第9話 一ノ瀬家の休日

 1週間の授業が終わり、休みがやってきた。

 とはいえ、一ノ瀬家では、だらだらと過ごすことはできない。同級生の中には、親と離れて暮らす俺を羨むやつも居るのだが、なかなかに大変なのである。炊事に洗濯はもちろんとして、家の掃除や近所付き合いもしなくてはならない。平日は学校があるから、土日がまるまる空くことはほとんどないのである。

 平日と同じ時間に起きてリビングルームに行くと、瞭子が紅茶を飲んでいた。


「おはよう、相変わらず早起きだね」

「おはよう、兄さん。早く起きれば、貴重な休日の時間が多くなるから。やることなんて、いくらでもあるし」

「今日は何をするつもりなんだ?」

「家のお掃除と、そろそろ夏物の服や布団を確認してみるつもり。まだ5月だけど、すぐに暑くなっちゃうし、梅雨がくるから」

「夏物かあ、意外と春物の出番って短いよなあ」


 俺はキッチンで、マグカップにインスタントコーヒーを淹れながら今日の予定について考えをめぐらせる。


「じゃあ、俺は家の外の方を担当するよ。梅雨になったら、あっという間に草が伸びちゃうからな。今のうちに手入れしとく」

「うん、お願いね。お庭も時間があったら、優雅にガーデニングを楽しめるんだけど」


 古い日本家屋である我が家には、ちょっとした庭がある。だが、家の裏が林であるせいか、やたらと雑草が生えてきて大変なのだ。お隣さんとは距離があるのと、生け垣で外からは目立たないので助かっているが。


「どうして雑草はあんなに元気に生えてくるんだろうな。母さんが植えた花は、さっぱり咲かなかったのに」

「裏の林とか、周囲の草地から種が飛んでくるからじゃない。お母さんも、がんばってたみたいだけど、どんどん雑草に侵食されるって言ってたわね」

「きれいな花が勝手に育ってくれたらいいのにな。あっ、家の裏に野菜の苗を植えてみるけど、いいよな? 昔、おばあちゃんが畑を作ってたとこだけど」


 かつて、この家は祖父と祖母が2人で住んでいた。祖父が亡くなり、家族みんなで同居することになったのだが、ほどなくして祖母も亡くなってしまったのである。幼い頃の話だから、はっきりとは覚えていないのだが、祖母が家の裏で小さな畑を耕していた記憶がある。


「きちんと世話をしてくれるのなら別にいいけど、苗なんてわざわざ買ってきたの?」

「いや、園芸部の友達にもらったんだよ。学校の敷地で、イチゴを密栽培してるのを見つけたら、口止めにって」

「……意味がよくわからないのだけど。兄さんの学校って元はお城でしょ、そんなところで秘密に栽培してるの?」

「城跡だからね、誰も立ち入らないような入り組んだ場所があるんだ。それに実際のお城だって、籠城に備えて食べられるものを植えてたらしいよ」

「もらった苗はともかく、密栽培がどうとかいう話は聞かなかったことにするわ」


 瞭子は、あきれたように言うと軽く肩をすくめた。むう、妹にはロマンが理解できないらしい。


「ところで、何の苗なの? 変な植物が大繁殖になったりしないよね」

「普通のトマトときゅうりだよ。余ったのもらったから、大きくなるかわからないけど」

「な、何ですって」


 興味なさそうだった瞭子が、急に身を乗り出してきた。


「それは、がんばって収穫できるように育てるべきよ。どっちも買ったら意外と高い……じゃなくて、おばあちゃんの残した畑で孫が作物を作るって素敵じゃない」

「本音が隠しきれてないぞ。でも、ばあちゃんの畑で育てるっていうのは悪くないな」

「でしょう。ほら、その園芸部のお友達にアドバイスをもらってがんばってよ。……ふふ、いくらお嬢様学院といっても野菜を自家栽培している家はほとんど無いはず。これなら……」


 瞭子が、ぶつぶつと何か言っていたが聞こえないふりをした。妹は学院でどんな生活を送っているのだろうか。もっとも、むこうは女子校でセキュリティも厳しいから、俺が見に行くことはできないのだが。



 作業着に着替えて外に出ると、庭木の若葉が太陽に照らされてイキイキしていた。良い天気だが、そろそろ暑さを感じる季節になってきたと感じる。ここに梅雨の雨が加わると、一気に雑草が伸びてしまうのだ。

 俺は、電動刈払機を物置から取り出して準備を始めた。これは、父親が買ったものである。なんでも混合油を燃料にするエンジン付き刈払機より、俺が使いやすいだろうと考えたらしい。これを聞いた母親は感心したのだが、後に値段を聞いて激怒することになった。まあ、父親が単身赴任することになって、今は役立っているのだが。


 周囲に気をつけながら、ゆっくりと雑草を刈っていく。伸びる前に刈るつもりだったのだが、すでに結構大きくなっている。特に、小さな池の周囲はぐんぐんと背をのばしていた。


「ばっさりやってしまうか。んっ、これは何の草だろう?」


 池の周囲に、見慣れない草が真っ直ぐに伸びている。今のところ葉っぱだけだが、ただの雑草とは思えない。これは残しておこう。雑草でも、結構きれいな花が咲いたりすることがあるのだ。瞭子はいい顔をしないかもしれないが、気になる草をこっそり残しておくのもちょっとした楽しみである。



 刈った雑草を集めたあと、俺はきゅうりとトマトを植え付けることにした。元は畑といっても、何年も雑草だらけだったので耕すのは大変である。ばあちゃんの残した農具と、使用期限が分からない肥料を使ってなんとかそれらしく形を整えた。


「ふう、さすがに暑いな。それにしても、何で俺はこんなことをやっているんだろう」


 遊びや部活に行っている同級生のことを考えると、ちょっと羨ましくなるが、みんな家庭事情はそれぞれなのだろう。うちにはうちの事情というものがある。まっ、食費が浮けばありがたいし、瞭子が喜ぶなら良いだろう。……なんだかシスコンみたいだが、これぐらいは兄として普通だろう。




 庭仕事で汗を流したので、午後はゆっくりしようとしたのだが、思わぬ来客がやってきた。近所に住む老夫婦である。

 何でも、携帯電話をスマホに買い替えたので操作方法を教えてほしいということで、俺と瞭子で対応することになった。この老夫婦とは町内会のことなどでお世話になっているので、困ったときはお互い様である。


 アカウントの設定やらアプリの操作方法を説明しているうちに、夕方近くになってしまった。ちょっと大変ではあったが、人助けというのは気持ちの良いものだ。しかも、老夫婦からお礼として各種サイトで使えるギフトカードをもらってしまった。別に見返りを求めたわけではないが、ありがたいので素直にいただいておく。




 あれこれと用事を済ませたり宿題をやったりしているうちに、休日は過ぎ去っていってしまった。特に遊んだりはできなかったが、この日々が畑に植えた苗のようにいつか実をつけるかもしれない。

 明日の学校に備えて早めに布団に入ると、あっという間に睡魔がやってきた。

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