第57話 〈犬〉の話


 奥方様の部屋の扉を叩くと、寝ぼけまなこの使用人が顔を出した。

 正確には乳母であるらしい彼女は俺の顔を見て露骨に警戒したようだった。


「こんな夜更けに何か御用ですか?」


「申し訳ありません。

 マーサ殿を呼んでいただきたいのですが」


 現在、姫様と師匠は、元からの使用人たちと共に奥方様の部屋で寝起きしている。

 正確には、仕切りで区切られた使用人たちの区画で、か。


 ともかく、その様なところに出向いて若い男が若い女を呼び出せば、奥方達にあらぬ憶測を呼ぶことになる。

 そこで、俺はまず師匠を呼ぶことにしたのだ。


「……しばしお待ちください」


 乳母が引っ込み、すぐに師匠が顔を出した。


「どうかいたしましたか、隊長殿」


「実は配下の者が、少しばかり込み入った話をしたいとのことで。

 夜分遅くに申し訳ありませんが、御足労願えませんでしょうか?」


「少々お待ちを」


 師匠はそう言って部屋に引っ込んでしまった。


「これ、アンや。起きなさい」


 扉の向こうから彼女が姫様を揺り起こす声が聞こえて来た。

 どうやら、師匠は俺が本当に呼び出したい相手を察しているらしい。


「……どうしましたか、マーサ姉」


 修道院では、格上の尼僧を姉と呼ぶのだそうだ。

 寝起きでもそういう仮面を忘れないのだからまったく我らが姫様は大したものである。


「隊長殿に呼ばれました。灯りを持ってついていらっしゃい」


「はい、わかりました」


 そんなやり取りの後、二人が部屋の中から姿を現した。


「さあ、参りましょうか」


 二人を従えて〈犬〉のもとに向かう。

 奥方様の部屋から十分に遠ざかったところで、姫様が小声で言った。


「どうしたの? こんな夜中に」


 少しばかり声に不機嫌さが滲んでいる気がする。

 まあ、姫様とてまともな建物の下で眠るのは随分と久しぶりなんだから気持ちは分かる。


「〈犬〉が昔話をしてくれるらしい」


「それは興味あるわね」


 姫様の機嫌が直った。現金なものだ。


 主塔から出て、中庭に出る。

 川側の城壁に目立たない出入口があり、そこをくぐった先には小さな船着き場が設けられていた。

 そこで〈犬〉が俺たちを待っていた。



「お察しの事とは思いますが、元は騎士身分の生まれでして」


 〈犬〉は話をそう切り出した。

 驚きはしなかった。

 姫様達もだ。

 鈍い俺でさえ気づいていたのだから、聡い彼女は当然気づいていたのだろう。


「まあ、騎士と言っても小さな領地の四男坊でしてね。 

 当然家督なんか継ぐ当てもなく、どうにかして仕える主を見つけなきゃならねえ。

 そうしてようやく見つけた主君がこのミュール城の元の城主だったというわけです。

 悪いお人じゃありませんでしたが、どうにものほほんとしておりまして。

 領地の事はほったらかしで、メイン伯の宮廷に出入りしては詩人やらなにやらと語らってばかり。

 まあ、〈兎〉の奴とはその縁で知り合ったんで、その点は幸運でしたが。

 ともかく、主がそんなですと家臣は大変ですよ。

 盗賊はあちこちに蔓延るし、そうなりゃ領地の収入だってお察しです。

 せめて城の補修だけでもと進言したって聞きゃあしない。

 案の定、アンディカ伯が攻めてくるなり、あっさりと落城しちまいました。

 私はたまたま盗賊狩りで城を離れていたおかげで難を逃れましたが、主人を失った騎士なんざあ惨めなもんです。

 何しろ、メイン伯領が丸々陥落して大勢の騎士が土地を失ったわけですからね。

 名高い武将に仕えていたならまだしも、あっさりと負けた領主に仕えてあまつさえ自分だけ逃げ延びた奴なんざ誰も雇っちゃくれません。

 そんなんで食うに困っていたところで声をかけてくれたお方がいたわけです」


 そこで〈犬〉は言葉を切った。


「それがホースヤード伯ってわけか」


「はい」


 〈犬〉が頷いた。


「まあ、伯爵本人じゃもちろんございません。

 その代理人も伯爵の名は出しもしませんでしたがね。

 〈兎〉が調べましたから間違いねえでしょう。

 で、ここからが本題です」


 〈犬〉は一層声を落として話を続けた。


「ともかくそいつがね。

 『ある仕事を引き受けてほしい。見事にやりおおせれば、正式に騎士として取り立て、領地もくれてやる』

 と、そう言うんですよ。

 主を喪った貧乏騎士の四男坊が、一足跳びに土地持ち騎士になれるってんだから大変な話です。

 ところが、仕事の内容が輪をかけてやばかった。

