第24話 梅雨の日々

 せっかくの日曜日は、朝から不安定な空模様だった。天気予報はくもり時々雨で、こういうはっきりしないのが一番困る。今は雨が降っていないが、大丈夫だろうと出かけた時にかぎって大雨になったりするのだ。

 瞭子は、外出を早々にあきらめたようで家の掃除を始めた。こうなると、兄が家の中でごろごろしているわけにはいかない。仕方なく、庭の手入れをすることにした。


 裏の畑に植えたトマトときゅうりは順調に成長していた。トマトは背丈が伸びたので支えるための棒を設置し、きゅうりにはツルが絡むようにネットを張っている。この調子で大きくなったら、ちゃんと収穫できるかもしれない。俺は、園芸部の畠山君のアドバイスどおりに手入れをすることにした。

 天気が悪いから仕方なく始めたのだが、やっていると意外に熱中してしまった。伸びてきたトマトのわき芽を取ったり、きゅうりの葉についていた謎の虫を追い払ったりしていると、どんどん時間が過ぎていく。


「ふうむ、肥料もまたやらないといけないのかなあ。畠山君に聞いてみるか。でも、あんまり深入りしすぎると園芸部に入部させられそうだしなあ」


 畠山君は良い友だちなのだが、事があるごとに園芸部に勧誘してくるのが困る。これは登山部の三嶋君も同じである。どちらも、部員不足に悩んでいるらしい。



 道具を片付けてから家の表側に戻ると、庭にある池の近くで花が咲きかけているのが目に入った。あれは以前に草刈りをしたとき、見慣れない草があったから残しておいたものだ。濃い紫色の花がなんとも味わい深い。引っこ抜いてしまうには惜しい気がしたので、俺は瞭子を呼んで説明しておくことにする。

 しぶしぶといった様子で家から出てきた妹だったが、花を見たとたんに態度を変えた。


「兄さん、これはアヤメの花……いえ、これは菖蒲しょうぶかな。どうして、こんなものが」

「さあ? 昔、母さんが色々と植えていたのが今になって大きくなったとか。きれいだから残しておこうと思うんだけど、いいよな」

「も、もちろんよ。逆に、他の雑草と一緒に刈ったら駄目だからね」

「はいはい、俺にだって風流を解する心ぐらいはあるよ」


 変わった雑草だと思っていたが、まさか菖蒲の花だったとは。母さんが庭いじりをしていた頃に見た記憶はなかったのに、どうして今になって咲いたのだろう。瞭子は腕組みしつつ何かを考えている様子だったが、急に笑顔になった。


「ちょうどいい具合だから、これ学院に持っていくわ。全部持っていくわけじゃないから、いいでしょう?」

「そりゃあ、俺が育てたわけでもないし、いいんじゃないか。むしろ、うちの庭にあっても俺たちしか見ないから有効活用した方がいいかもな」

「ふふふ、庭に咲いた菖蒲の花。さりげなく華道部に持っていって、あわよくば部活に参加させてもらおうかな」

「なんだか、俗な本音が漏れ出しているぞ」

「兄さん、花代って高いのよ。……コホン、私はあくまで、家の庭にきれいな花が咲いたから持っていくだけ。華道部の友達も、遊びに来てって言ってたし」


 どうやら我が妹は、したたかに学校生活を楽しんでいるらしい。俺は生け花に興味はないが、瞭子は昔から近所のおばさんに教えてもらったりしていたようだ。家でも、たまに飾っていることがある。


「そうだ、すみれに見せてみようかな。いくらお嬢様と言っても、庭に菖蒲の花が咲いているってことはないはず」

「白河さんのことだっけ? 瞭子は相手が意識してくるって言ってたけど、実はこっちが迷惑をかけているんじゃないだろうな」

「そ、それはないわよ。庶民は庶民の強みで勝負しているだけだから。あっ、この花は兄さんが育てたことにするわ」

「いや、草刈りのときに残しておいただけだから。それに、俺が世話をしたからって箔がつくわけじゃないだろう」

「さて、それはどうかしら。あっ、よく見たらここにも菖蒲の花があるわ。……これは、もっと探せば色々な花が見つかるかも。兄さんも手伝ってよ」


 急に乗り気になった瞭子は、着替えるために家へと戻っていった。俺はため息をつきながら空を見上げたが、こういうときに限って雨は降ってこない。

 その後、俺たちは2人で庭の手入れをしながら、休日を過ごしたのだった。

 



