第29話 歓迎

 姫様の所有する居館にたどり着いたのは陽が完全に沈む少し前の事だった。

 峠道を下りきったところにあるその石造りの館は、王族が住むにしてはいたって質素なものだった。

 見たところ、材質以外のサイズや構造はこれまで俺たちが襲ってきた地主屋敷と大差はない。

 聞けば、本来は代官やその配下の役人たちの住居兼仕事場であるらしい。


 俺達の出迎えに出てきた代官は恰幅の良い、笑顔の似合うおっさんだった。

 騎士と言うよりは、裕福な地主といった風な男である。

 彼は姫様の前に跪いて恭しく挨拶を交わした後、俺達の方に向きなおってにこやかに歓迎の言葉を述べた。


「お待ちしておりました! 〈森の兄弟団〉の皆さま!

 私は代官としてこの谷の管理をさせていただいております、エドワードと申す者です。

 どうぞ盗賊どもから谷を守ってくださりますよう、よろしくお願いします」


 そう言って彼が手を差し出し先には〈犬〉がいた。

 まあ、仕方のない話だ。

 当の俺自身が、どうしてこいつらの首領をやってんだかよく分かってないんだからな。


 さて、手を差し出された〈犬〉はと言えば、ニヤニヤと笑いながらながらその手を押し返すようなしぐさをして見せた。


「おっと代官殿、お頭は俺じゃねえんですよ」


「これは失礼いたしました。

 それでは、一体どなたが……」


 そう言って彼はきょろきょろあたりを見回した。

 が、どいつもこいつも〈犬〉と同じようにニヤニヤと笑うばかりで教えてやる気はなさそうだ。

 ことに、弓名人のウィルが嬉しそうにしている。


 見かねた姫様が助け舟を出した。


「ジャック、あまり地元の者を虐めないでくれないかしら?

 エドワード、ここにいるのが首領のジャックよ」


 そう言われて彼はようやく俺に目を止めた。

 それから、もう一度姫様に視線を向けその表情を確認した後、ぎこちない笑みを浮かべる。

 こりゃ、俺が自分から名乗り出ても信じなかったかもな。


「も、申し訳ありません。

 これほどお若いとは思わず……」


「〈木こりのジャック〉と呼ばれております。

 よろしくお願いします」


 俺の紳士的な対応に、代官は幾分か気を取り直したらしい。

 ほっとした様子で館の庭を示して言う。


「こちらこそよろしくお願いいたします。

 遠路はるばるお疲れの事でしょう。

 本日はこちらで食事を用意させていただきましたのでどうぞお召し上がりください」


 言われてみれば、、館の庭には石を積み上げた急ごしらえの竈がいくつも並んでいて、その上には肉も野菜もたっぷり入ったスープが大きな鍋一杯に湯気を立てていた。

 それに加えて焼き立てのパンまである。

 鍋の周りでは、準備のために集められたらしい村人たちが忙しそうに働きまわっていた。

 皆楽しげな様子で、まるで祭りの準備でもするような賑やかさだ。

 これだけの食事をポンと用意できるのだから、この土地が見た目よりも豊かだというのは本当らしい。


 飯が食えればあとは寝るだけである。

 先程の代官と交渉し、しばらくの間近くの牧草地に天幕を張る許可をもらった。



 翌日、俺は拠点の設営に向いた場所を探すため、数人の主だった兄弟たちを連れて森へと向かった。

 一人はもちろん〈犬〉。

 それから、弓の使い手のまとめ役に収まっているウィル。

 そして、俺にとっては一番古い仲間の一人である〈柄杓名人〉エルマーの三人だ。


 知り合った頃にはいかにも純朴で気弱な小作人といった風だったエルマーだが、今ではすっかり一人前の盗賊のような顔付きでいる。

 そのきっかけは何といっても、王領の代官率いる討伐隊を返り討ちにした際の一幕だろう。

 元々柄杓で矢を投げるという奇妙な特技を持っていたエルマーは、その時の戦いで手槍を柄杓で投げつけ、相手の騎士を討ち取るという大手柄を挙げたのだ。

 その手槍が騎士の胸甲を撃ち抜いていたのには皆揃って驚かされたものだった。

 以来、彼の周囲には柄杓の技を習いに来るものが集まり、いつのまにやら仲間内で「柄杓組」と呼ばれる一団が出来上がっていたのである。

 

