第7話 桜川亜衣と怪談調査
長い授業が終わり、放課後になった。
教室には開放感が満ち、クラスメートは部活や遊びやらで次々に扉から出ていく。俺は、窓際の席から外を眺めながら、これからの予定を考えてみた。俺は部活には入っていないし、生活用品の買い物なんかは昨日で済ませてしまっている。普段なら、何かしらやることがあったりするのだが今日は珍しく何もない。
どうしたものか、とぼんやりしていると
「ねえ、ねえ、一ノ瀬君。これから何か用があるのかな?」
「いや、別にないから、どうしようかなって思ってたとこ」
「じゃあさ、ちょっと気になる話を聞いたんだけど」
桜川さんは、にこにことした表情で隣の席に座った。彼女とは1年生のときから同じクラスで、あれこれと他愛のない話をするのはいつものことである。
「裏門から体育館に続く道の途中にさあ、雑木林があるでしょ」
「うん。でも、あの道は遠回りになるから、ほとんど使わないなあ。薄暗い感じもするし」
ここの学校は、城跡にあるので敷地は広く、樹木なんかも豊富に残されている。ただ、そのせいで虫が発生して困ることもあるのだが。
「そうそう、ちょっと気味の悪い感じがするじゃない。あそこに、大きな岩があるんだけど……出るんだって」
桜川さんは、少しためをつくったあとに声を低くして言った。雰囲気を出そうとしたのかもしれないが、目を輝かせて言っているので全く怖くはない。むしろ、可愛い感じになってしまっている。
「ふうん、まあここは城跡らしいから、そういう噂もあるのかもしれないね」
「むう、一ノ瀬君、反応が薄いね」
「薄いって言われてもなあ。俺たち高校生だし、いまさら幽霊なんて怖くないからね」
「むむむっ」
不満なのか、桜川さんは頬をふくらませると椅子を持ってこちらに詰め寄ってきた。俺の机の近くまで来て、ぽふっと腰を下ろす。
「みんな、そんな反応なんだよね。ちょっとぐらい、のってくれてもいいじゃない。あたしだって、本気で信じているわけじゃないけど、ワクワクとかドキドキしたいというか……」
「非日常感を味わいたいってとこかな。まあ、最近は特に学校イベントもなかったし」
「そうそう、それ。どう、興味出てきた?」
「うん、悪くない気がする。学校の怪談って、話には良く聞くけれど、実際に自分の学校で体験したことは無いから。ところで、どんな話なの? 岩のところで出るって」
俺の反応に満足したのか、桜川さんは得意気に話し始めた。
「ふふ、あの岩はね、昔は夜泣き岩って言われてたらしいんだよ」
「へえ、怪談ぽいね。何か、いわれとか伝説があるの?」
「もちろんだよ。ここが現役のお城だった江戸時代の話なんだけど、お殿様の寵愛を受けた腰元? ええと、侍女だっけ、とにかく身分の低い使用人の女性が居たんだって。だけど、お殿様にはやんごとなき身分の正室がすでに存在したのです」
「悲劇の予感がするね」
「うん。その身分の低い女性は、
昔ならありそうな話だが、それが自分の居る場所で起こった出来事だと思うと、ちょっと落ち着かない気がする。
「それを後で知ったお殿様は、家臣に問いただすんだけど『お家のためでございます』とか『やんごとなき姫を正室に迎えた以上は、少しでも疑いがあってはなりませぬ』とか言い切られてしまうわけ。家臣の人は、濡れ衣だと知りつつも非情な決断をしたらしいの」
「現代からすると、ひどい気がするけれど、当時だと有り得そうな話だよね。下手に情けをかけて、お家騒動とか跡継ぎ争いになったら大変だし。正室の実家との力関係もあるよね」
「うう、一ノ瀬くんって意外とドライなんだね。とにかく、お殿様もそういう事情はわかっていたから何とか我慢したわけ。でも、それから夜になると、城内に女性のすすり泣きが聞こえるようになったんだって。それが、女性が処刑されたという大きな岩から聞こえてくるらしくて、夜泣き岩って名付けられたという話なんだよ」
話し終えた桜川さんは、首を可愛らしくかしげて俺を見た。
「ありがちな怪談だと思うけど、この学校でっていうのが面白いね。誰か、その岩から泣き声を聞いた人いるの?」
「噂話だと結構あるんだよ。バレー部の子が、遅くなったときにそれらしい声を聞いたとか。あとは……恥ずかしがり屋の演劇部の子が、1人でセリフの練習をしようとして逃げ帰ってきたっていう話もあるよ。でも、噂だけで当事者は特定されてないの。話はあるんだけど、不思議と実際に体験した人には行き着かないんだって」
