第35話 武笠優利の茶菓子
なかなか面白いことになったなあ、と俺は華道部と茶道部が使っている部屋を見回した。古いが清潔感のある畳の部屋である。そこで
委員長である武笠さんの仕事を手伝ったお礼に誘われたのだが、運が良かったのかもしれない。美人の2人と、学校内でお茶を楽しめるなんて思ってもみなかった。
机の上の小皿に、武笠さんがお菓子の包を並べている。
「委員長、それは何なの? 見た感じだと、まんじゅうかな」
「これはね、栗柿……ええと、干し柿に栗きんとんを詰めたものよ」
「へえ、初めて聞く食べ物だなあ。委員長の家では、こういう物をよく食べるの?」
「そんなことはないわよ。これは、いただき物でちょうど良かったから持ってきたの」
貰った物か。しかし、こんな高そうなお菓子を貰うということは、武笠さんの家もお金持ちなのだろうか。いや、こんなことを詮索するのはやめておこう。
お菓子の包を開けようか迷っていると、山名さんが湯呑を配ってくれた。
「どうぞ、お茶です。今度は、少し熱めにしてありますから、さわやかな風味が楽しめると思いますよ。あっ、熱めといっても少しですから大丈夫ですよ」
「……コホン、そ、そんなことはわざわざ言わなくてもいいから」
武笠さんが、山名さんをうらめしそうに見る。山名さんは気を使っているのだろうが、武笠さんには恥ずかしいのだろう。俺は話題を変えようと、お菓子の包を手に取った。
「ええと、岐阜県産の厳選された柿を使用しています、か。岐阜って言うと、織田信長のイメージがあるね。確か、柿が好物だったような」
「あら、そうだったの。信長っていうと、岐阜城を拠点にしていたのは知っているけれど、柿とは結びつかないわね。なんだか、苛烈な人ってイメージで、甘いものなんかは好まなかったと思っていたわ」
俺と同じように、お菓子を手にした武笠さんが首をかしげた。
「俺も詳しいことは知らないけれど、甘い物がわりと好きだった可能性はあるらしいよ。ええと、若い頃は、柿とか餅を食べながら歩いて、うつけもの扱いされたエピソードがあるし、勢力を拡大したあとで、宣教師からコンフェイトっていうお菓子を献上されて喜んだっていう記録があったような」
「コンフェイトと言うと、金平糖でしょうか?」
山名さんが興味深そうにたずねてくる。
「どうかな、瓶に入った砂糖菓子みたいなものだったらしいけど、今の金平糖とは違うものかもしれないね。あっ、そうだ。宣教師の側も、信長から贈り物を貰うことがあって、その1つに箱に入った干した果実っていうものがあったらしいよ。これが、干し柿と言われているとか」
「一ノ瀬君って、博識なのね。わたしは岐阜の柿って聞いて、名産地ぐらいにしか思わなかったわ」
「委員長、男子は戦国武将とかが好きなだけだから、博識ってわけじゃないよ。名刀とか格好いいじゃない。……あっ、茶器とかは全然知らないけれど」
正直に言うと、山名さんは控えめに微笑んだ。
「ふふ、わたしは戦国時代というと茶器や茶の湯のイメージですね。それにしても、一ノ瀬君のお話はとても興味深いものでした。お茶の席で機会があれば、みなさんに披露してみようかと……」
「ああっ、それは待って。どこかで聞いたぐらいの話だから、本当かどうかは保証できないんだよね。同級生と話すときの小ネタぐらいにしておいてよ」
俺が変なことを言ったせいで、山名さんが恥をかくことがあっては困る。まさかとは思うが、彼女はお嬢様らしいから、偉い人とお茶を飲むことがあるかもしれない。
「あら、そうですか。でも、先程のお話ですと、今日は柿のお菓子とお茶でちょうど良い取り合わせになりましたねえ。戦国時代に想いをはせながらというのも、趣があります」
「しかも、ここは城跡よ。雰囲気は、ばっちりじゃない」
武笠さんが言うと、山名さんは深々とうなずいた。なるほど、考えてみれば面白いシチュエーションである。歴史好きなら大喜びするだろう。しかし、男子的には美人の2人とお茶を楽しむ方が嬉しかったりするのだ。