 俺たちはまず最初に殺された森番たちの住んでいた番小屋に向かった。

 元々が数人で暮らしていた小屋であるからそのままで俺たちが住めるわけがないのだが、まずはその立地を見ておこうというわけである。


 ウィルは案内についてくれた地元の猟師が持つ弓に興味津々の様子だった。

 それもそのはず、その弓はウィルのそれより二割増し長く、持ち主の背丈にすら匹敵する大弓なのだ。


 目的地に到着し〈犬〉が周辺の調査を始めると、ウィルは早速案内の猟師に話しかけた。


「なあ、その弓、随分とでかいじゃないか。本当に引けるのか?」


「当たり前でさあ。引けない弓なんて持ってどうするんです」


 言われた猟師は少しだけむっとした表情をしたが、しかしウィルの持つ普通の弓を見て何かに納得したらしかった。


「そういや、平地の方々は短い弓を使うんでしたな」


 ウェストモントの人間は自身を山の民と称し、俺たち東の人間を平地の民と呼ぶのだ。


「この辺りじゃあ、みんなこういう弓を使いますぜ。

 もちろん、簡単に使いこなせるもんじゃありませんが、きちんと訓練を積めばこの通り」


 そういって、猟師は軽々と弓を引き、少しばかり離れた樹に矢を突き立てて見せた。

 それをみてウィルがほうと驚きの息を漏らす。


「腕のいい奴なら、三百歩先の的にも当てられますぜ」


「すげー! なあ、俺にもやらしてくれよ」


「いいですとも。やってみてください」


 猟師のニヤニヤとした顔付きからは、「できるものならな!」という心の声がありありと伝わってくる。

 実際、弓を受取ったウィルは弦を引こうとして顔をしかめた。


「旦那、違いますよ。

 この弓はもっとこう、縦にまっすぐ立てて構えるんです」


 ウィルは口を挟んできた猟師に一瞬だけ拗ねたように唇を突き出して見せたが、それでもその言葉通りに姿勢を改め、もう一度弓をつがえた。

 それからググっと腹から気合を入れてゆっくりと弓を引いていく。

 腕はプルプルと震えているが、それでもどうにか弓を引き切った彼は力尽きたように矢を放った。

 当然そんな有様で的に当たるはずもなく、矢は明後日の方に飛んで行ってしまった。


「くそ、全然だめだな」


 矢の飛び去った方を見ながらウィルが悔しそうに呻く。

 対する猟師はと言えば、ウィルの失敗を笑うどころか心底驚いている様子である。


「いやいや! 初めてで矢を飛ばせるだけでも大したもんでさ!」


「世辞はいらねえよ」


 ウィルはそう言ってそっぽを向いたが、まんざらでもない様子だ。

 ちなみに俺もその大弓を試させてもらったが、射るどころかまともに引くことすらできなかった。



「このままここを拠点にするのがいいでしょうな」


 というのが番小屋の周辺を一通り見て回った〈犬〉の結論だった。


「まず、番小屋を建てるのに選ばれただけあって森を見回るのに都合がいい。

 ちょっとした台地になっていて見晴らしも利く。

 村からもさほど離れておらず、食料の買い付けも容易です。

 なにより、井戸が掘られてるのが大きい。

 さすがに建物は使い物になりゃしませんが、なにこの際だから建て替えちまいましょう」


 〈犬〉は上機嫌で新しい番所の計画を語り始めた。


「まずは木を伐りはらって、見通しを良くしてやらにゃなりません。

 それから北、東、西の三方には台地の縁に沿って長屋を建てましょう。

 こいつは我々の宿舎になりますが、同時に城壁も兼ねます。

 四隅にはちょっとした塔……とはいかずとも櫓ぐらいは建てておきたいところですな。

 南側は斜面が緩やかになってますから、門をこさえて出入りできるようにして、

