第34話 武笠優利と学校でのお茶会

 放課後、俺は武笠優利むかさゆうりに誘われて茶道部が活動場所にしている建物にやってきていた。茶道部と華道部を兼部している山名詩乃がお茶の準備をしてくれている。


「委員長は、茶道部じゃなかったよね。こうやってお茶を飲みに来ているの?」

「ええ、以前に詩乃が誘ってくれたからご馳走になったの。すごく美味しかったし、リラックスできるから、ついついお世話になっちゃうのよね」


 座布団に座った武笠さんが、お盆を運んできた山名さんの方を見て言った。


「遠慮しないで下さいねえ。わたしが好きでやっていることですから。……それに、友人と飲むお茶は格別です」


 山名さんは、流れるような動作で湯呑をみんなの前に置いた。うまく言えないが、洗練されているということだろうか。灰色の湯呑には、きれいな緑色のお茶が湯気を立てている。


「新茶の季節というには少し遅くなってしまいましたが、これは奈良県の大和茶です。旨味を味わっていただこうと、少しぬるめにしてあります」

「それは良かった。委員長は猫舌……」

「コホン」


 武笠さんは、わざとらしく咳払いをした。山名さんがクスクス笑っているところを見ると、彼女も武笠さんが猫舌なのを知っているのだろう。俺は話題を変えることにした。


「この湯呑って、なんていうか味わいのある良い品だと思うけど、まさか高い物じゃないよね」

「詩乃、これは萩焼よね」

「ええ、そうですよ。前に使ったのを覚えてくれていたんですね」


 萩焼という言葉に、俺は湯呑に伸ばしかけていた手を止める。それを見た山名さんは、控えめに笑った。


「ふふ、萩焼と言ってもそれは、以前に茶道部に在籍していた方が旅行の際にお土産屋で買ってきたものです。部員が、普段使えるようにと寄付していただいたものですから、高い物ではないですよ」

「そうなんだ、茶道部の湯呑っていうから高価なものかと思って緊張したよ。でも、部の先輩がくれた物だから、これも大事にしないとね」

「そういう風に気遣っていただくと嬉しいですね。あっ、話してばかりではいけませんね……どうぞ」


 俺は山名さんにうながされて、湯呑を手に取った。一瞬、お茶を飲む作法ってどうだっけと思ったが、茶道部員を前に格好をつけても仕方がない。普通に湯呑を口元へ持っていく。

 口をつけた瞬間、鮮烈な香りが広がった。さわやかな風に、頭が冴えわたるような感覚である。


「これは……おいしい、というよりもすごいって感じだね。比べるのは間違ってるけど、俺が普段適当に淹れて飲むお茶とは全然違うよ」

「ふふふ、一ノ瀬君は大袈裟ですよ。そんなに褒められると恐縮してしまいますねえ」

「いや、大袈裟ってことはないよ。ねえ、委員長」


 俺は、武笠さんに同意を求めてみた。彼女は、目を細めてゆっくりと味わっているようだ。


「うん、文句なしに美味しいと思う。すっきりと身体の中が洗い流されるような感じがするわ。……ふう、わたしが同じ茶葉で淹れても、こんな味にならないのよねえ。時間や温度は、聞いたとおりにしているのだけど」

「器やお水によっても、変わりますからねえ。むしろ、その違いを楽しめばいいと思いますよ。茶道部に入っていただければ、存分に研究できますけれど」

「そっ、それは考えさせて。興味はあるんだけど、クラス委員の仕事もあるし……」


 山名さんに茶道部を勧められた武笠さんは、語尾を曖昧にした。そんな彼女に、山名さんは穏やかな笑みを浮かべる。


「うふふ、わかっていますよ。そもそも、委員長が大変そうでしたから、お茶に誘ったわけです。余計な負担をかけては、本末転倒ですからねえ」

「なるほど、そういうことだったんだね。忙しそうな委員長にリラックスしてもらおうという、おもてなしの心というか茶道の精神?」


 俺は感心したのだが、良い表現が思いつかなかった。山名さんは、がんばっている委員長にお茶を振る舞おうと思ったわけだ。


「そんな大仰おおぎょうなものではありませんよ。普通の、学友としての思いやり……いえ、こういう言い方をすると余計に恥ずかしいですねえ」

「でもね、そういう気遣いってすごく嬉しかったのよ」

 