 月曜日、朝早くから近所のおばさんが家にやってきた。何かあったのかと思ったが、瞭子と2人で庭に出ていく。どうやら、菖蒲の花を切って持っていく準備をするらしい。ハサミやバケツを用意して、池のそばで何やらごそごそとやっている。俺は思いつかなかったが、花を良い状態で運ぶにはそれなりの処置が必要なのだろう。



 切った菖蒲の花は、細長いかばんに入れられた。かばんの上部からは、濃い紫のつぼみがのぞいている。


「おばさま、ありがとうございます。お花用のかばんを貸していただいただけでなく、切るのも手伝っていただけるなんて」

「いいのよ、瞭子ちゃん。それは、あたしが昔に使ってた物だから気にしないで使ってよ。……こうして見ると、本当に良家の子女みたいだねえ」


 おばさんは、制服を着て玄関に立った瞭子を見て目を細めた。俺も口には出さなかったが、制服をきれいに着こなして菖蒲の花を持つ姿は絵になっている。


「いえいえ、私なんてまだまだですから。今日のお礼は、あらためてしますね」

「ふふ、そんなのかまわないから。それより学校に着いたら、なるべく早く花を水につけてあげてね」

「はい、友人にお願いしてありますから、せっかくのお花が長持ちするようにしますね」


 瞭子はおばさんに頭を下げると、俺の方を見た。


「兄さん、今日は午後から雨らしいから自転車はやめておいた方がいいわよ」

「ああ、今日は歩いていく。瞭子も気をつけろよ」

「私はバスだし、傘も準備しているから。……では、行ってきます」


 家の裏道を登っていく瞭子を、俺とおばさんで見送った。

 瞭子の姿が見えなくなると、おばさんがぽつりとつぶやいた。


「瞭子ちゃん、きれいになったねえ。本当のお嬢様みたいだわ」

「……がんばっているようですね」


 俺が無難な感想を口にすると、おばさんは意味ありげな笑みを浮かべた。


「八重藤学院は女子校だから、お兄さんが変な心配をしなくて良かったねえ。うふふふ」

「いや、俺は別に心配なんて……あっ、今日は自転車じゃないから、そろそろ行かないと」

「はいはい。……明君は共学なんだから、あっち方面をがんばってもいいんじゃない?」

「ま、まあ、善処します」

「へえ、善処するんだね。おばさんは、しっかりとこの耳で聞いたからね」

「そ、そろそろ、行ってきます」


 この場に居ると、おばさんが更に何か言ってきそうだったので、すみやかに学校へと出発することにする。軽く頭を下げた俺を、おばさんは妙に明るい笑顔で見送ってくれた。

 まったく、がんばれと言われても、何をがんばると言うのだ。




 午後からは天気予報どおり雨になった。しとしと降り続ける雨は放課後になってもやまず、運動部の同級生がため息をついている。中には、喜んでいるやつも居るようだったが。


 今日は、掃除当番の日だった。外だったら中止になるのだが、あいにく廊下の掃除である。俺は、同じく当番だった霧島さや香とほうきを持って、せっせと廊下を掃き清めた。霧島さんは、きわめて真面目な態度で掃除に集中している。見た目は、わがままなお嬢様風だがこういった作業に不平を言ったことは無いと思う。

 霧島さんってわりと謎が多いな、そんなことを考えていると当の本人と目が合った。


「うん? 霧島さん、何かあったの」

「い、いえ。……な、なんでもありませんわ。ええと……」

「あっ、ちりとりか。持ってくるから待ってて」


 よく見ると、ずいぶんとほこりが集まっていた。ほうきを置いて、ちりとりを取りに行くと、背後で霧島さんがため息をついたような気がした。


 雨の日の掃除当番は、何事もなく終わった。

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