第57話 打開の一手

 うちのクラスが大変な雰囲気になっている。白河菫しらかわすみれの告白がきっかけで、次々と女の子の事情が明らかになって爆発寸前だ。 

 俺は覚悟を決めて、できるだけ重々しく聞こえる声を意識して出した。


「瞭子」


 思ったより迫力のある声が出たのか、みんなが俺に注目する。


「……俺の妹よ」

「は?」


 瞭子は、あきれたような表情になったが、一瞬で取り繕った。よそ行きの表情を作ると、俺と目を合わせる。


「何かしら、兄さん」


 澄ました顔で瞭子が答えると、クラス中が静まり返った。


 遠くで鳥が鳴く声、木々が風で揺れる音が聞こえてくる。

 しばらくして、静寂は一転して大騒ぎとなった。はち切れそうな緊張感はどこかへ消え、お祭りのような喧騒が広がっていく。よし、俺の狙い通りだ。瞭子が俺の妹というインパクトで、いろんなものを帳消しにしようという作戦である。もともと、この誤解が主たる原因だったのだが。

 盛り上がる野次馬の中で、寺西君が一際大きな声を出してこちらにやってきた。


「一ノ瀬、オ、オレたち友達だよな」

「むしろ、友達じゃなかったらショックだよ」

「はっはっは。わかっていても、口に出して言ってもらいたいことってあるじゃないか」

「まったく、何を言ってるんだよ」


 調子良く話す寺西君に、緊張がとけていくのを感じる。彼は、そばに居る瞭子に目を向けた。

 

「どうも、妹さん。オレ、一ノ瀬の親友の寺西です」

「初めまして、寺西君。兄さんから、話はときどき聞いています」

「えっ、そうなの、ハハハ。まあ、仲良く遊びに行ったりしてるだけなんスけどね」

「ふふ、兄さんは1人だとあまり積極的に行動しないみたいだから、これからもよろしくお願いしますね」


 瞭子がよそ行きの笑顔で微笑みかけると、寺西君はだらしない顔になって頭をかいた。ああ、あっさりとだまされてるなあ。


「ねえねえ、一ノ瀬君。あの、そこの瞭子さんが妹ってことは……妹ってことなんだよね。あれ?」


 戸惑った様子の桜川亜依さくらがわあいが、おずおずと声をかけてきた。混乱しているのか、言っている内容が怪しい。


「うん、瞭子は妹だよ」

「そ、そうなんだ。はうう、恥ずかしい。うう、あたしは失礼なことは言わなかったよねえ」


 桜川さんは、両手で頬を押さえると、顔を真赤にして座り込んでしまった。


「ちょっと待ってくださらないかしら」


 いつの間にか復帰していた霧島さや香が、よろよろと椅子から立ち上がった。


「わたくしは以前に見たのですが、瞭子さんの制服の学年章は2年生の物です。つまり同学年ということになりますから、おかしいのではないですか」

「俺と瞭子は、双子なんだよ。そのせいか、みんな兄妹だと思わないみたいなんだけど」

「わ、わたくしとしたことが、盲点でしたわ。あああ、こんなことって……ふああっ」


 変な声を出した霧島さんは、再び椅子へと崩れ落ちた。よくわからないがショックを受けたようである。

 一方で、武笠優利むかさゆうりは表面上は落ち着いた様子で瞭子に声をかけた。


「瞭子さん。あなた、もしかして一ノ瀬君のお弁当をたびたび作っていたのではないかしら?」

「あら、やっぱりわかるものなのね」

「わたしはクラス委員だから、クラスメートの家庭事情は知っています。一ノ瀬君が、ときどき手の込んだお弁当を持ってきたいたから不思議に思っていたの」

「ふうん、特別に凝った物を作ったつもりはなかったのだけれど。自分のを作ったついでに、ぐらいのものよ」

「……まるで、大したことでもないないことのように言うのね」


 武笠さんと瞭子の間に、なんとも言えない空気が流れた。兄としての勘だが、瞭子と委員長は性格的に似たところがある気がするのだ。変に意識し合うのではなく、仲良くなる方向にいってほしいのだが。


「ちょっと待ってください。皆さん、どうして驚いておられるのです」


 白河菫しらかわすみれが、困惑した様子で言った。


「まるで、明さんと瞭子さんが兄妹であることを知らなかったような反応ではないですか。まさか、瞭子さん、あなたが変なことをして明さんに迷惑をかけていたのではないでしょうね」

