第45話 桜川亜衣と家具店にて

 俺は、桜川亜衣さくらがわあいにドーナツのお返しをするため輸入家具の店にやってきていた。店内は天井が高く、売り物の家具は余裕を持って配置されている。彼女は、きょろきょろと周囲を見回していた。


「北欧からの輸入家具かあ、デザインが良いよねえ。あっ、この本棚可愛い……う、値段はあまり可愛くないかも」

「正直、俺のお小遣いだと雑貨ぐらいしか買えそうにないね」

「ふふ、あたしも同じだよ。ねえ、こうやって家具を見ているだけでも楽しいけど、何か買うの?」

「いや、目的はこの前のドーナツのお礼だから」


 俺たちは、ソファやベッドが並ぶ通路を抜けて店の奥へと向かった。窓際のスペースには、数種類のテーブルセットが置かれている。

 どれにしようかな、と考えていると品の良い感じの女性店員が声をかけてきた。


「あら、また来てくれたの。どうぞ、好きなところに座ってね」

「ありがとうございます。どれも素敵なテーブルですね。おすすめの物はありますか?」

「そうねえ……あら、あらあら、今日は女の子を連れてきたのね。じゃあ、この白のテーブルセットはどうかしら。シンプルに見えるけれど、無駄を省いて機能性と美しさを両立させているの」

「いいですね。では、これにします」


 俺は、戸惑った様子の桜川さんをうながして、細長い形の椅子に座った。一見して不安定そうに見える椅子だが、腰掛けてみるとピタッと吸い付くように安定する。女性店員は、俺たちの様子を見て笑みを浮かべると、この場から離れて行った。


「ね、ねえねえ、一ノ瀬君、これってどういうこと? 店員さんの言い方だと、前にも来たことがあるみたいだけど」

「寺西君と一緒に来たことがあるんだ」

「ええっ、理想のデートスポットを探すとか、よくわからないことを言ってたあれなの」

「いや、それはすぐに飽きたというか諦めて、普通に街をぶらぶらすることになったから」


 若干引き気味の桜川さんに、俺は慌てて弁解した。実は結構やっていたのだが、そんなことを馬鹿正直に言う必要はないだろう。


「そ、それで、このお店を見つけたんだ。入り口のところに、喫茶コーナーありますって小さく書いてあったから2人で行ってみたわけだよ。家具店なのに、どういうことかなって」

「そういうことだったんだ。でも、どうして家具店に喫茶コーナーがあるのかなあ」


 俺が説明しようとすると、さきほどの女性店員がそばにやってきていた。彼女はテーブルに水の入ったコップを置きながら、桜川さんに笑いかける。


「家具はね、やはり実際に使って見ないと良さがわからないでしょう。だからね、お客さんに気軽に使ってもらおうってことでこのスペースを設置したのよ。他にも、休憩してもらったり、あそこのテーブルみたいに商談に使ったりもしているわ」

「わわっ、そうだったんですね。でも、あたしたちみたいな学生が使ってもいいんですか? 家具はどれも素敵だと思うんですけど、買えるようなお金は……」

「ふふっ、そんなの気にしなくていいのよ。せっかく、喫茶スペースを作ったのに遠慮しているのか利用する人が少なくて困っていたから。それに、こうやって実際に使っているところを見て、他のお客さんが良いなって思ってくれるかもしれないでしょう」


 女性店員は、そう言って微笑んだ。年齢的には中年ぐらいなのだろうが、はつらつとした感じの人である。そんなことを考えていると、彼女は俺の方へ意味ありげな視線を向けてきた。