 なんせ、『盗賊どもをまとめて王領を荒らしまわれ』なんて、ねえ?」


 姫様が息を呑んだ。


「そ、それって……」


「そうです、叛乱の下準備といったところでしょう」


「おい、もしかして、伯爵が言ってた『望外の成果』ってのは……」


「はい、恐らくお頭と殿下を引き合わせたことかと」


 それから〈犬〉は姫様に向かって続けた。


「殿下、もし本気で玉座を狙うのであれば、この話を覚えておいて下せえ。

 伯爵は、王に叛意を抱いています。

 そして叛乱を起こすにあたって殿下か、ウェストモント公を担ぐつもりでいるのでしょう」


「……あの人は信用がならないわ」


 姫様が呟くように言う。


「でしょうな。

 ですが、殿下。今の貴女は無力に過ぎます。

 今のままじゃあ、誰もついてきてはくれません」


 〈犬〉の言葉に姫様が唇を噛む。


「しかし、ホースヤード伯が背後についたとなれば事情は変わります。

 こちら側に片足ぐらい乗せてみようかって奴らも出てまいりましょう」


「そんな不実な者達は当てにならない」


「ごもっともです。

 しかし、玉座に座そうとするならば、そのような者らをも使いこなせねばなりません。

 信用のおけるほんの一握りの者で統治できるほど、この国は小さくないのです」


「……貴方の忠言には感謝するわ。

 検討してみましょう。

 他に話は?」


 姫様に問われて、〈犬〉は黙って首を横に振った。


 姫様はそれを見て頷くと、クルリと俺達に背を向けて城内へ向けて歩き始めた。

 が、数歩すすんだところでまた振り返った。


「どうしたのジャック、ついていらっしゃい」


「もうじき見張りの交代の時間だ。

 このまま配置につくよ」


「……そう。

 じゃあ、私はもう一度寝させてもらうわ」


 姫様はそう言って、今度こそ城内に戻っていった。


「お頭、よかったんで?」


「ああ、ちょっと俺も聞きたいことがあってな」


「へえ。なんでしょう」


「約束の褒賞ってのは、いつ受け取りにいくんだ?」


 正直な所こいつを手放すのは惜しいんだが、騎士様になりたいってのに引き留めるのはかわいそうだ。

 抜けるっていうなら、引継ぎやらなんやらをしておいてもらいたいのだ。

 ところがである。


「ああ、それはもういいんです」


 〈犬〉はあっさりとそう言ってのけた。


「なんだってまた。

 その褒賞が欲しくて汚れ仕事にまで手を染めたんだろ。

 俺に遠慮せず受け取って来いよ」


「いいんですよ、お頭。

 正直な所、姫様の言う通りなんでさあ」


「なにがだ?」


「伯爵は信用できないって話です。

 さすがに口封じされるようなことはないと思いますがね。

 伯爵に仕えたところで、今後も後ろ暗い仕事ばかりやらされるに決まってます。

 それよりもね、私はお頭に賭けてみたいんですよ」


「俺にか?」


「ええ、そうです。

 出世してください、お頭。

 そんで、俺をお頭に仕える騎士に取り立ててくださいよ」


「勘弁してくれ。

 偉くなったってめんどくさいだけだろう」


 きっと、偉くなれば姫様やスティーブン殿下のようにならなくてはいけないのだろう。

 だが、俺にはあんな風に自在に仮面をつけ外しするような真似はできそうにない。

 呪いを抜きにしてもだ。


「面倒は私が引き受けましょう。

 お頭はただ、私らを引っ張って行ってくれりゃあいいんです」


「引っ張るも何も、おい、俺をそう言う風に飾り立てたのはお前じゃないか」


 俺がそんな善良な人間ではないことは、こいつ自身がよく知っていなければならないはずなのだ。

 そうでないなら、こいつは自分のついた嘘に飲まれかけているに違いない。


「そうでしたっけ?」


 〈犬〉はとぼけ顔でニヤニヤと笑う。


「まあ、確かに半分はそうでしょうがね。

 それだけで大勢の人間を騙せはしませんよ。

 残りはアレです、お頭の人徳ってやつです」


 それからわざとらしく何かに気づいたような顔をして、


「おっと、そろそろ見張りを交代しないと。

 いつまでも立たせといちゃ、私の手下がかわいそうですからね」


 などと言って城壁の中へ帰っていった。



 翌日も、翌々日も何事もなく過ぎていった。

 おそらく、既に会戦の決着はついているはずだが、俺達にはその結果を知る術がない。


 そうしてそのさらに翌日になって、ついにスティーブン殿下のもとへ送り出していた伝令が戻ってきた。

 結果はそいつらの顔を見ただけで分かった。


「やりましたよ、お頭!

