第47話 我が家にお嬢様がやってくるらしい
俺はキッチンで2人分のインスタントコーヒーを淹れて、リビングルームへと向かった。テーブルでは瞭子が何やら難しそうな顔をしている。一体、どうしたというのだろう。
「とりあえず、コーヒーを淹れたぜ。ええと、学院にサンドイッチを持っていったら、何かあったんだっけ」
「ありがと、兄さん。そう、サンドイッチなのよ」
瞭子はカップには手をつけないで語り始めた。これは、長くなるかもしれない。夕食の準備までには終わると思うのだが。
「別に何か言われたとかじゃないんだろ」
「サンドイッチ自体は好評だったわ。お嬢様学院とはいっても、家で栽培した野菜を使える人なんてそうそう居ないから、みんなに配ったら喜んでくれたのよ。
菫、というのは瞭子が意識している感じの女の子である。一緒にご飯を食べているわけだから、仲が悪いわけではないと思うのだが、気になるところだ。
「菫って、白河さんだっけ。前に会ったときは、礼儀正しい感じの人だったし、瞭子が迷惑をかけているんじゃないだろうな?」
「違うわよ。向こうが意識してるだけ。今回は、さすがに揚げ足取りをしたりしてこなかったわ。兄さんの作った野菜が効いたのかもね」
「そりゃあ、友人の身内が作った野菜にあれこれ言えないだろう」
「ふうん……まあ、そういうことでもあるのかな」
瞭子は、どこか含みのある言い方をするとカップに口をつけた。少し気になったが、本題とは関係なさそうなので黙って聞くことにする。
「兄さんが野菜を育ててくれたおかげで、みんな喜んでくれたわけなのよ。その中でも、莉世なんかは感激した様子だったわ」
「莉世っていうのは、たしか瞭子をお姉さまって呼んでる子だっけ。えーと、十条さんか」
「そうよ、その莉世が問題なのよ」
「えっ、今の話の流れで何が問題なんだ?」
ため息をつく瞭子に、俺は首をかしげることになった。手作りのサンドイッチが喜ばれたという、良い話ではないのか。
「それがね、野菜を家の裏にある畑で育てているって言ったら、見てみたいって言い出したのよ。断ろうと思ったのだけど、莉世がすごく期待しているみたいだから、つい承諾しちゃったのよね」
「別にいいんじゃないのか? 畑って言うほどのものじゃないけど、見られて困るものじゃないだろ」
「困るでしょ」
俺の返事に対して、瞭子はスパッと言い切った。妹はため息をつくと、コーヒーを一口飲む。
「困るのか? たしかに畑自体はささやかなものだけど、それに対してどうこう言うような子じゃないだろ」
「畑はいいのよ、兄さんがきちんと世話してくれているし。でも、わざわざ来て畑だけを見て、それで帰ってもらうわけにはいかないでしょう。必然的に、家に上がってもらうことになるじゃない」
「ああ、そういうことか。じゃあ、その日はどっかに出かけることにするから、予定が決まったら教えてよ」
「そうじゃないのよ。畑の件もあるから、兄さんには居てもらった方がいいの」
「それは構わないけど」
妹の友達が遊びに来るというのなら、兄として家庭菜園を案内するぐらいは問題ない。しかし、瞭子の悩みは別のところにあるようだ。
「ありがとう、兄さん。でも、畑を見たあとはどうしようかしら。莉世は良いところのお嬢様なのよね。この古い家に上がってもらって、今みたいにインスタントコーヒーを出すわけにはいかないし。何かすることを考えないと……」
「悩んでいるのは、そのことだったのか。別に普通でいいんじゃないのか? 十条さんだって、特別なもてなしを期待してるわけじゃないだろう。友達なんだから、自然体で遊べばいいじゃん」
「兄さん、自然体とかありのままっていう言葉は響きは良いけど、それに甘えていては進歩はないのよ」
瞭子は急に真面目な顔になって、姿勢を正した。これから大事な話をするぞ、と言わんばかりにテーブルの上で両手を組む。俺は、面倒くさいという思いが顔に出ないように気を引き締めた。
