第48話 十条莉世が我が家へやってきた
日曜日の10時頃、家の前で車の音がした。
瞭子と2人で玄関に出ると、小型ながら高級感のある乗用車が家の前に停まっている。確かヨーロッパのメーカーの車両だっただろうか。コンパクトな車体ではあるが、格好が良い。
ドアが開くと、水色のワンピースに身を包んだ十条莉世が降りてきた。小柄でフランス人形のような彼女に、よく似合っている。
「おはようございます、お姉さま。本日は、よろしくお願いします」
「おはよう、莉世。そんなにかしこまらなくてもいいわよ。大したおもてなしもできないと思うし」
あれこれと準備していた瞭子だが、なんでもないことのように答える。十条さんは瞭子に頭を下げたあと、俺の方を見て戸惑ったようだ。
「あの、お姉さまの……お兄さまも、どうぞよろしくお願いします」
「う、うん、俺のことは明でいいんだけど。こちらこそ、よろしく」
「莉世、兄さんを兄さまなんて呼ばなくていいわよ。適当に明君でいいんじゃないかしら」
妹の前で、妹でない女の子から兄と呼ばれるのは変な感じである。俺としても距離感に困ってしまう。
「い、いえ、それは馴れ馴れしいですから……お兄さん、と呼ばせていただきますね」
「まあ、俺は何でもいいけど」
十条さんは少し恥ずかしそうに言ったが、悪い感じはしなかった。彼女は俺たちと同じ年齢なのだが、どこか妹感とでも表現するような雰囲気があるのだ。
俺たちが話していると、十条さんを送ってきた彼女の父親が車から降りてきた。ジェントルな感じの彼は、瞭子と俺に丁寧に挨拶したあと、静かに車を発進させたのだった。
梅雨前線が日本列島から遠ざかったおかげで、雲はあるものの良い天気である。俺たちは、家には入らずに裏の畑へと向かう。
「わあ、これがお兄さんが作っている畑なんですね。トマトが赤くて、とても美味しそうです」
ささやかな家庭菜園を見た十条さんは、歓声をあげた。彼女は、興味深そうに近づいていく。
「トマトって、意外と丈が高いのですね。わたしの背と同じぐらいあります」
「これがね、ぐんぐんと伸びるんだよ。高さを抑えた方が、実が沢山できるらしいんだけど、なんだかもったいなくてね」
俺が説明すると、十条さんはコクコクとうなずいた。素直で良い子である。
「そうなの? 兄さん、私は大きく育てて、大量に収穫するつもりなのかと思ってのだけど」
「イメージ的にはそんな気がするけど、茎や葉に栄養がとられてしまうから、適度に剪定した方がいいらしいよ」
「ちょっと、トマトが立派に育つのはいいけど、実の方が大事でしょう。ああ、もう、今からだと間に合わないのかしら」
「大きく育った方が、気分がいいじゃないか。だいたい、ケチくさいぞ」
「兄さんっ、莉世が居るのにケチとか言わないでよ」
いつもの調子で会話してしまったが、十条さんは笑顔で俺たちのやりとりを見守っている。
「ふふ、お姉さまとお兄さんは仲が良いのですね。なんだか憧れます」
「莉世、私は普段からケチケチしているわけじゃないからね。もう、兄さんが変なことを言うから」
瞭子は、不服そうな目で俺を見た。言いたいことがあるようだが、十条さんが居るので我慢しているのだろう。まあ、俺も兄として、妹がお嬢様のイメージを保てるように協力すべきかもしれない。
「さて、野菜は眺めるより収穫した方が楽しいと思うんだ。はい、これを使って」
俺は、瞭子と十条さんにザルとハサミを手渡した。食べ頃のものを残しておいたので、ちょっとした農業体験を楽しめるだろう。
「いいのですか? お兄さんが育てた野菜を、わたしが取ってしまって」
「いいよ、いいよ。こういうのって、なかなか体験できないでしょ」
十条さんは遠慮しつつも、興味津々という様子でハサミを持った。瞭子はというと、昼食に食べる物を探す目つきになっている。
