第47話 上陸

 〈犬〉とともに再び天幕の中に戻り、姫様の前に膝をついた。


「先ほどは、大変申し訳――」


「待ちなさい」


 待てと言われたので口を閉じる。

 少しの沈黙の後、姫様はしおらしい様子で口を開いた。


「……マーサに叱られたわ。

 貴方のことをもっと信用なさいって。

 貴方なら、あんな風に命令しなくたって、きっとわかってくれるって」


 くそ、その話の切り出し方は少しばかり卑怯じゃなかろうか?


「何より、呪いに――他人の力に乗っかって人を従わせるのは、王にあるまじき振舞だって。

 だから、さっきの命令は一旦取り消すわ。

 ごめんなさい」


「こちらこそ――」


 応じて謝罪の言葉を述べようとしたところで、姫様に遮られた。


「いつも通りに」


「……こっちこそ悪かった。

 こっちだって殿下の意思を無視してたんだから、あんな風にされるのも仕方がねえ」


「いいのよ。

 一応、貴方も私のためと思って反対してくれていたわけだし。

 それじゃあ、どうしてあんなに反対していたのか、詳しく聞かせてもらおうかしら」


 俺は姫様に今回の任務がいかに危険なものであるかを説いた。

 俺たちの隊は、本隊に先行し敵の進行を妨害する任務に付けられたこと。

 その為、味方から遠く離れて敵の勢力圏に侵入しなければならないこと。

 敵の主力部隊に捕捉されればまず勝ち目はないであろうこと。

 同様の任務に就く他の傭兵隊の内、半分は生きて帰らないという〈犬〉の見立て。

 敵地で敗走すれば、姫様を逃がすことすら困難であること。

 姫様が捕縛された場合の政治的な、そして身体的なリスクについて。

 それらを順を追って、姫様に説明した。


 姫様は口を挟むことなく最後まで話を聞いてくれた。

 そして、眉間に皺を寄せながら口を開いた。


「どうしてそんな任務を押し付けられているのよ」


 どうやら、姫様は俺たちの部隊について、もう少し違った使われ方を想像していたらしい。

 〈犬〉が俺に代わって答えた。


「これが我々に最もふさわしい戦い方だからです、殿下。

 会戦に参加したとて、並みの兵士以上の働きはできません。

 しかし、盗賊としてなら我々は間違いなく一流です」


 その言葉に姫様はますます顔をしかめた。


「ジャック、貴方はどう思ってるの?」


「〈犬〉の言う通りだ。

 待ち伏せ、夜襲、そう言った姿を見せない戦い方こそ俺たちの得意とするところだ。

 そのためには自由に動けなきゃ話にならない。

 そう考えれば、今回の任務は俺たちにうってつけだ」


「なら、いいんだけど」


 口ではそう言いつつも、姫様は不満顔だ。


「そう言うわけで、だ。

 俺たちは今度の戦で姫様の安全を保障できない。

 どうか考え直してくれ」


 俺は改めて姫様に頭を下げた。


「顔を上げなさい、ジャック」


 その声を聴いただけでもう答えは予想できた。

 顔を上げ、その蒼く冷たい瞳を見て確信する。


「危険であることはよくわかったわ。

