第55話 敵城奪取

「お頼み申し上げます!

 マルシー女子修道院より、アンディカ伯への献上品を持参してまいりました!

 どうか、橋を降ろして私どもを囲いの内へお招きいただけないでしょうか!」


 跳ね橋の前で、姫様が修行中の尼僧の格好で城内に呼びかけた。

 しばしの沈黙。

 俺は樽の中にいるので外の様子はさっぱりわからない。


 城兵に弓を向けられてるとかじゃなければいいんだが。

 もちろん、こんな危険なことはやめるべきだと止めはしたのだ。

 が、これが思いつく限りでは最も安全かつ確実なやり方であるというのが姫様の主張であった。

 こちらとしてもこれ以上の案は出すことはできず、やむなく実行と相成った。


 もちろん、最低限の安全策は用意してある。

 いざとなれば俺たちが樽から飛び出して姫様の盾となり、姫様は樽を切り離した馬に乗って離脱する算段だ。


 さて、少し間を開けてようやく城壁の上から、少しばかり年を食った男の声が返ってきた。


「その様な予定は聞き及んでおらぬ!

 貴女らを疑うわけではないが、今は戦時下ゆえ許しのない者を城内に入れるわけには参らぬ!

 お引き取り願おう!」


 やっぱり入れて貰えなかったか。

 だが、もちろんこの程度で引き下がるような我らが姫様ではない。


 彼女は今にも泣きだしそうな声で城壁に叫び返した。


「そんな! このまま追い返されてしまえば院長様に折檻されてしまいます!

 騎士様! どうかご慈悲を! 私どもに務めを果たさせてください!」


 言い終わると同時に、か細いすすり泣きの声が聞こえてきた。

 それは実に儚く切なく、心を締め上げるような響きだった。

 俺だって、姫様が自由自在に仮面を付け替える様を見ていなければ、樽から飛び出して助けに行ってしまっていたかもしれない。

 続いて師匠の声。


「ああ、愛しい姉妹よ、泣いてはなりませんよ……。

 騎士様、もしかしたら連絡が遅れているだけやもしれませぬ。

 今しばらく、門前で待たせていただいてもよいでしょうか?」


「な、ならん、ならん!

 重ねて言うが、今は戦時下だ。

 不審な者を門前においておいては私が城主様に叱責されてしまう!

 一度お引き取り願おう」


「ですが騎士様、これは勝利の酒宴に供するためにと用意された特上の樽と伺ってございます。

 決してお届けが遅れることがないようにと、院長からも厳命されているのです。

 伯爵様の軍は今日、明日にでも決戦に及ぶものと聞き及んでおりますが

 今引き返してしまえば、祝宴には到底間に合いませぬ」


 師匠の言葉に合わせて、姫様が悲嘆の声を上げる。


「ああ、そんなことになってしまえば私たちはどんな目にあわされることか!

 きっと鞭打ちどころでは済まないわ!

