第50話 机の中に謎の短冊
土日があっという間に過ぎて、月曜日がやってきた。このところ梅雨前線は高気圧に押され気味だったが、一週間の始まりと共に勢力を盛り返したようだ。しとしと雨が降る中、俺は雨合羽を装備して自転車で学校へと向かった。
雨合羽を脱いだり、タオルで頭をふいたりするのに結構な時間がかかってしまったようだ。教室にたどりついたときには、ほとんどのクラスメートが中に居た。みんなに挨拶しながら自分の席に向かうと、寺西君が声をかけてくる。
「一ノ瀬、なんだか遅いじゃないか。ああ、雨だから歩きか?」
「いや、雨合羽を着て自転車で来たよ。結構快適なんだけど、脱いだり着たりするのが面倒なんだよな」
俺は寺西君と話しつつ、鞄を開けて教科書を取り出す。いつものように机に入れようとしたとき、指先に違和感を覚えた。
「あれ、何かが入ってる? 紙きれかな」
「うおお、もしかして、もしかして……内気な女の子からのメッセージなのかっ」
俺は何気なくつぶやいたのだが、寺西君がすごい勢いで食いついてきた。思わず引いてしまいそうな迫力である。
「ちょ、ちょっと待ってよ。これは……手紙とかじゃなくて短冊みたいだ」
「はあ? どうして短冊なんかが机の中に入っているんだ。七夕の願いごとは笹にくくりつけるもので、一ノ瀬の机に入れても叶わないと思うぜ」
「七夕か。そういえば、商店街で買い物をしたときに何かのキャンペーンで配っているのをもらったような気がする。間違って入れちゃったのかな。うーん」
俺は釈然としない気分だったのだが、寺西君はあっさりと興味を失ったようだ。
「なあんだ、買い物のオマケか。平安時代でもあるまいし、短冊にロマンティックなことを書いてやりとりするなんてことは無いよな。そうだ、七夕の願いごとだけど、密かにオレに想いを寄せる内気な女の子が勇気をだしますように、っていうのはどうだろう?」
「そんなことを願われても、織姫と彦星も困るだろ。仮にそんな女の子が居ても、その短冊を見ちゃったら勇気が無くなる……いや、どん引きだろ」
「そ、そうだな。願い事は無難なものにしておくか。ふーむ……」
寺西君は、何やらつぶやきながら離れて行ってしまった。色々とツッコミどころはあるが、まあ彼も本気で言っているわけではないだろう。
俺は、あらためて短冊を眺めてみたが見覚えは無い気がした。しかも、買い物のおまけにしては上質の和紙を使っているような気がする。夜空をイメージしたかのような蒼い短冊には、短歌らしきものが印刷されていた。
「なかなかセンスが良いな。家で飾ってもいいぐらい……あっ」
俺は、とっさに周囲をうかがった。幸いなことに誰も俺の事を見ていないようだ。さりげなく短冊を確認してみると、文字は印刷ではなく、筆を使った手書きだった。あまりに流暢な筆致だったので、気づかなかったのだ。
授業の準備をするふりをしながら読んでみると、どうやら茶会への招待状らしかった。日時と場所、そして内密にしてほしいとの趣旨が記されている。裏表を確認したが、差出人の名前は無い。だが、こんなことをする人物は1人しか思いつかなかった。
教室中をさりげなく見回すと、山名詩乃と目が合った。
彼女は、俺を見てかすかにうなずいた。俺は、短冊を彼女に見えるようにして、うなずいてみせる。彼女は、ほっとしたような笑みを浮かべると深く頭を下げたのだった。
何だかよくわからないなと思ったが、あれこれ考える前にチャイムが鳴った。俺も短冊に何か書いて返せば良かったのかもしれないが、そんな作法や風流は全くわからない。
俺の困惑をよそに担任の先生が教室にやってきて、今日の学業が始まったのだった。
昼休みになると、雨はあがって空が少し明るくなってきた。お弁当を食べた俺は、駐輪場に行って雨合羽を干すことにする。この空模様なら、帰りには必要なさそうである。
教室に戻ると、
「ねえねえ、一ノ瀬君。みんなと話してたんだけど、夏休みは何か計画はあるの?」