 それでも、私は貴方についていきたい。

 行かなければならない」


「……せめて、理由を聞かせてくれ」


「名声が必要だからよ。

 私には力がない」


「あんたは王族だ。王族に力がないなんて、そんなわけはないだろう。

 この間だって、役人は姫様の顔を見ただけで――」


「あれはステフのお陰よ。

 私にだって多少の財産はあるけれど、権力と呼べるものは全てステフが相続しているの。

 私が偉そうに振舞えるのは、私の後ろにステフがいるからに過ぎない。

 だからこそ、名声が必要なの。

 誰にも無視されないだけの、私自身の名声が。

 そしてそれは、自らを危険に晒さなければ手に入らない」


「今回は殆ど盗賊仕事だぞ。

 名誉もクソもあったもんじゃない。

 こんなのが名声になるのか?」


「少なくとも、安全な場所から口だけ出す女、なんて誹りは免れられる。

 それに、どのような形であれ勝利に貢献すればそれなりに扱われるわ」


 そういうものなのだろうか。

 まあ、そういうものなんだろう。

 俺はもう一度姫様の瞳をまっすぐに見つめた。

 姫様も目を逸らさずに見つめ返してくる。

 これ以上はどれだけ言っても無駄だろう。

 俺は腹をくくることにした。


「理屈は、分かった。

 だが、いくつか条件を出させてくれ」


「内容次第ね」


「まず、戦場では俺の指示に従うこと。

 特に安全に関することについては絶対にだ。

 姫様に死なれたら、何もかもがお終いだからな」


「いいでしょう」


「それから、戦場に出ている間は正体を隠して貰う。

 絶対に名乗ったりしないでくれ」


「……理由を聞かせて貰おうかしら?」


 姫様は不満そうだ。

 そもそもの目的が名声なんだから気持ちは分かるが。


「敵にしてみりゃ王族を捕えれば大手柄だ。

 それがたかだか八十人の護衛で目の前をうろついてると知れば目の色変えて襲ってくるだろう。

 そうなれば手柄どころの騒ぎじゃない。

 逃げるので精一杯……いや逃げ切れるかすら怪しい。

 無事に帰還出来たらいくらでも吹聴してくれていいから、戦場にいる間は我慢してくれ」


「まあ、仕方ないわね。

 他には?」


「ない」


「じゃあ決まりね」


 姫様がそう言ってにっこりと笑う。


「……とんだワガママ姫につかまっちまったもんだぜ」


 小声でぼやいたつもりだったのだが、姫様は聞き逃してはくれなかった。


「何をいまさら。

 だいたい、貴方が自分から我が侭を言えって言ってきたんじゃない」


 全く身に覚えのないことを言われて俺は首を傾げた。


「そんなこと言ったっけ?」


「ええ、私はしっかりと覚えているわ。

 リチャードおじ様に決闘を挑んだ時、確かにそう言われたもの」


 そう言われてみれば、勢いに任せてそんなことを口走ったような気がしないでもない。


「いや、そんなことも言ったけどさ、あれはあの場限りの事というか、その……」


「分かってるわよ。

 でもね、ジャック。あの時、本当に嬉しかったのよ?