 山名さんの発言を聞いた武笠さんは、真面目な表情になる。


「わたしは委員長の仕事を嫌々やっているわけじゃないし、やり甲斐も感じているの。でも、ちょっと疲れることもあるのよ……あっ、勘違いしなでね。一般的な話で、部活で疲れるっていうのと同じような意味で、つらいとかやりたくないってことじゃないから」

「それなら良かったよ。考えてみれば、俺たちって委員長にずいぶんお世話になってるなあ」 

 

 俺は、お茶を飲みながら学校生活を振り返ってみる。武笠さんは真面目だが、融通がきかないわけでなく、話をよく聞いてくれる人だと思う。だから、先生に言いにくいような事柄を相談する人が居るようだし、彼女を通して先生や学校側へ意見を言ってもらうようなこともある。

 クラスのみんなが、委員長を都合よく利用しているとは思わないが、俺も含めて甘えているような面はあるかもしれない。


「でも、この前はわたしが一ノ瀬君にお世話になったから」

「あれ? そんなことあったっけ?」

「文化祭の催し物を議論していたときのことよ。時間が過ぎても続いていたけれど、一ノ瀬君のおかげでうまく切り上げることができたじゃない」

「あれか、別に大したとはしてないよ。放課後までずれ込んだら、予定のある人が困るだろうと思っただけだから」


 俺は、あのときのことを思い出しながら、お茶を口に運ぶ。最初は香りに意識が向いていたが、落ち着いてくると味の方も楽しめるようになっている。


「そうでしょうか? 大勢の前で意見を述べるのは、なかなか難しいことだと思いますよ」


 山名さんは湯呑を机に戻すと、俺の方を見た。


「あの日、わたしは早めに部活に出たかったので助かりました。みなさんが熱心に議論されているのに、中断するようなことを言うのは悪い気がして困っていたのです。ああ、委員長や一ノ瀬君は立派ですねえ」

「委員長はともかく、俺は大したことはしてないよ。俺が言わなくても、誰かが言っただろうし。ねえ、委員長」


 山名さんが見つめてくるので、俺は落ち着かなくなって武笠さんに同意を求めてみた。普段はそれほど意識しないのだが、山名さんは物腰の柔らかな和風美人なのである。


「誰かが言ってくれるだろう、そう思って誰も言わないという事はよくあるのよ。あるいは、差し出がましいと思ってしまうとかね」

「そうかなあ?」

「ふふ、いいじゃない。わたしが助かったっていうのは事実だし。それに、今日だってアンケートの回収を手伝ってくれたでしょう。だから、お礼にお茶をどうかなって思ったのよ。……ああっ、いけない」


 珍しいことに、武笠さんが慌てたような声を出した。なんだろう、真面目な彼女だから大変なことなのだろうか。


「わたしとしたことが、すっかり忘れてたわ。お礼と言いつつ、詩乃にお茶を淹れてもらっているだけじゃ駄目よね。ええと、わたしはお茶菓子を用意してたのよ。ちょっと、待ってね」


 武笠さんは、腕を伸ばして鞄を引き寄せると中身を探り始める。俺と山名さんが顔を見合わせていると、武笠さんは菓子箱を机の上に置いた。高級な和菓子でも入ってそうな、上質な箱である。


「ねえ、詩乃。菓子は、お茶を飲む前に出すものだったかしら」

「茶会では、お茶を引き立てる、あるいは十分にお茶を味わうために、菓子を先にいただくことが多いですね。もちろん、流派であるとか行事、習慣によっても違いが……ではなくて、ここは学友が親睦を深める席ですから、そんなことにこだわらなくても良いでしょう。そんなことよりも、委員長の心づかいが嬉しいですねえ」

「うん、俺もどんなお菓子なのか楽しみだなあ」


 俺と山名さんの言葉に、武笠さんは少し恥ずかしそうに菓子箱を開けたのだった。

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