「そりゃあ、莉世は良いところのお嬢様だし、礼儀をわきまえているから、ネガティブなことは口にしないでしょう。でも、だからと言って、適当な応対をするわけにはいかないのよ。期待してくれているみたいだから、できるだけ応えたいのよね」
「まあ、友達が来るなら、できるだけ楽しんで欲しいという気持ちは理解できるよ」
「そうそう。うちは普通の家よ。でも、その範囲内で、できるだけのことをしたいの」
友達が遊びに来るだけなのに大袈裟だと思う。しかし、一方で瞭子はこういう向上心でお嬢様を目指して、難関の学校へ合格したのである。俺はシスコンではないが、兄として妹に協力するのはやぶさかではない。
「わかったよ。俺だって、お金持ちお嬢様に庶民の暮らしも結構良いところがあるって見せたい気持ちがある。この家は、お婆ちゃんの残してくれた思い入れのある場所だし。一緒に、何か良い方法を考えよう」
「ありがとう、兄さん。……まずは、家の掃除からね。家の周りから徹底的にやらないと」
「えっ、掃除なの? お菓子作りとかの楽しそうなイベントを企画するんじゃないのか」
思わぬ雲行きに、嫌な予感がした。俺は玄関やこのリビングルームをきれいにしておけばいいと思うのだが、瞭子はやたらと気合が入っている。
「お菓子作りは良いアイデアね。それはそれとして、もうすぐ梅雨が明けて本格な夏が来るし、思い切って大掃除しましょうか。そうだ、網戸も手入れした方が良さそうね」
「えーと、妹よ。そこまで大掛かりにしなくてもいいんじゃないかな。普段使う場所を中心に……」
「兄さん、清潔は日本人の美徳なの。戦国時代に日本へやってきたヨーロッパの宣教師は、貴賤を問わず住宅が清潔なことに感銘を受けたそうよ。私たちも、それにならいましょう」
「いや、うちの家に来るのは宣教師じゃないだろ」
「莉世は両親の仕事の都合で、海外で暮らしていたこともあるのよ」
十条さんは容姿の整ったフランス人形みたいな感じの子だが、海外生活の経験があるのか。もしかすると、それで古い日本家屋である我が家に興味を持っているのかもしれない。
「わかったよ。そのうち夏休みにもなるし、思い切って掃除するか。俺は草が伸びてきた庭をなんとかするよ」
「そう、その意気よ。よし、やる気が出てきたわ」
そう言って瞭子は力強く立ち上がった。謎のやる気に満ちあふれている。なんだか変なことに巻き込まれた気もするが、どうせなら気合を入れてやろう。兄としても、妹が家に友人を招くのだから協力するのが当然である……多分。
その後、俺たちはやたらと張り切って夕食の準備にとりかかったのだった。
十条さんは休みの日にやってくるそうなので、俺たち兄妹は時間を見つけて家をきれいにした。それなりに掃除をしていたつもりだったが、意外とホコリがたまっていたりする。見ないふりをしてた冷蔵庫の裏も、覚悟を決めて掃除をした。瞭子は食器類や炊事道具を精力的に洗い、あれこれと動き回っているようだった。
早朝、庭に出ると、雑草が結構伸びていた。サボっていたつもりはないのだが、雨の日は作業ができないので結果的に手入れができていなかったのである。いつの間にか、何かのツルがうちの庭を侵食していた。刈払機だと絡まりそうなので、物置に鎌を取りに戻ることにする。
「兄さん、何か探しているの?」
物置でごそごそやっていると、瞭子が声をかけてきた。手には箒を持っているのであたりを掃除していたのだろう。
「ツルが伸びてるから、鎌で刈ろうと思ったんだよ。多分、アサガオだと思うんだけど、どこから種が飛んできたんだろうな。もしかすると、昔に自由研究で育ててたやつが野生化したのかも」
「ちょっと待って、アサガオなら刈らないでよ。私も見に行くから」
瞭子に謎のツルを見てもらった結果、伸びすぎた部分をだけ刈って温存することになった。妹には何やら考えがあるようだ。
あれこれと動き回っているうちに、十条さんが遊びに来る日がやってきたのだった。
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