「言いがかりはよしてよ、菫。私はそんなこと……こんな大事になるとは思ってなかったのだけど」


 瞭子の口調が怪しくなると、白河さんの表情が険しくなった。いかん、このままではまた険悪な雰囲気に戻ってしまう。

 俺が焦り始めたとき、山名詩乃が穏やかな声で語り始めた。


「ふふふ、わたしは一ノ瀬君と瞭子さんが兄妹であることを知っていましたよ。仲の良い兄妹で、助け合って生活をされているのって美しいですねえ」


 おっとりとした山名さんの語り口に、みんなが注目した。彼女の柔らかな雰囲気に、瞭子と白河さんもにらみ合いを止める。


「詩乃、知っていたのなら、どうして教えてくれなかったのよ。それなら、こんなことに……」


 武笠さんは、恨めしそうに言ってため息をついた。


「すみません、委員長。一ノ瀬君から、内緒にしてほしいと頼まれたからなのです。みなさんは、5月の出来事を覚えていらっしゃいますか?」


 山名さんは、周囲のクラスメートたちに語りかけるように話し始めた。


「放課後に、瞭子さんが一ノ瀬君のところにやってきていましたね。あれは、家庭の用事で一ノ瀬君に会いに来たそうなのです。それを、わたしたちが勘違いして大騒ぎしてしまったから、本当の事を話し難くなってしまったというのが真相です。みだりに騒ぎ立て、事を大きくしてしまったのは、わたしたちにも責任があるのではないでしょうか」


 山名さんの説明に、クラス中からため息のような声が聞こえてきた。どうやら、周囲のクラスメートの誤解をとくことにも成功したようだ。彼女は俺と目が合うと、にっこりと微笑んで見せた。




 一時は危機を迎えていた俺の学校生活ではあるが、山名さんの助けもあって無事に危機を脱することができた。一応は解決を見たことになったのか、野次馬たちの姿も徐々に減っていく。


「ありがとう、山名さん。おかげで助かったよ」

「いえいえ、差し出がましいかと思いましたが、お役に立ててよかったです」


 お礼を言うと、山名さんは少し恥ずかしそうに微笑んだ。事情を彼女に打ち明けておいて正解だったようである。俺は心の中で、あらためて感謝した。

 ふと、山名さんが何か言いたそうなことにしていることに気づく。


「どうしたの?」

「実はですねえ、一ノ瀬君に大事な話がある、と言われたときは動揺してしまったのです。お恥ずかしいことに、こういった経験がなかったものですから、ついにわたしにもこの時が来た、と勘違いしたのですね」

「えっ?」

「話の流れからすると、そんなはずはなかったのですが、すっかり動転してしまったのですよ。部室を清掃して、お茶を点てる準備をしたりと……本当に恥ずかしいですねえ」


 ちょっと、これは何なのだ。あの日、本格的なお茶を飲ませてもらったが、山名さんに勘違いさせてしまったのか。内密で大事な話がある、と言ったからそう思うのは仕方がないかもしれない。

 彼女は、どこからか扇子を取り出すとパタパタとあおぎはじめた。ううむ、日頃から扇子をなんて持ち歩いていたのか。


「ああ、恥ずかしい。顔から火が出るっていうのは、こういうことなんですねえ」


 顔をを赤くした山名さんは、扇子で口元を隠しながら笑う。

 気がつくと、緩んだはずの教室の空気が再び緊張してきている気がする。そんな中、白河さんがため息をついた。


「まったく、詩乃さん。これ以上に話をややこしくしないでください」

「ごめんなさいね、白河さん。ですが、あなたがこんなに情熱的とは思いませんでしたよ」


 2人の会話に、張りつめかけた空気が緩んだ。白河さんが、ふと俺の方を見る。


「明さん、事を荒立ててしまって申し訳ありませんでした。こんなはずではなかったのです。気持ちが上ずってしまって、どうしても止められなくなってしまって。他の方々にも非礼な発言をしたことを、お詫びします」