 お味方の勝利です!」

 

 その言葉を合図に、兄弟たちが揃って歓声を上げた。


「ウェストモント公は、アンディカ伯軍を散々に打ちのめしました。

 いやあ、すごかったのなんのって!

 柵やらなんやらで敵の騎士を足止めして、すごい勢いで矢を浴びせかけたんですよ!

 そらもう、空が黒く見えるほどでして、敵もたまらず総崩れですよ!

 アンディカ伯以下、敵軍の主だった武将はことごとく討ち死にか捕縛。

 生き残りも散り散りになって敗走しています。

 殿下は一度陣容を整えた後、進軍を再開するとのこと。

 我々は殿下の到着まで、できる限りミュール城を保持するようにとのお達しです」


 彼らは、俺達からの報告を殿下に伝えた後、そのまま殿下の陣営に止め置かれたらしい。

 そうして、殿下が勝利するのをその目で見てから、それを俺たちに伝えるべく送り出されたのだという。

 

「三人ともよく戻ってくれた!

 ところで、もう一組はどうなった?

 まだ殿下の所に残っているのか?」


 俺がそうたずねた途端、伝令の三人はシュンとなってしまった。


「それが……殿下の所にもたどり着いておりませんでしたので」


「……そうか」


 恐らく、途中で敵の斥候にでも見つかってしまったのだろう。

 場が少しばかり盛り下がってしまった。


 俺は改めてこの困難な任務を見事やりおおせた三人に、肩に手を置きながら一人ずつ讃え、労った。

 それから、その場にいた全員に呼び掛ける。


「さて、まだ仕事は終わっちゃいないぞ!

 殿下の軍が到着するまでもうひと踏ん張りだ」


「おう!」


 皆が明るい声で応じた。

 気合は十分。

 油断さえしなければ、もはや問題は起きないだろう。


 翌日になって、アンディカ伯軍の敗残兵と思われる奴らが街道沿いをチョロチョロと通っていくのが見えた。

 この城がこちらの手にあることは既に周知のようで、こちらを恨めし気に見ながら近寄りもせずにトボトボと南へ落ち延びていく者がほとんどだった。

 時折、何を思ってか城に近づいてくる者もあったが、一、二発矢を射ってやるだけで跳びあがって逃げていった。

 城から打って出て落ち武者狩りをしてもよかったのだが、そこまでの指示は受けていない。

 勝利が確定した今となっては怪我をするのも馬鹿らしい。

 逃げる奴らは放っておけばいいのだ。


 それからさらに二日が経った頃、街道の北から整然と進んでくる騎馬の一団が見えた。

 ジェラルド率いる先鋒部隊に違いなかった。


 勝利の報告を聞いて、俺達は明らかに気が緩んでいた。

 〈犬〉ですらそうだった。

 さもなければ、すぐにでも斥候を出して相手が何者かを確かめていたはずだ。

 だが、すっかり勝った気でいた俺達は誰もそうしようとはしなかった。


 接近してくる騎馬の集団を、主塔の見張り台からぼんやりと眺めていたところ、見張りの一人が俺に話しかけていた。


「あれ、お頭。

 あの旗、どこのですかね?」


「ん? ホースヤード伯じゃないのか?」


「いや、それが馬も烏もいねえんで」


 ホースヤード伯の印は馬に乗った烏である。

 目を凝らしてみれば、確かに彼の言う通りだった。


 先鋒隊は当然ながら損害が出やすい。

 恐らく会戦で大きな被害を出して、別部隊と入れ替えられたのだろうと俺は考えた。


「本当だ。〈犬〉ならわかるかもな。

 おい、呼んできてくれ」


「へえ」


 見張りをしていた兄弟は小走りで〈犬〉を呼びに主塔の階段を下りていった。

 程なくして、〈犬〉が先ほどの見張りと一緒に上がってくる。


「どれどれ」


 そう言って彼は騎馬集団に向けて目を凝らした。

 次の瞬間、彼の目が見開かれた。


「馬鹿な! ありえねえ!」


「どうした?」


 〈犬〉が絶叫する。


「ありゃ味方じゃありません!

 おい! 全員配置に付け! 敵だ!」

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