「でも、今のうちに彼氏におねだりしておけば、数年後に買ってもらえるかもしれないわよ」

「ひゃうっ、あ、あたしたちは……そのう、あうう」


 取り乱す桜川さんを見て、女性店員はますます笑顔になった。ここで慌てたりすると相手を喜ばせるだけなので、俺は落ち着いているように装う。


「それはさておき、注文をお願いします。ケーキセット2つで」

「はい、承りました。って、君はクールなのねえ」

「これはクラスメート同士の健全な交流ですから」

「健全かあ……うんうん、青春ねえ。では、少々お待ち下さい」


 女性店員は、何やらうなずきながら行ってしまった。よくわからないが納得してくれたようである。ふと、桜川さんが顔を赤くして気まずそうにしていることに気づいた。


「あう、何だか恥ずかしいよ」

「店員さんの茶目っ気みたいなものだから、気にしなくていいと思うよ。メニューを勝手に決めちゃったけど、大丈夫だったかな。というか、ここは専門の喫茶店じゃないから、コーヒーかケーキのついたケーキセットしかないみたいなんだけど」

「そうなんだ。いいよ……ええと、ドーナツのお返しってことでおごってくれるんだっけ? ええと、大丈夫かな」

「問題ないよ。一度、寺西君と来てるから値段はわかっているから。まあ、このテーブルを買って欲しいって言われたら困るけど」

「ちょ、ちょっと、あたしはそんなに厚かましくないよ。あたしは、この素敵なテーブルで一ノ瀬君とお茶できれば十分だから」


 可愛らしく頬をふくらませた桜川さんだったが、不意に俺から目をそらして窓の方を向いた。まだ、恥ずかしいのだろうか。


「ここって眺めがいいでしょ。俺たちの学校も見えるし」

「あっ、本当だ。こうやって見ると、お城の跡だっていうのが良くわかるね。さっきまであそこで授業を受けてたなんて、不思議な感じ」


 こちらに向き直った桜川さんは、普段の様子に戻っていた。


「それにしても一ノ瀬君は、よくこんな良い場所を見つけたんだね。あたし1人だったら、なかなか入れないと思うの」

「別に大したことじゃないよ。まあ、普通に興味があったから見てみただけだし」

「うーん、一ノ瀬君ってひょうひょうとしているっていうか、謎の落ち着きがあるよね」


 話していると、さきほどの女性店員がトレイを持ってやってきた。テーブルに小さなチョコレートケーキとコーヒーが静かに置かれる。


「はい、どうぞ。うちは喫茶の専門店じゃないから、メニューはこれだけなの。その分、テーブルセットの使い心地を楽しんでもらえると良いのだけど」

「あの、とても素敵だと思います。あたし、こういうお洒落な家具でお茶してみたかったんですよ」

「ふふ、それは良かった。……がんばってね」


 女性店員は、俺たちに意味ありげな視線を送ると、笑顔で去っていってしまった。一体、何をがんばれと言うのか。桜川さんは、再びもじもじした状態になってしまったではないか。


「桜川さん、あれは深く考えない方がいいよ。俺たちをからかっているだけだから」

「う、うん、そうだよね」

「もしかすると、俺にこのテーブルセットぐらい即決で買えるようになれって意味で、がんばれかもしれないけれど」

「ええっ、このテーブルっていくらだっけ? うう、間違ってもコーヒーをこぼさないようにしないと」

「はは、そんな大袈裟な……気をつけた方がいいみたいだね」


 シンプルだが品のある良いテーブルだと思っていたのだが、値段はシンプルではなかった。こんなものを喫茶コーナーに使うとは。


「一ノ瀬君、その反応はちょっとカッコよくないよ」

「いや、この値段の桁数は恐ろしいよ。よし、今日は礼儀正しくコーヒーセットをいただくぞ」

「もう、何を言ってるのよ」


 桜川さんはクスクスと笑った。つられて俺も笑ってしまう。


「ところで桜川さん、変わったシチュエーションになったけど、ドーナツのお返しとしてはどうかな?」

「うん、すごく良いと思うよ。あっ、今日はありがとう。あう、まだ食べてないけど」

「じゃあ、さっそく食べようか。……テーブルを汚さないように」


 俺は、いつもより慎重な動作でコーヒーを口に運んだのだった。

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