「いや、俺も早いうちにフォローできれば良かったんだけど、驚いてうまく動けなかったんだ。いろいろと未熟だったよ」

「いえいえ、勝手に押しかけたわたしが悪かったのです。この件の謝罪はあらためていたしますので、どうかご容赦ください」


 そう言って白河さんは深々と頭を下げた。周囲の女の子たちも、さきほどの騒動から我に返ったようである。

 教室に静けさが戻ると、遠くから吹奏楽部の練習する音が聞こえてきた。平穏な放課後が戻ってきたようだ。




 ほっと一息つこうとしたとき、白河さんが口を開いた。


「今回の騒動については、深くお詫びいたします。ですが、何人かお話をうかがわなくてはならない方が居ますね。これ以上、見世物のようになるのは困りますので場所を変えましょう。……そうですね、甘味処の『古都』」にしましょうか。あそこなら、静かに話をするのに最適です」

「その提案に賛成します。今度は事情を話してもらえますよね」


 武笠さんが、淡々とした口調で言った。白河さんは涼しい態度でうなずく。


「結構ですよ。あと、瞭子さん、あなたには来てもらいますよ。言いたいことも聞きたいことも沢山ありますから」

「いいわよ、菫。私は、逃げたり隠れたりしないわよ」

「わかりました。あと、参加される方は……」


 遠慮がちに桜川さんが手を挙げた。少しふらついた様子の霧島さんがスッと挙手する。そして、十条莉世は静かに手を挙げた。

 そんな中、山名さんが困ったように白河さんを見た。


「あの、わたしも参加しても良いでしょうか? 成り行きが気になるということもありますが、何かあったときに仲裁などができるかと」

「そうですね、詩乃さんに来てもらったほうが冷静に話ができるでしょう。では、参加者はこれで……」


 白河さんがスマホを取り出そうとしたとき、騒がしい音を立てて沢井美花が駆け寄ってきた。


「ちょっと、アタシも参加させてよー」

「沢井さんは、絶対に関係ないでしょ」


 俺は、きっぱりと言った。野次馬気分で問題をかきまわされては困るのだ。


「ええー、でもでも、うちのクラス代表ってコトでいいじゃん。関係の無い一般人だって、知る権利はあると思うんだ。それに、このままだと一ノ瀬君が女の子に手を出しまくったヤバい人だって誤解されるかもよ。アタシが参加すれば、みんなに本当のコトを伝えてあげるから」

「……一理ありますね。参加を認めましょう」


 白河さんは、ちらりと俺を見てから言った。気を使ってくれたのかもしれない。

 彼女はスマホを耳に当てた。


「……もしもし……ええ、急で申し訳ないのですが友人同士でお茶会を……人数ですか……えっ、入れる部屋が空いていない? 困りましたね……そうですね……」


 会話の内容からすると、部屋が空いていないようだ。困った様子の白河さんに、霧島さんがつかつかと歩み寄る。


「……では、部屋を別々にして……ああっ、何をするのです」


 霧島さんは、白河さんのスマホをひょいと取り上げると自分の耳に当てた。


「失礼致しました。お世話になっております、霧島さや香でございます。……ええ、この間は……会社のお客様が……ヨーロッパの方だったのですが、大変満足していただいたようで、お礼申し上げます……それで、こんなことをお願いするのは心苦しいのですが……ええ、椅子を入れてもらって少し詰めれば……はい、すみません。どうぞ、よろしくお願いします」


 通話を終えた霧島さんは、勝ち誇った表情で白河さんにスマホを返した。


「ほほほ、差し出がましいようでしたが、お困りのようでしたので手助けをさせていただきました。うふふふ」

「一応、お礼は言っておきます」


 なんだか悪役のお嬢様が、正統派ヒロインに家の財力を見せつけるようなシーンである。いや、俺がどうこういう場面ではないが。しかし、霧島さんは見事に復活をとげたようだ。




 お茶会に参加する女の子たちは、それぞれの表情で教室を出ていく。瞭子は相変わらず、涼しい表情である。その後ろに十条さんが付いていく。あれ、彼女は参加する必要はないのでは? 疑問に思っていると、目が合った。


「安心してください。わたしは、お姉さまの味方ですから」

「あっ、そうだね。うん、頼むよ」


 十条さんは、きゅっと小さな拳を握って見せた。そうだ、この子は俺ではなく、瞭子の味方だったな。いや、あることないことで瞭子が責められることになっては困るから、彼女に行ってもらった方が良いだろう。

 俺はシスコンではないが、そう思ったのだった。

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