第49話 十条莉世と過ごす休日

 俺は、家の裏にある畑で野菜を手入れしていた。瞭子と十条莉世は、すでに家の中に入っている。軽く剪定しようと思ったのだが、始めてみると色々な場所が気になりだすのであった。


「うわ、トマトのわき芽がこんなに大きくなってる。むう、葉っぱの影で気づかなかったぜ。どうしようかな、もう花が咲いているしなあ」


 悩んでいると、今度は雑草が密かに勢力を拡大していることに気づく。俺が野菜のために撒いた肥料で、ぬくぬくと大きくなったと思うと腹が立ってきた。

 雑草を地道に抜き、あらぬ方向に伸びたきゅうりのツルを直していると、額から汗がにじみ出てくる。結局、軽く作業するつもりが結構な時間がかかってしまったのだった。



 汗をぬぐいつつ玄関に戻ると、瞭子と十条さんがシートを敷いて何やら作業をしていた。


「兄さん、ずいぶんとがんばっていたのね」

「お疲れ様です、お兄さん」


 俺は、十条さんの存在にあらためて気を引き締め直した。自分の家だと、ついつい油断しそうになってしまうのである。


「やり始めると、何だか気になりだしてね。そっちは何をしているの? ああ、生花か」


 広げられたシートの上には、アサガオと竹筒のような容器があった。アサガオなんてどうやって飾るのかと思っていたが、細長い容器の上から垂らすようにするようだ。2人とも行儀よく作業をしていて、これなら良家の子女に見えなくもない。いや、十条さんは本物のお嬢様だったか。


「お兄さんに育てていただいたアサガオですから、きれいに飾れるようにしますね」

「それは……うん、お願いするよ」

「はい、がんばりますね」


 そのアサガオは勝手に庭で繁殖していた、と言おうと思ったのだが、瞭子から無言のプレッシャーを感じたので黙っておく。まあ、無垢な笑顔でやる気になっている十条さんに水を差すことはないだろう。アサガオを手にした彼女は、いかにも絵になるといった雰囲気である。つい目が引き寄せられそうな魅力があったが、妹の友達をじろじろ見てはいけない。

 俺は着替えると言って、その場を早々に立ち去ったのだった。




 昼食は、素麺がメインだった。収穫したトマトは輪切りにされ、きゅうりはスティック状になって食卓に並んでいる。メニューはシンプルではあるのだが、明らかに盛り付けに気合が入っていた。


「お姉さまは料理がお上手なのですね。はあ、わたしなんてまだまだです」

「上手というより、ちょっと慣れているだけよ。数をこなしていけば、それなりに見えるようになるから」


 いつもの休日の食卓ではあるのだが、妹以外の女の子が居るという状況が新鮮である。3人で手を合わせてから、箸を手に取った。ふむ、素麺は具がいつもより豪華かつ凝ったものになっている。


「さっそく素麺をいただくかな。……うん、暑いときはこの喉越しが良いね。トッピングが豊富だから、組み合わせれば飽きないし」

「どうですか? 錦糸卵はお姉さまと一緒に作ってみたのですが」


 十条さんは、少し首をかしげて俺を見た。


「それは楽しみだねえ。……おっ、素麺とよくマッチして美味しいよ。焦げたところもなく、きれいにできてるから、見た目もバッチリだね」

「ふう、良かったです。とはいえ、ほとんどお姉さまが作ったのですが」

 

 ほっとした様子の十条さんは、自分でも箸を持って錦糸卵を口にした。少食なのか、彼女は少しずつ丁寧に口に運んでいる。いや、これは上品なのだろう。瞭子も、今日はいつもよりゆっくりと食べている気がした。


「莉世は、少しぎこちないところがあるけれど丁寧に料理しているから、よくできていると思うわよ。練習はすれば、きっと上手になるわ。兄さんは、回数をこなしている割に大雑把なところが変わらないけれど」

「お兄さんも、料理されているのですか?」


 顔を上げた十条さんが、意外そうな表情で俺を見た。


「うちの食事は当番制だから、俺が作ることもあるよ。まあ、瞭子の方が上手でバリエーションも多いから、俺の出番は少ないけどね」

「兄さんは、焼きそばとか野菜炒めなんかをどーんとたくさん作るのよね。この前は、餃子を大量に焼いちゃうし。結局、もうちょっと季節の品とか小鉢を加えたくなって、私が当番を担当することが多いのよ」