「トマトはね、ハサミを使わなくても軽く持ち上げるようにすれば取れるよ。きゅうりは手で切れないから、ハサミを使ってね。あと、小さいけどトゲがあるから注意して」
「えっ、きゅうりってトゲがあるのですか……あっ、ちょっとチクチクします」
慎重にきゅうりに触れた十条さんは、目を丸くした。驚いたようだが、何故か嬉しそうでもある。瞭子は、きゅうりの大きさや形を丹念に確かめてからハサミを使った。
「きゅうりのトゲは、時間が経ったり輸送中に擦れたりして取れてしまうって聞いたことがあるわね。洗えば簡単に取れるから、気にしないで収穫しましょう」
「つまり、トゲがあるということは、新鮮な証拠なんですね。このきゅうりは、立派ですね」
「少し小さいとは思うけれど……いえ、大きくなりすぎると美味しくなくなるから今のうちに収穫した方がいいかしら。莉世、お願い」
「はい、お姉さま。えいっ」
瞭子と十条さんは、あれこれ話しながら野菜の収穫を始めた。俺は黙って様子を見ることにしたが、実に仲良く作業している。学院での様子はわからないが、この調子だとうまくやっているのだろう。
しばらくして収穫が終わった。十条さんは、野菜の入ったザルをどこか誇らしげに持ち上げる。
「よいしょ、ふう、思ったよりたくさん収穫しましたね。色が濃くてとても美味しそうです」
十条さんは、トマトを1つ取り出すとしげしげと見つめた。
「今なら、採れたてですから鮮度が素晴らしく良いわけですよね。独特の香りがします」
「トマトの匂いについては好みがあるかもしれないけれど、私は好きね。フレッシュな感じがするじゃない」
「ええ、わたしもとても良い香りだと思います」
トマトに顔を近づける十条さんと瞭子を見ていると、ついつい余計なことを言いたくなってしまう。
「グルメ番組とかで、採れたての野菜を食べるシーンがあるよね。がぶっとして、うまいって言うやつ」
「ありますね。とても美味しそうだなって、思って見ています」
十条さんは、手に持ったトマトと俺の顔を交互に見て、目を輝かせた。もしかして、彼女もやってみたいのだろうか。
「俺、あれをやってみたくなって、この前、採ったばかりのトマトをかじってみたんだ。そしたらね……」
「わあ、どうだったのですか」
「……生温い感じがして、あまり美味しくなかった。今は暑い季節だから、太陽で温められているんだ。冷やして、よく洗って食べたほうが衛生的で美味しいと思うよ」
「ああ、それは残念です。……お兄さんが大切に育てたものですから、きちんとした食べ方がいいでしょうね」
そう言って十条さんは、トマトをそっとザルに戻す。俺は微笑ましく見ていたのだが、瞭子は鋭い視線をこちらに向けていた。
「兄さんっ、貴重なトマトを変なことで消費しないでよ。まさか、きゅうりでも試してないでしょうね」
「全部食べたから無駄にはしてないぞ。きゅうりも冷やした方がいいし、トマトと違って味付けが必要だとわかったんだ。名産品を紹介する番組だと『何もつけなくても、うまい』とかやってたけど、うちの野菜では無理だったよ」
「もう、何をしているのだか」
瞭子はあきれた様子でため息をついたが、十条さんがじっと見ていることに気づいていたようだ。
「違うのよ、莉世。兄さんが変なことをするから、たしなめただけなの。普段から、ガミガミ言っているわけじゃないから」
「うふふ、学院と違った雰囲気のお姉さまも素敵です」
ううむ、やっぱりちょっと変わった子なのかもしれない。俺は瞭子に視線を投げかけてみたが、「余計なことは言うな」という感じの雰囲気を感じたので黙っておく。
とにかく、十条さんが野菜の収穫を楽しんでくれたようで良かったと言えるだろう。
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