「お茶とお菓子を前に、ずいぶんと話し込んでしまいましたねえ。そろそろ、いただきましょうか」
俺は山名さんにうながされて、お菓子の包を手に取った。中から現れたのは、干し柿である。栗柿というものらしいが、見た目は干し柿そのものだ。不思議に思いながら、口に運んでみる。
「えっ、すごく柔らかい。干し柿って、固いものだと思ってたんだけど」
昔、近所のおばさんにもらった干し柿を食べたことがある。初めて見る食べ物にわくわくしながら口をつけたのだが、味の前に固さに驚いてしまったのだ。
舌に柿の独特な甘みが広がる。遅れて、栗のまろやかな甘さが混ざりあった。
「おお、これは美味しいね。柿と栗ってどうなるんだろうって思ってたけど、上品で奥行きのある味って言えばいいのかな。意外な相性の良さがある感じだよ」
「一ノ瀬君、それは大袈裟じゃないかしら。喜んでもらえて良かったけれど」
俺は正直な感想を言ったのだが、武笠さんは戸惑ったような笑みを浮かべた。しかし、まんざらでもない様子である。
「とてもお美味しいです。栗と柿といえば、昔から食されていた食べ物ですし、組み合わせにも趣がありますねえ」
山名さんは、とても上品に栗柿を食べた。一気に半分ぐらい食べてしまった俺とは、大違いである。とはいえ、気取っても仕方がないので、残り半分も食べてしまうことにした。うまいものは、好きに食べるのが一番美味しい気がするのだ。
甘いものを食べれば、お茶が飲みたくなるというのは必然である。俺は湯呑を手に取った。
「……おっ、さっきとは味わいが変わった気がする。さわやかな味が、甘みのあとにピッタリだね」
「ふふ、お褒め頂きありがとうございます」
「なるほど、お菓子を食べたあとにお茶を飲んだ方が美味しく感じるね。深く考えたことはなかったけれど、奥深いなあ」
「では、茶道部に入部してはいかがですか? 更に奥深い体験ができますよ」
驚いて顔を上げると、山名さんの柔和な笑顔があった。冗談だとは思うのだが、若干プレッシャーを感じる。
「ええと、俺は礼儀作法とかは苦手だから……ははは」
「あら、残念ですねえ。ですが、仕方がありません。一ノ瀬君は、園芸部や登山部の活動が忙しいのですから」
「えっ?」
俺は、山名さんの発言にお茶をこぼしそうになった。
「ちょっと待って、俺は部活には入ってないよ。畠山君や三嶋君は隙があれば、入部させようとしてくるけど」
「そうだったのですか? ですが、ときおり一緒に活動されている姿を見かけるのですが」
「ヒマなときに、手伝いには行ってるけどね。あの2人、密かに外堀を埋めようとしているのか」
気をつけないと、いつの間にか入部届を書かされるかもしれない。まさか、偽造したりはしないと思うが。
「一ノ瀬君、大人気じゃない。何かを始めるのに、遅すぎるってことはないと思うから、どこかに所属してみたら」
「いやいや、委員長も待ってよ。俺は今の状態が気に入っているから。ふらふらしてるみたいだけど、色々なところに顔を出せるっていうのも楽しいし」
「じゃあ、クラス委員の仕事にも手を出してみる?」
思わず武笠さんの方を見ると、彼女は真面目な表情である。返答に困っていると、彼女は吹き出した。
「ふふっ、冗談よ。いきなり仕事をしないかって言われても困るでしょう」
「ああ、それもそうか。でも、忙しいときは言ってね。委員長の力になりたいし」
「……えっ、あ、ありがとう」
武笠さんは、何故かどぎまぎした表情になってお茶を飲んだ。猫舌の彼女には熱かったのか、一瞬動きが止まったようだが。
「ふふっ、こうやってみなさんとお茶を飲むのは楽しいですねえ。委員長も一ノ瀬君も入部はしなくて結構ですから、気軽に遊びに来てくださいね」
にこにことした山名さんに、俺と武笠さんはしっかりとうなずいたのだった。
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