「夏休みかあ、まだ考えてないなあ。うちの場合は両親の仕事によって変わってくるから」
「そっかあ、大変なんだね。夏休みに何かできたらいいなって、思っていたんだけど」
そう言って桜川さんは考え込むような素振りを見せた。気がつけば、夏休みを意識するような時期になっていたのである。武笠さんも、真面目な表情で何やら思案しているようだ。
「委員長は何か予定があるの? 真面目に勉強してるようなイメージがあるんだけど」
「もちろん、勉強するわよ。予備校の夏期講習に参加しようか考えているところなの。もう、来年は進路を決める時期になるわけだし」
「ああ、そうか。まだまだと思ってたけど、結構すぐなんだよね。むう、そうなると今年のうちに何か気兼ねなく遊んでおきたい気もするなあ」
何気なく口にしたのだが、意外にも武笠さんも同意してくれた。
「うん、わたしもそう思うの。きっと来年は勉強漬けになるって考えたら、今年の夏休みが良い機会なのよね」
「あまり深く考えなかったけど、今年の夏休みって貴重なんだなあ。霧島さんは、何か考えてるの?」
俺は、霧島さんに声をかけてみた。お嬢様の彼女なら、何か特別な過ごし方をしているかもしれない。
「わたくしは、家族と旅行に行く予定です。海か山へ行きたいと話していますが、仕事の都合がありますのでまだ具体的には決まっていないのですわ」
「へえ、いいなあ。やっぱ、夏休みは海とか山ってイメージだよなあ。海と山……」
ふと、視線を感じたような気がしたので、さりげなく教室中を見回すと三嶋君と目が合った。登山部の彼は、にやりと意味深な笑みを浮かべたような気がする。まさか、この距離で聞こえていないと思うのだが。
俺が疑心暗鬼になっていると、桜川さんが思いついたように口を開いた。
「ねえ、もしかしてさや香の家って別荘があったりするの? なんていうか、セレブな感じで」
「いいえ、別荘はありませんわ。ただ、会社の保養所がありますので、空いているときに使わせていただくことはありますね」
「おおー、それはそれですごいねえ。やっぱりさや香ってお嬢様なんだね」
「ふふふ、そうでしょう、そうでしょう。……まあ、会社の持ち物なのですが。それに作ったものではなくて、取引先が持て余していたのを安く買い取ったそうですわ」
自信満々で語る霧島さんだが、だんだん声が小さくなっていく。そこに武笠さんが、フォローするように声をかけた。
「堅実ということね。立派な保養所を立てても、うまく活用できない企業もあるって聞くわ」
「そ、そうです、委員長。むやみに、形だけを誇示しても意味がないのです。保養所は社員研修に使ったり、貸し出したりして収益化も図っているようですから、経理部門にマークされているようなことはないのですよ」
話しているうちに、霧島さんは立ち直ったようである。それにしても、彼女はよくわからないところにも気を使うようだ。
「社員研修っていうと、合宿みたいな感じなのかなあ。あたしも、何か部活に入っておけばよかったかなあ」
「桜川さん、合宿は合宿で大変かもよ。剣道部の夏合宿は、地獄だって噂だし」
「うわあ、やだなあ。そういうのじゃなくて、もっとお気楽な感じのがいいなあ。みんなでご飯を作ったり、夜は肝試しとかするような所はないのかなあ」
桜川さんは、そう言ってため息をついた。運動部の合宿はどれも大変そうである。かといって、文化系だとあまり合宿はしないものだと思う。
「夏休みの計画もいいけれど、まずは目の前の期末試験を乗り越えなくちゃね」
武笠さんの言葉に、俺たちは現実に直面することになった。そう、もうすぐ夏休み前にたちふさがる壁がやってくるのだ。
今年の夏休みは、どんなものになるか楽しみである。だが、あれこれ想像する前に期末試験を突破しなくてはならないのだった。
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