第8話 お弁当と妹

 家に帰ると、瞭子がリビングルームでぼんやりとしていた。テーブルの上にはコーヒーの入ったマグカップが置いてあるが、すでに冷めているように見える。


「ただいま。どうしたの? 瞭子がぼんやりしているなんて珍しいね」

「おかえり……まあ、ちょっとね」

 

 なんだかテンションも低いようだ。家に帰ったら、不自然に豪華だってお弁当のことを問いただしてやろうと思っていたのに拍子抜けである。俺は、鞄から空になったお弁当箱を出すとキッチンへと持って行く。


「お弁当箱は私が洗っておくから、そこに置いておいて」

「ありがとう。その様子だと、やたらと手の込んだ弁当に深い意味はなかったんだね」

「深い意味? 一体何を言っているの?」


 俺は、貰い物のインスタントコーヒーの粉末にお湯を注ぐと、カップを持って瞭子の前に座った。


「昨日の意味ありげな登場が不発気味だったから、今度はお弁当で存在をアピールしてきたのかなって思ったんだけど。ええと『いつも雑な昼食を食べている一ノ瀬くんが、手の込んだお弁当を持ってきている。お母さんは仕事で遠くに行っているはずなのに、なぜ?』みたいな効果を狙ったとか」

「うーん、その手があった……じゃなくて、お弁当だけなら誰が作ったかなんてわからないと思うけど。まあ、クラスの人たちは不思議に思うかな。でも、手間の割に効果的とは言えないわね。ご飯に、ハートマークでもあれば別だけど」

「妹が作った弁当にハートマーク……ちょっと嫌だな」

「うん、私もそれはどうかと思う」


 世の中、やたらと仲が良い兄妹というのも存在するが、俺たちは普通だろうと思う。それはともかく、瞭子の反応からするとイタズラではなかったようだ。


「じゃあ、どうして急に凝った弁当を作ったりしたんだ?」

「それはね、学院で藤の花がきれいだから、外でご飯をいただきましょう、ということになったのよ」

 

 瞭子の通う八重藤学院では、その名の通り様々な藤の花が育てられているらしい。5月の見頃になれば各所に設置された藤棚で、それは見事な花が咲くそうである。


「ふうん、それはお嬢様らしくて優雅な感じだね」

「まあね。でも、みんなでお弁当を食べるわけだから、貧相なお弁当を持っていくわけにはいかないのよ。八重藤の花も本当にきれいだし、お重みたいなお弁当を持ってくる子もいるから」

「いや、そこは分相応というか身分相応でいいんじゃないの? うちが普通の家っていうのは、学院の人は知ってるでしょ」

「まあね。だけど、普通の家だからこそ手が抜けないわけなのよ。やっぱり普通なんだなって、とは思われたくないわけだから」


 このあたり、瞭子と俺で見解がわかれるところだ。無理に見栄をはらなくてもいいと思うのだが、向上心があると言えるのかもしれない。


「なのに、言われちゃったのよね。『そぼろご飯とチキンのトマト煮で、鶏肉がかぶっていませんか』って。……くっ、悔しい」

「えええっ、お嬢様学校の世界ってそんなに厳しいの? そもそも、瞭子は自分で作ってるわけだし」

「厳しいとかじゃないのよね。相手も悪気があって言ってるわけじゃないの。本当にお嬢様だから、純粋な疑問を口に出しただけなのよ。だからこそ、悔しいわけよ」


 瞭子は、マグカップに残った冷えたコーヒーを一気に飲み干した。ううむ、お嬢様学校は俺の理解が及ばない世界のようだ。


「それにね、自分でも妥協してたのはわかってるから、なおさら悔しいのよね。鶏肉がかぶってたのには気づいていたけど、冷蔵庫にちょうどあったから、それぐらいは別にいいかと思ったのよ。ああ、手を抜いたのが自分でもわかってるから、自分が許せない」