 騎士様、どうか、どうかご慈悲を……!」


「これ、アンや。

 あのお方にも務めがあるのですから無理を言ってはなりませぬよ」


「だけど、だけど……」


 うわーん、と姫様が泣き崩れる気配。


「……仕方ありませぬ。罰は甘んじて受けましょう。

 さあ、お立ちなさい、アン」


 師匠が慰めるように姫様に言う。

 それから城壁の方に大声で告げた。


「分かりました騎士様、私どもは出直してまいります。

 ですが、この樽は伯爵様の強い強いご要望によって運んできたものにございます。

 このままでは私どもだけでなく、我が修道院も責めを負わされるやもしれませぬ。

 どうか事情を記した貴方様の署名入りの書状を頂きたく存じます。

 もしそれすら頂けないならば……私どもはここから一歩も動きませぬ」


「待て、待て……!」


 最後の一言に、城内の騎士はたじろいだ様子だ。


「ああ、そうだ、あそこの修道院には昔世話になった方がおってな。

 尼僧殿、シスター・ジャンヌはご息災か?」


 騎士の問いに師匠はしれっと答えた。


「はて、ジャンヌは幾人かおりますが……どちらのジャンヌでしょうか?」


「トゥルダムのジャンヌだ」


「お気の毒な事にございます。

 トゥルダムのジャンヌは幾年か前に渡界いたしました」


「む、そうであったか……よく知らせてくれた。

 しかし最近、この辺りにはタチの悪い狼の群れが出没している様子。

 あるいは伝令もその狼に襲われたやもしれぬ。

 貴女らも危険をおして荷物を届けてくれたというのに、このまま帰してしまうのも気の毒だ。

 入城を許そう。橋を降ろす故、しばし待たれよ」


 ガラガラと鎖の音がする。

 どうやら姫様たちは門を抉じ開けることに成功したらしい。

 その音に紛れて、姫様がボソリと呟いた。


「あれ、絶対カマをかけてきてたわよね。

 よくやったわ、マーサ」


「問われた名が古い仲間のものであったのは幸運でした」


 師匠の古い仲間と言うことは、やっぱりとんでもなく強かったんだろうか?