 それだけじゃあ防備に不安がありますんで、丘の下は空堀と土盛で囲います。

 堀の底に逆茂木でもおいて、土の上には柵も作っておきましょう。

 あとは台地の上の一番見晴らしがいい所に物見台を立てれば完成です」


 なるほど。

 俺は出来上がりを頭に思い浮かべてみた。


「ほとんど砦じゃねえか」


「そりゃもう立派な砦になるでしょうな。

 小領主の手勢ぐらいなら跳ね返せるようになりまさあ」


 ここはスティーブン殿下の支配地のど真ん中だ。

 近隣領主に攻められるなんてことは起こらないだろうし、殿下を敵に回したらその時点でお終いである。


「一体何と戦うつもりだよ。

 盗賊相手なら柵だけありゃあ十分だろう」


 俺の問いに、〈犬〉はいつものニヤニヤ笑いをひっこめた。

 その目に不穏な光が宿る。


「お頭、ちょいと真面目な話をさせて下せえ」


「なんだ?」


「いいですかい、ヴェロニカ殿下にお仕えすると決めた時点で、

 私らはもう気軽な盗賊じゃあいられなくなっちまったんですよ。

 兵隊や騎士様の真似事をしようってんなら、見栄を張らにゃならねえんです」


「その見栄が立派な砦か?」


「そうです。

 それでちょっとでも『攻めるにゃ面倒だな』と思わせりゃあこっちのもんですよ。

 面倒だから、無理に潰すよりは便利に使い倒してやろうとなる。

 今は必要なくともね、それで首がつながることだってありまさあ」


「やけに実感こもってるじゃないか」


 俺がそう言うと、一瞬だけ〈犬〉の顔つきがギュッと渋くなった。

 ま、誰にでも触れられたくない過去の一つや二つあるだろう。

 盗賊ともなればなおさらだ。


「ま、そういう難しい話は俺には分らん。任せるよ」


「へえ、有難いことで」


 俺が話を打ち切ったことで、〈犬〉は少しばかりホッとした風を見せた。


「それじゃ、一旦帰ろうか。

 だいぶ日も陰ってきたからな」


「へい」


「おーい! 帰るぞ!」


 俺は的当て勝負に興じていたエルマー達に声をかけると、彼らは慌てて的にしていた木に槍やら矢やらを取りに行った。

 距離は五十歩程だろうか。

 どういうルールでやっていたかは知らないが、あの距離ならおそらくエルマーが優勝したことだろう。


「旦那」


 唐突に〈犬〉が呼び掛けてきた。


「なんだよ」


 あまりに神妙な様子なので俺は戸惑ってしまった。


「お任せ下せえ。

 担いだ以上は、投げ出したりはしませんので」


 ホントになんなんだよ、いきなり。


「お前も妙な奴だよなあ」


「木こりの旦那には言われたくありませんや」


 彼はそう言ってニッと口元を歪めた。

 まったく。

 どこまで本気なのかわかりゃしない。



 揃って村の宿営地に戻ると、なぜか姫様がいた。


「何か御用ですか?」


 と俺が訊ねると


「用なんてないわ」


 とのこと。

 何しにきたんだ。

 俺が首をかしげているといつもは姫様の後ろに控えている老婆がずいと前に出てきた。


「用があるのは私にございます」


 見れば薄汚れたチュニックに、継ぎの当たったズボン。

 まるで農夫のような格好だ。

 それも男物である。

 礼儀作法に厳格で、普段であれば質素ながらも身なりにはよくよく気を付けている老婆にしてはあるまじき姿である。


「ウェストモンドに到着いたしましたので、お約束通り稽古をつけさせていただこうかと」

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