第46話 桜川亜衣へとお返し

 窓からは、俺たちの住む街や城跡にある学校がよく見える。晴れてはいるが、ときどき大きな雲の影がゆっくりと通り過ぎていく。

 俺は、桜川亜衣さくらがわあいと放課後のコーヒーを楽しんでいた。輸入家具の店の一角にある喫茶コーナーでは、ゆったりとした時間が流れているように感じる。


「ねえねえ、一ノ瀬君て、最近……うーん」

「どうしたの?」


 桜川さんは何かを言いかけたようだが、口ごもってしまった。彼女は、しばらく考え込むような素振りをしていたが、顔を上げてこちらを見た。


「なんていうか……その、やっぱりなんでもない」

「そんな反応をされて気にならないわけないでしょ」

「うう、そうだよね。ただ、内緒にしてほしいんだけど……」


 そう言って桜川さんは、声を小さくした。俺も耳を澄ませて、聞くことに集中する。


「女子の中で注目が集まっているっていうか……うーん、うまく言えないけど、そんな感じなんだよね」

「なにそれ? 別に変なことはしてないと思うけど」

「そ、そういう意味じゃないよ。ほら、一ノ瀬君ってこの前の文化祭の催し物を決めるときに、美花や委員長をサポートしてたでしょ。それとかで、頼りになるなあって感じで」

「なんか大袈裟な気がするけど、俺は部活とかある人が困るだろうなって思っただけだから」

「思ってても、なかなか行動には移せないものなんだよ。あたしも、すごいなって思ったんだから」


 俺は以前のホームルームの時間の出来事を思い出す。あれがきっかけで、武笠優利むかさゆうりと山名詩乃にお茶会に誘われたのだっけ。


「とにかく、そういうことがきっかけで一ノ瀬君って意外とやるなあって感じになってるのよ」

「へえ、まあ悪い気はしないなあ」

「むむっ、デレデレしちゃダメだからね。評価が上がってるってぐらいの話なんだから」


 桜川さんは、お皿の上のケーキを小さく切り分けながら頬をふくらませた。


「あたしは、去年から一緒のクラスだったから……その、一ノ瀬君がいい人だっていうのはよく知ってるの。だから、その、最近になって注目しだすのはモヤモヤするっていうか……うう、この話はこれで終わり。変なこと言ってごめんね」

「そう? 俺は、桜川さんにいい人だって思ってもらえて良かったと思ってるけど」

「そ、そうなんだ。ま、まあ、あたしは人を見る目があるから」


 桜川さんは一瞬顔をあげたが、再びケーキを切る作業に戻った。なんだか、ずいぶん小さく切り分けている気がする。


「一ノ瀬君、さっき女子から注目が集まっているって言ったけど、勘違いしちゃダメだからね。あと、これは内緒にしておいてよ」

「わかってるよ。女子から注目って言っても、河野君が試合でホームランを打ったら注目されるみたいなものでしょ。俺は、わきまえた男だから、うぬぼれて恥をかいたりしないぞ」

「ふふっ、一ノ瀬君って面白いね。河野君かあ、今もあそこで練習してるんだよねえ。青春って感じ」


 少し笑った桜川さんは、いつもの調子に戻った。今日はコロコロと様子が変わるのだが、これが彼女の魅力でもある。俺も、彼女の視線を追って学校の方を眺めた。グラウンドは判別できるものの、さすがに人までは見分けることができない。


「部活かあ、いかにも青春だよなあ。でも、俺たちも結構青春してるんじゃない? 自分で言うのも変だけど」

「えへへ、そうだね。こんな素敵なお店に案内してもらったし、すごく楽しい」


 にこやかに笑う桜川さんは、とても魅力的に見えた。俺は、思わずカップを口に運んだのだが、既に空になっている。


「おかわりはいかがですか。サービスしますよ」

「うわっ」


 いつの間にか、女性店員がすぐそばに来ていた。全く気配を感じなかった。


「いいんですか。では、お言葉に甘えていただきます」

「どうぞ、遠慮なく。彼女さんも、いかがですか?」

「はうっ、あたしは、その……彼女っていうか」


 声をかけられた桜川さんは、驚いたのか切り分けたケーキをさらに細かくしている。


「桜川さん、おかわりの話だから」

「うう、そうだった。ええと、いただきます」

「ふふふ、青春ねえ」


 俺たちの反応を見た女性店員は、どこか上機嫌な足取りで去って行った。困った人だが、悪い感じはしない。

 サービスのコーヒーをいただいた俺たちは、放課後の時間をゆっくりと過ごしたのだった。




 お店を出たあと、俺たちはバス停で別れることにした。自転車で坂道を行くのは爽快だが、スピードが出すぎないように注意しながら下っていく。景色を眺めながら、今日も楽しかったなとぼんやりと考えた。