 再び樽が揺れ始めた。


 姫様が繰り返し騎士に感謝の言葉を述べているのが聞こえる。

 姫様はかなりの美人であるから、応じる騎士の方もまんざらではない様子だ。


「はい、お城の方々の手を煩わせることはございません。

 場所さえ指示していただければ私どもの方でお運びいたします。

 なに分、院の醸造所でも最上の樽でございますから、

 慣れた者が扱いませぬと……こちらでございますか。

 できれば日や風の当たらない場所が……ええ、とても高価な樽ですので。

 ……はい、主塔の倉庫に……そこでしたら問題はございません。

 ……ありがとうございます……それからこれは受領証にございます。

 こちらにも一筆……はい、ありがとうございました。

 おかげで胸を張って院に戻ることができます。

 ……はい、慈悲深きお方に、神々の祝福があらんことを。

 それでは失礼いたします」


 一度警戒心を解いてしまえばあとは簡単なものだった。

 姫様達はあっさりと俺たちを主塔の倉庫の一番奥にしまい込むことに成功した。



 隣の樽からグーッという大きな腹の音が響いた。


 深夜である。多分。

 音を合図に俺達はそっと樽の蓋を開け、周囲の様子を窺ってからのそのそと樽を抜け出した。

 腹の音の主は〈大鼠〉だ。

 〈獣〉の一員としてはいまいち頼りない男であるが、腹の減り具合で正確に時間を計れるという類い稀な特技を持っている。


 体を伸ばす間もなく、〈犬〉を先頭に足音を忍ばせながら上階への階段へ向かう。

 彼が言うには大まかな構造はオクスレイ城と変わらないだろうということだった。

 一番下が倉庫兼武器庫、その上が大広間で、そのさらに上には城主一家や騎士たちが寝泊まりする部屋。

 オクスレイ城では四階に武器庫があったがここにはそれがなく、一番上は屋根付きの見張り台になっているという。


 深夜だからだろう、大広間は無人だった。

 外へ続く扉に音をたてぬようそっと閂をかけ、二人を見張りに残して残りは上へ。

 まずは屋上にいるだろう不寝番を排除すべく、居室階を素通り。ここの階段にも一人見張りを残す。

 そして見張り台。

 ここから先、やることはオクスレイ城の時と変わらない。

 ただし、あの頃よりも俺たちはこうした仕事に随分と熟達していた。


 敵は五人。指揮官らしき男が一人と、四方に見張りの兵士が一人ずつ。

 戦時中だけあって油断した様子はないが、皆、意識が城の外側に向いている。


 俺は金の斧を出すと、足音を立てぬよう、しかし素早く指揮官を切り裂いた。

 バタリと崩れ落ちる音が響き、驚いた兵士の一人が振り返る頃には俺は既にそいつに肉薄していた。

 そのまま斧を振り下ろし、これも切り伏せる。

 後続の仲間が残りの兵士を声を立てる間もなく排除していく。


 見張り台が壁も屋根もあるしっかりとした作りだったのは幸いだ。

 これなら今おきた事が外から感づかれることもないだろう。

 俺たちは大急ぎで取って返すと、居室階の制圧にかかった。


 ここでは城詰の騎士達から抵抗を受けるものと思っていたのだが、居たのは城主の妻子と召使だけだった。

 〈犬〉が作法に則ったやりかたで、剣に誓って危害を加えないことを宣言し、彼女たちを大人しくさせた。

 以前に〈犬〉が言っていた「作法が大事」とは全くの真実であった。


 こうして静かに主塔内を制圧したのち、弓持ちの兄弟が外に向かって一本の矢を放った。

 少しばかり特別な加工が施された矢で、これを飛ばすと笛の様に甲高い音が鳴り響く。

 言うまでもなく外にいる仲間達への合図である。


 城壁の上で見張りに立っていた兵士たちが何事かとこちらに目をやったが、すぐにそれどころではなくなった。

 川とは反対の城外に大量の松明が出現したからだ。

 その様はまるで大軍が城を囲まんとしているかのようだ。

 もちろん、そんなわけがない。あそこにあるのは松明だけで軍勢はいない。

 兄弟の一部を使ってそう見せかけているのである。


 しかし、そうとは知らない城兵たちは突如として現れた敵軍に蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

 指揮官の指示を仰ごうと主塔の扉を叩いたが、扉はしっかりと閂をかけられたままうんともすんとも言わない。

 敵軍を前に上官と切り離された彼らは瞬く間にパニックに陥り始めた。


 そうしている間にも、俺達は松明とは反対、川側の窓から次々とロープを垂らしていく。

 するとそのロープを伝って次々と兄弟達が城に乗り込んできた。


「よし! 弓持ちは手近な矢間につけ! 火矢の準備だ!

 〈犬〉の合図で一斉に射ち始めろ。

 ウィルは一番上にいってエラそうな奴を狙撃だ。

 他の連中は俺と一緒に大広間で待機!

 時機を見て打って出る!」


「おう!」


 どいつもこいつも川を渡ってきてずぶ濡れだ。

 俺は荒くれ者と柄杓組を率いて大広間へ向かう。


 外へと続く扉からは、戸を叩く音と一緒に最早悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。


「城代殿! 開けてください! 

 敵襲です! ものすごい数です!

 どうすればいいですか!?

 城代殿! 城代殿!」


 外の騒ぎをよそに、〈大鼠〉を呼び寄せそっと指示をだす。


「いいか、合図と同時に閂を外せ。

 扉を開けたらすぐに脇に避けろよ」


「へい! お任せを」


「城代殿! 開けて下さ――ぎゃあ!」


 本物の悲鳴と共に外の声が途切れた。

 扉の上に設けられていた張り出しから弓で射られたのだ。

 同時に、数十本の矢が一斉に放たれ、唸りを上げて飛んでいく。


「火矢だ!」


「おい、なんで中から!?」


「屋根に燃え移るぞ!

 消せ! 消せ――ぎゃあ!」


 外の気配が変わった。

 城壁の内側には、厩や兵舎をはじめとした木造の建物が立ち並んでいる。

 扉の前に詰め掛けていた兵士たちが散り散りになっていくのが感じられた。

 俺は振り返って兄弟たちに呼び掛けた。


「構えろ!! うおおぉぉ!!」


「うおぉぉおお!!」


 俺の叫びに、兄弟達が応じる。

 〈大鼠〉が外へ続く扉を開け放った。


「突っ込めええ!!」


「うおぉぉおお!!」


 外の連中は突如として城内から現れた四十人からなる武装集団に驚き、逃げ惑った。

 数の上では彼らが優勢だったかもしれないが、元より指揮官を欠いていた上、消火のためにばらけていたとあっては組織的抵抗なぞできるはずもない。

 勇敢な奴が一人二人は剣を抜いて立ち向かおうと試みたが、直ぐに兄弟たちに囲まれて死んだ。

 仲間をまとめようと声を上げた奴にはウィルの矢が正確に突き立った。


「に、逃げろー!」


「は、早く門を開けてくれ!」


「間に合わねえ! 城壁から飛び降りろ!」


 敵は完全に戦意を喪失した。

 こうなってはもう立て直しはきかない。

 たとえ俺達より数が多かろうが、もはや関係がなかった。


 こうして、ミュール城は俺たちの手に落ちた。


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