「ま、まあ、志が高いの良い事なんじゃない。瞭子のお弁当、うちの学校だと絶賛されてたけど」

「……その話、もっと詳しく教えて欲しいんだけど」


 さっきまで悔しがっていた瞭子だが、急に澄ました様子になって椅子に座り直した。そうだ、彼女は自分が褒められたり注目されたりするのが大好きなのだった。お嬢様にこだわるわりに、そういう俗な部分を持っているのも我が妹なのである。


「授業の後片付けを手伝ったから、少人数で食べることになったんだけど……」


 俺は、お昼の様子を瞭子に話した。

 表面上、彼女の様子は変わらなかったが、慣れた俺からすると得意気な表情を隠しているような気がする。


「なるほど、好評だったわけね。よしよし、それだと少人数になったのが惜しいわね。大勢で食べていれば絶賛の嵐が……ううん、なんでもない」

「大勢で食べてたら、謎に豪華な弁当で大騒ぎになってたよ。3人で食べたけど、寺西君はうまいってバクバク食べてたし、クールな武笠さんもちょっと驚いた感じでおいしいって言ってたなあ。男の集団で食べてたら、醜い奪い合いが発生するところだったよ」

「奪い合いは大げさでしょ。まあ、好評だったのなら良かったわ。……ふふふ」


 瞭子はカップを口に運ぼうとして、空なのに気づいたようだ。見た目は変わらないが、どうも浮かれている気がする。


「男子から褒められるのもいいけど、やっぱり同じ女子から認められるっていうのも嬉しいものね。その武笠さんて、どういう人なの?」

「うちのクラスで委員長をやっている人だよ。いつも落ち着いていて、真面目な感じかなあ。彼女の手伝いをして、昼食が遅れたから一緒に食べることになったんだけど。あっ、チキンのトマト煮なんだけど、バジルが良い香りって言ってたな」

「ふふ、わかる人にはわかるものなのね。お肉の料理は、香辛料でぐっと変わるんだから。……ところで、兄さんはその人と、どうなの?」

「おいおい、いきなり何だよ」


 俺が困惑して言うと、テーブルに身を乗り出しそうになっていた瞭子は、さりげなく姿勢を正した。


「コホン、これは下世話な興味じゃなくて、妹として学校での兄の人間関係を気にするのはおかしくないでしょ」

「その言い訳はともかく、これといって話すことはないよ。武笠さんは委員長だから、ときどき仕事を手伝ったりするぐらいかな。向こうだって、特に何も思っていないと思うよ」

「なあんだ、つまらない。……じゃなくて、委員長を任されているぐらいの人なんだから、優等生だろうし人望だってあるんでしょ。これを機会にアプローチしてみれば」

「なんでそういう話になるんだよ。もしかして、そういう話に飢えているのか?」

「飢えているとは、失礼ね。確かに、私の学院は女子校だからあまりそういう話は無いけど」


 恋愛話に興味津々と思われたくないのか、瞭子は澄ました表情に戻った。しかし、何かがひっかかる。


「あっ、女子校なのにあまり無いってどういうことなんだ。ちょっとは、あるってこと? 女子校なのに」

「そういう話にガツガツと食いつくのは、少々みっともないわよ、兄さん」

「くっ、なんだか腹が立つなあ」

「とにかく、お弁当が好評で良かったわ。個人的にはベストではなかったとはいえ、早起きした甲斐があったというものよ。ふふふ」


 ぼんやりした様子はどこかへいって、瞭子はご機嫌なようである。まあ、苦労が報われてよかった。俺はシスコンではないが、妹が元気で居てくれた方が良い。


「お弁当は美味しかったけどさあ、次からはいきなり豪華なお弁当っていうのはやめてくれよ。妹に作ってもらったって正直に言っても、変に思われそうだからさ」

「はいはい、わかってるわよ。さて、そろそろ夕食の用意をしましょうか。……ふふふ」


 俺は上機嫌な妹に若干の不安を覚えつつ、椅子から立ち上がったのだった。

 

 夕食は親子丼だった。どうやら、鶏肉が余っていたようだが、なんとか口に出さずに済んだのだった。

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