「なるほど、いかにも怪しい話だね。……せっかくだから、これから現場を見に行ってみる?」
「うん。えへへ、こういうノリを待ってたんだよね」
桜川さんは、ぴょんっと元気よく立ち上がった。なんだか俺まで楽しい気分になってくる。話し込んでいるうちに結構な時間が経ったのか、教室にはほとんど人が残っていなかった。
廊下に出て、がらんとした校舎を2人で歩いていく。桜川さんは先頭に立って階段をトントンとリズムよく降りていたが、不意に立ち止まった。
「ねえ、一ノ瀬君。その、無理につきあってくれてるとか、そういうこと……ないよね?」
「えっ、どういうこと? こういう肝試しみたいなのって、昔に戻ったみたいで面白いなあって思ってるけど」
「それなら良かったんだけど」
再び歩き出した桜川さんは、俺より前に居るので表情はよくわからない。遠くからは、吹奏楽部が練習する音が聞こえてくる。
「一ノ瀬君とは、去年から同じクラスだけど……その、意外と知らないことが色々あるんだなって思ったの」
「そうかな、別に秘密とかはないけど。ああ、同じ中学校からここに進学した同級生があまりいないから、そういう意味では知られていないかも」
「そういう意味じゃないんだけど……ううん、何でもない。んー、見に行くのに緊張してきちゃったなあ」
桜川さんは、緊張したと言いながら早足でどんどん先に行ってしまう。俺は彼女の言葉が気になったが、それよりもついていくことを優先した。
裏門から体育館に続く道にある雑木林は、寂しげな雰囲気を漂わせていた。体育館へ行くときは、校舎からつながっている渡り廊下を使うのが便利なので、周囲に俺たち以外の生徒は居ない。
「ちょっと、不気味だね。ええと、あそこにある岩が、夜泣き岩って呼ばれている物だと思うよ」
桜川さんが指で示した方向には、俺の身長ぐらいの大きな岩があった。丸いが、どこか歪な形をしている。俺は近寄って観察してみた。
「なんだろうね、この岩は。石垣の一部にしては変だし、石碑でもないみたいだね。うーん、文字とかが書いてあるわけじゃないのか」
「わわっ、そんなに近寄らない方がいいんじゃない。たたりがある、とかは信じてないけど」
信じてない、と言いつつ桜川さんはキョロキョロと周囲を見回している。今は5月で寒い季節でもないのに、彼女は両手で自分を抱きしめるようなしぐさをしていた。
「桜川さんって、乗り気だったわりに腰が引けているというか、ビクビクしているよね」
「そ、そんなことないけど……この雑木林と岩だけ見てると、学校内とは思えないっていうか……」
「あっ、今なにか聞こえなかった?」
「う、嘘、嘘だよね。あたしは何も聞こえなかったよ。きっ、聞こえなかったからっ」
「うん、嘘だよ」
桜川さんは、無言でベシベシと俺を叩いてきた。軽い冗談のつもりだったのだが、彼女は思ったより怖がっているようだ。
「ごめん、ごめん。桜川さんが、びくびくしてるみたいだったから、つい」
「一ノ瀬君、そういう嘘は良くないんだよ。たとえ、嘘でもそういうことを言うと、悪い霊みたいなものを呼び込んじゃうとか、現実になったりするって言うでしょ」
「大丈夫じゃないの? 別に俺たちは、怪談の元になった女の人の恨みをかったりしているわけじゃないし。むしろ、あの話って身分の壁に阻まれた悲恋って感じでしょ」
「そ、そっか。考えてみれば、現代のあたしたちがびくびくする必要はないんだよね」
ぱあっと明るい表情になった桜川さんを見ていると、ちょっと悪戯をしたくなった。
「……と、油断させておいて、気がついたら岩の影から恨めしそうな女性の白い顔がのぞいてたりして」
「ひっ、いやあああぁっ」
夜泣き岩の前で、謎の泣き声ではなく桜川さんの叫び声が響き渡った。
その後、俺は逃げる彼女を追いかけて謝るはめになった。謝罪として缶ジュースを1本おごることになったが、その頃にはいつもの笑顔に戻っていた。
今日の学校生活も楽しく過ぎていった。ただ、女の子たちの様子がいつもと少し違う気がしたが、思い過ごしだろうか。まあ、自意識過剰というやつだろう。それより、帰ったら瞭子にやたらと手の込んだ弁当の真意を確認しなくてはならないのだ。
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