「でも、意外と……いや、感謝してるよ」


 文句を言いつつも瞭子だって喜んで食べていたではないか、と言おうと思ったが、十条さんが居るので誤魔化しておく。ううむ、俺も上品に振る舞った方が良いのかもしれない。


「お姉さまとお兄さんが2人で暮らしているのって、大変だと思っていましたけれど、楽しそうでもありますね。あっ、もちろん苦労があることはわかっています。わたしだと、毎食の献立を考えるだけで困ってしまいますから」

「そうかしら? 必要に迫られればなんとかなるものよ。兄さんが、安かったからと言って変なものを買ってきたりするけど」

「変なものって言うけど、食べたら美味しいかもしれないじゃないか。チャレンジ精神は大事だぞ」

「ちょっと、美味しいかもしれないってことは、最初から疑っているじゃない。食事が美味しいかどうかのチャレンジにつき合わされる身にもなってよ」


 瞭子と話していると、つい普段の調子になってしまう。それは妹も同じようだったが、十条さんはにこにこと俺たちのやりとりを眺めている。


「兄妹で助け合って生活しているのって、素敵ですね。ふふふ」

「莉世、それは美化しすぎよ。これまでのやりとりで、兄さんが適当な人だってわかったでしょう」

「このトマトときゅうりは、とても美味しいですよ。家族のために心を込めて作ったのがわかります。お姉さまもお兄さんも、本当に家族思いなんですね」

「うーん、それは……」


 俺は何か言おうと思ったが、うまい言葉が出てこなかった。それは瞭子も同じようで、何だか恥ずかしくなってくる。そんな俺たち兄妹を、十条さんは嬉しそうに見ていたのだった。


 昼食のあと、瞭子と十条さんはデザートを作ると言って、忙しく動き回り始めた。甘いものは別腹なのか、女子2人は楽しそうに作業をしている。見ているだけというのも居心地が悪いので、俺も手伝うことにした。

 いつもとは違う3人で過ごす休日は、少し緊張感があったが新鮮で楽しい時間だった。十条さんも満足してくれたようで、何度もお礼を言って、迎えに来た父親の車に乗って帰っていったのだった。




 夕食後、俺と瞭子は恒例のお茶会を開いていた。今日の茶菓子は、十条さんからもらった焼き菓子である。たしか、フィナンシェという名前だったろうか。とにかく、我が家ではなかなかお目にかかることのない高級品である。


「ふう、莉世ったら、気を使わなくても良かったのに」


 十条さんは、俺が畑を手入れしているうちに瞭子に渡していたらしい。なんでも、来てすぐに畑を見に行ったので出しそびれたそうだ。


「俺は、もらえるものはありがたくいただくぞ。それにしても、十条さんって良い子だね。素直で、育ちが良いって感じがするよ」

「そうね、良い意味で擦れていないっていうのかしらね。その分、ちょっとほっとけない感じがするのだけど」


 瞭子は、紅茶を一口飲むと目を細めた。今日は張り切っていたようだから、少し疲れているのかもしれない。


「兄さん、今日はありがとう。莉世が楽しんでくれたようで、ほっとしたわ。妹としては、もうちょっと格好良く振る舞ってほしかったけれど」

「背伸びをしても疲れるだけだと思うけどな。ああ、でも、せっかく来てくれたのだから、喜んでほしいっていうのはわかるよ」


 ささやかな家庭菜園を見て、目を輝かせていた十条さんを思い出すと、微笑ましい気持ちになってくる。


「そうでしょ。我が家でも、きちんと工夫をこらせば十分な魅力があるのよ。兄さんも、背伸びとか言ってないでワンランク上を目指してみたら」

「ワンランク上って何だよ。俺は別に……まあ、人からよく見られたいって気持ちもないことはないけど」


 歯切れの悪い俺に、瞭子はため息をついた。


「はあ、兄さんは無欲なんだから。莉世だって褒めていたのに……あっ、勘違いは駄目よ。チャンスだとか思って、私に迷惑をかけるようなことはしないでね」

「俺のことを何だと思っているんだ。それに、普段と言ってることが逆だぞ。俺がクラスの女子との話をすると、やたらとチャンスだとか言ってくるだろ」

「うっ、まあ事情はそれぞれなのよ」


 瞭子は誤魔化すかのように、焼き菓子へと手を伸ばした。

 朝から慌ただしい日だったが、なかなか愉快な1日だったと思う。俺は紅茶を飲んで、大きく伸びをしたのだった。

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