 私に我が侭を言っていいなんて言ってくれたのは、マーサ以外には貴方だけだったんだから」



 俺達には、漕ぎ手が五十人もいる大きな軍船二隻が割り当てられた。

 夜のうちにせっせと荷物を運びこみ、翌朝の日の出とともに出航する。

 あわただしい出発ではあったが、俺達にとっては幸いだった。

 既に隊内には姫様の存在は知れ渡っており、あのまま宿営地にいては外に漏れるのも時間の問題だったろう。


 そうして波に揺られること一昼夜。

 俺たちは無事に大陸領はカチュエの港に到着。

 航海中に起きたことについて詳しく語りはしないが、とにかくこの時ほど陸地がありがたいと思ったことはなかった。


 船を降り、また歩く。

 俺は〈犬〉に尋ねてみた。


「なあ、ここからどれぐらい歩けばいいんだ?」


「敵さんの動き次第でさあ。まあ、国境を越えるのに七日ってところですかね。

 そこから先が戦場ってことになりはしますが、実際に接敵するまでにゃあさらに歩くことになるでしょうな」


「うへえ。これじゃ戦争しに来たのか歩きに来たのかわかんねえよ」


「これが戦争ってやつですよ、お頭。

 しっかし、どうしたもんですかね……」


 〈犬〉がそう言いながら、少し離れたところを歩く姫様に目をやった。

 彼女の同行は全くの予定外だったんである。

 当初は、村々を焼き討ちして敵軍の食糧調達を妨害するはずだったが……彼女は恐らくそう言った蛮行には反対するだろう。


「どうにかして説得していただけませんか、お頭」


「無理言うなよ」


 俺に姫様の信念を変えられるんなら、今頃彼女は海の向こう側だ。


「でしょうな。とは言え、一度は話をしておかにゃあなりません」


「だな」


 この手の事は、きちんと腹を割って話しておかないと大事になる。

 それが先の騒動での教訓だった。


 そうしたわけで、その日の晩になって俺たちは姫様の天幕を目立たぬように訪ねた。

 今の彼女は修業中の尼僧ということになっているし、方針について揉めているところを大っぴらに皆に見せるべきではないという〈犬〉の助言もあったからだ。


 天幕に入り、俺と〈犬〉は揃って姫様の前に膝をついた。


「殿下、一つご相談したいことがございます」


「何よ、ジャック。あらたまっちゃって」


「戦の方針についてです」


 姫様は不思議そうに首を傾げた。


「戦のやり方には口を出さないと言ったはずよ。

 一番良いと思うやり方でやればいいじゃない」


「我々に与えられた任務は、敵軍勢の進行妨害です」


「それは聞いてるわ。

 要するに足止めすればいいんでしょ?」


 俺に代わって〈犬〉が口を開いた。 


「はい、その通りです。

 そのために最も効果的な手段をご存じでしょうか?」


「橋を落としたりかしら?」


「はい、それも有効な手段です。

 ですが、それ以上に効果的なのは相手の食料を断つことです。

 そのために街道沿いの村々に対して略奪や放火を仕掛けることが我々に期待されている仕事です。

 給養の悪化は、行軍速度だけではなく敵の戦意や能力をも低下させます」


 姫様の眉間にグッとしわが寄った。


「酷い仕事ね。

 他にやりようはないの?」


「もちろんございます。

 しかし、それにはいくつか問題もあるのです。

 まず、資金について。

 ウェストモント公から棒給はいただいてはおりますが、隊を維持するのに手いっぱいでございます。

 装備の向上や軍馬の購入など、殿下のお役に立つためにはまだまだ多くの資金が必要です」


「その資金を、略奪で得ようとしていたってこと?」


 殿下の声は冷たい。

 〈犬〉が冷や汗を一筋垂らしながら応じた。


「その通りでございます」


「それで、他の問題は?」


「効率です。やはり、食料を断つには村を焼くのが一番なのです。

 その上、略奪をすれば我々自身の食糧も手に入ります」


「効率の問題なのよね?

 だったら多少下がったって――」


「しかし殿下、我々がしくじればそれだけ味方の損害が大きくなります。

 最悪、ウェストモント公の御身にも危害が及ぶやもしれません」


 弟が危険に晒されると聞いて、姫様は言葉に詰まった。

 が、すぐに気を取り直すと今度は俺に話を振ってきた。


「ジャック、貴方はどう思ってるの?」


 どうもこうもない。

 答えは決まっていた。


「必要とあらば、どのような悪事にも手を染めて見せます」


「嘘つき」


 姫様に罵倒された。

 俺は嘘がつけないのは知っているはずなんだが。


「貴方達だって、本当はやりたくないんでしょう?

 だから、わざわざ私の所に言いに来た。

 違うかしら?」


「そ、そのような――」


 つもりはなかった、と言おうとして今度は俺が言葉に詰まった。

 嫌だという気持ちがないと言えば嘘になる。

 だが、そんなつもりで相談したわけでは、ない、はずだ。


「いいでしょう、それなら私が命令してあげる。

 無辜の民が傷つかぬよう、最大限に努力しなさい。

 いいわね?」


「はっ」


 俺と〈犬〉は揃って拝命し、天幕を退出した。



「で、どうするんだ?」


 声が届かない程度に姫様の天幕から離れた後、俺は〈犬〉に訊ねた。

 〈犬〉の奴はやれやれといった調子で答えた。


「ま、さっきも言ったように効率にこだわらなきゃやりようはあります。

 資金の方は……名のある騎士でも引っかかるようお祈りしますかね」


 いかにもめんどくさそうな声の調子とは裏腹に、その顔つきはやけにさっぱりしていた。


「毒されてやがんな」


「何にですか?」


「姫様に、だよ」


 俺の答えに〈犬〉が笑った。


「お互い様でしょう」


「まあ、な」


 これでよかったのかもしれない。

 兄弟達だって、今更そんな略奪の類を命じられてもきっと反発しただろう。

 そして盗賊どもをそんな風に変えたのは一体誰であったか。


 ため息をつきながら見上げれば、雲一つない夜空に真ん丸な月が輝いていた。

 しかし、なんともまあ、偽善的な話じゃないか。 

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