ってくれたように、

 あの盗賊たちは私が命じて処刑しなきゃいけなかったのよ。

 どれだけ恨まれても、私がそれを引き受けるべきだった」


 音もなく近づいてきたマーサ婆さんが、いつの間に用意したのか濡れたハンカチを姫様に渡した。

 姫様はそれで涙をぬぐい、少しの間泣き腫らした目元を冷やしてから立ち上がった。


「ありがとう、ジャック。

 おかげで少し楽になったわ」


 俺は同じように立ち上がると、背筋を伸ばして、大げさに、恭しくお辞儀をしながら答えた。


「お役に立てたのであれば何よりでございます。殿下」


 そんな俺を見て、彼女は「似合わないわね」と言って笑った。

 俺が見たいのはこういう笑顔だ。


「さて、みんなにも挨拶してこないと。

 マーサ、行くわよ」


「はい、殿下」


 姫様はマーサ婆さんを従えて広場へ向かって歩いて行った。

 途中、婆さんがこちらを振り返ってニコリと笑みを見せた。

 よくやった、と言ったところだろうか?


 遠ざかっていく姫様の背中は小さかった。

 見送りながら、先ほどのやり取りを振り返った。

 多分、うちの姫様は玉座の奪い合いになんて向いていないのだろう。

 あの背に背負うには、国なんてモノは大きすぎる。


 少なくとも、今のままでは話にならない。

 だけど、俺は姫様には今のまま変わってほしくなかった。

 血で染め上げるには、あの手は可憐すぎるように俺には思えた。



 祭りが終わってしまえばあとは穏やかなものだった。

 穏やかではあったが、のんびりとはいかない日々であったが。


 二日に一度、マーサ婆さんがやってきては「稽古」と称してくたくたになるまで俺たち荒くれ者を走らせた。

 弓組の連中は全員が弓を大長弓に持ち替えて四苦八苦していたし、柄杓組の連中も負けじと投擲の訓練にいそしんでいた。


 稽古がない天気のいい日には、〈犬〉の指揮の下で拠点の防衛強化に励んだ。

 コの字型に配置された三棟の宿舎の隙間を塞ぐように壁を作ったり、角の部分に櫓を建てたり、頑丈な門を作ったり、空堀りを掘ったり。

 なかなか大変な作業ではあるのだが、これも自分たちの城だと思えば苦にはならなかった。

 櫓が出来上がった日などには、皆で上ったり下りたり、わざわざ高台の下に降りて見上げたりと大変な騒ぎだった。


 そんなこんなで、拠点も半ば完成に近づいたある日の事だった。

 いつものように稽古をつけに来たマーサ婆さんが、こんなことを言ったのである。


「さて……まだ少し早いとは思いますが、皆さんも走るのにも転がるにも飽き飽きしたでしょうからね。

 そろそろ、少しばかり実践的な稽古を始めましょうか」


 それを聞いて、荒くれ者たちが歓声を上げた。

 俺たちはようやくまっとうな武術を習うことができるらしい。


「さて、皆さま。

 私が教える武術でいったいどれだけのことができるのか。

 まずはその片鱗をお見せいたします」


 そう言って、婆さんは大きな丸盾と棒きれを持ってこさせた。


「たったこれだけで、私はジャック殿の金の斧を防いで御覧に入れましょう。

 さあ、ジャック殿。魔法の斧を出して私に斬りかかってごらんなさい」


 俺は金の斧を手に、マーサ婆さんと向き合った。

 婆さんは左足を前に出し、盾を大きく傾がせて担ぐように構えた。


 周囲で見守る兄弟たちがゴクリと唾を飲む。

 婆さんがどれだけ強かろうが、あんな貧相な盾――盗賊から奪った戦利品だ――で魔法の斧を防げるはずがないと思っているんだろう。


 だが、俺にしてみればとんでもない話だ。

 心配するなら、婆さんじゃなくて俺の方を心配してほしい。


 とはいえ、やれと言われたらやらないわけにはいかないのだ。

 俺は斧を思い切り振りかぶると、一思いに振り下ろした。


 が、婆さんはその場から動かない。

 斧の刃が盾に触れるその刹那、盾がこちらに突き出され、振り下ろす俺の腕の内側に滑り込む。

 この技は見たことが――と思う間もなく空ぶった俺の斧は盾の外側に押しやられ、喉元には棒が突き付けられていた。

 いつぞやの傭兵よりも断然速かった。

 横や後に飛びのく間すらない。


 茫然とする俺を尻目に、婆さんはすっと棒を下ろして皆の方に向き直った。


「このように、盾とはただ受け止めるだけでの防具ではありません。

 何も知らなければジャック殿のような鋭い武器を持っていてすら、なす術もなくやられてしまうのです。

 ですから、皆さまにはまずその取扱いを心得ていただきます。

 最初は基本の構えから。

 皆さん盾を持ってきてください。

 私が持っているのと同じような、大きく丸い盾が良いでしょう」


 俺達は武器庫に向かって一斉に駆け出した。

 戻ってきたら今度は婆さんを一重に取り囲んで、婆さんを手本に見よう見まねで盾を構えた。

 婆さんはそれを見回しながらあれこれと指導していく。


「構えはできましたね。次は基本の動作です。」


 そう言って婆さんはまるでパンチを繰り出すかのように盾を前に出しては引っ込めるという動作を繰り返した。


「いいですか、面で受けるばかりが盾の使い方ではございません。

 縁の扱いにこそ、盾の真髄がございます。

 こうして相手の盾を縁で押し、あるいは武器の動きを妨げるのです。

 手首は柔軟に、蛇のように自在に――」


 こうしてその日はひたすら基本の動きを叩きこまれた。


 稽古が終わり、婆さんを館まで送る。

 他の兄弟たちは皆バテて地べたに転がっていたから、俺と婆さんで二人っきりの道のりだった。

 ちょうどいい機会のなので、俺は先ほどからずっと気にかかっていたことを訊ねてみることにした。


「師匠、一つお聞きしたいことがあるのですが」


 今日からは、婆さんの事は師匠と呼ぶようにと申し渡されていた。


「なんでしょう、ジャック殿」


「なぜ、訓練を前倒しになさったのですか?」


 稽古を始める前には「皆さんも飽き飽きしているでしょうから」と言っていたが、本当にそれだけであるはずがない。

 そんな風に弟子を気遣って稽古のやり方に妥協できるぐらいなら、弟子になり来たという騎士たちがことごとく逃げ出すなんて羽目にはなっていないはずだ。

 師匠は、少しの間どう答えるか迷っていた様子だった。

 が、やがて視線の動きだけで軽く周囲を確認した後、声を潜めて言った


「いまだ公にはされていない話ですから、兄弟団の皆様へはお話しくださいませぬよう。

 よろしいですね?」


 俺がその問いに頷いて見せるのを確認すると彼女は話を続けた。


「国王陛下より、来春の戦役に加わるようウェストモント公への内々の下知がありました」


 ウェストモント公とは我らが姫様の弟、スティーブン殿下の事である。

 俺たちの実質的な雇い主だ。


「つまり、私たちもその戦に動員されるということですか?」


 師匠は重々しく頷いた。


「恐らくは。

 戦に出るとなればこれまでの様にばかりはいきませぬ。

 付け焼刃の技ではあっても、少しは生き残る助けにもなりましょう」


「お気遣いいただきありがとうございます」


「なに、全ては姫様のためでございますゆえ。

 ジャック殿も、くれぐれもそのことをお忘れなきよう。

 手柄のために無理をなさってはいけませんよ」


「心得ております」


 俺の答えに、師匠は満足げな笑みを浮かべた。

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