 ここ最近、クラスの女子と交流することが多かったように思う。原因が何かといえば、瞭子がクラスにやってきたことや、たこ焼きを食べに行ったことだろう。思わぬ出来事ではあったが、愉快な日々だったと思う。まあ、女の子たちが律儀にたこ焼きのお返しをしてくれたけれど、今日でそれも終わりだろう。


 赤信号待っていると、後ろからバスがゆっくりと近づいてきた。ふと視線を向けると、桜川さんが窓で手を振っている。ちょっと恥ずかしい気がしたが、俺も手を振り返すことにした。こんな他愛のない行為なのに、彼女はとても嬉しそうな表情を見せた。


 信号が変わると、彼女を乗せたバスは先に行ってしまった。俺は、なんとなく自転車を停めたまま見送ることにする。明日からは、平凡だがそれなりに楽しい毎日が待っているのだろう。あらためて、遠くに見える学校を眺めてから家路についたのだった。




 俺は清々しい気分で帰宅したのだが、リビングルームでは瞭子が難しい顔をして座っていた。なんだろう、出鼻をくじかれた気分だ。


「ただいま。何あったのか?」

「おかえり、兄さん。別に問題ってわけでもないのだけれど……」


 浮かない顔をした妹は、どうも歯切れが悪い。


「もしかして、今朝作って持っていったサンドイッチで何か言われたのか? こっちは友達に分けたら大絶賛だったぞ」

「本当? ふふ、兄さん、その話をもっと詳しく話してよ」


 瞭子は椅子に座り直すと、澄ました顔で聞いてきた。


「ええっと、トマトとかの苗をくれた友達に食べてもらったけれど、シャキシャキ感があって美味しいって言ってたな。あと、具材の厚さとか全体的に丁寧に作ってあるって感心もしてたよ」

「へえ、意外と細やかなところまで味わってくれているのね。兄さん、友達って女の子?」

「違うぞ。畠山君は少年ぽい見た目だけど、れっきとした男子だぞ。俺は、いつも男友達と昼食を食べてるからな」

「なあんだ。でも、美味しいって言ってもらえたのなら作った価値はあったわね」


 何気ない口ぶりではあったが、兄としては妹が上機嫌になっていることを感じる。


「他の友だちにも食べてもらったけど、美味しいって口をそろえて言ってたな。1人はパンにバターが塗ってあるのは何故だろう、っていうレベルのやつだけど」

「ふうん、まあ男子はサンドイッチなんて自分で作らないでしょうね。美味しく作るのはね、意外と手間がかかるものなのよ」

「あっ、もちろん俺も美味しかったよ。最近、暑くなってきたからきゅうりのシャキシャキ感とトマトのさっぱりした味が良い感じだった」

「それなら良かったわ。今度はもうちょっと手間をかけて、具材も豪華にしようかな」


 瞭子は、さきほどの様子とは打って変わって得意そうな表情になった。どうやら、深刻な問題を抱えているわけではなさそうだが。

 

「瞭子の方はどうったんだ? 手作りサンドイッチを友達に見せつけ……いや、一緒に食べるって言ってたような」

「それなのよ、それ。実は、思わぬ方向に話が転がって困ってたのよ。ああ、もう、こんなことになるなんて……」

「……ふう、ひとまずお茶でも淹れようか。じっくり話を聞くよ」


 俺は観念してキッチンへと向かった。こういったときにしっかり話を聞かないと、妹は不機嫌になる可能性が高いのだ。いや、これは俺の経験からすると女子全般に共通する傾向のような気もするが。


「兄さん、この間もらった高級な茶葉は使わないでね。もうちょっと温存しておきたいの」

「へいへい」


 俺は背後からかけられた声に返事しつつ、お茶の準備を始めた。

 それにしても何があったのだろう。まあ、俺が何かをしなくてはならない、という事態ではないと思うのだが。

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