第10話 武笠優利の手料理

 長い午前中の授業が終わり、昼休みがやってきた。勉強やら先生の話から解放される安らぎの一時である。


「うっしゃあ、昼飯だ。一ノ瀬、さっきの数学なんて忘れて、飯を食べようぜ。なんとかの公式なんて覚えられるかって」


 寺西君が、開き直った態度で力強く宣言した。友人たちが窓際にある俺の机に、ごそごそとやってくる。集まったのは俺を含めて男ばかり4人で、大体いつものメンバーだ。


「一ノ瀬君、苗はもう植えたの?」


 園芸部の畠山君がたずねてきた。彼は俺たちの年代にしては小柄で、おとなしそうな容姿だ。性格も穏やかなのだが、校内でイチゴの密栽培に手を染めるという謎の一面もある。


「ああ、昔だけど畑だった場所があるから、そこに植えてみた。肥料も、効くかわからないけど古いのがあったから使ってみたよ」

「肥料は、よほどのことがない限り使えると思うよ。あとは、とにかくこまめに手入れをすることだね」

「……おいおい、一ノ瀬はいつから園芸部に入ったんだ。それなら登山部に入部しろよ」


 俺と畠山君の会話に、三嶋君が割り込んできた。彼は口数が少ないが、良いやつである。ただ、事あるごとに登山部に勧誘してくるのが困りものだが。


「おい、お前ら、そんなことより飯だろ、飯。今日は何かな……」


 そわそわとした様子で、寺西君が弁当のフタを開ける。この前の、残り物をつめた弁当の悲劇は忘れたようだ。


「おっしゃ、唐揚げだ。よしよし、お袋、今日は手を抜いてないな。一ノ瀬のはどうだ、この前のチキンはうまかったな。……って、何だよ、それー」


 寺西君が大げさに驚いたので、畠山君と三嶋君までもが俺の弁当に注目する。だが、今日は焦る必要は無い。なぜなら、この弁当は俺が自分で作ったからである。


「何って、シュウマイ弁当だぞ。スーパーの食品コーナーで安かったからな、つい大量購入しちゃったんだよ」

「いやいや、自慢気に言ってるけど、ご飯とシュウマイしか入ってないだろ。弁当箱の中が、白一色ですごく単調というか、わびしいぞ」


 あきれたように言った寺西君は、俺をあわれむように見た。他の2人も、微妙そうな表情になっている。


「くっ、たしかに見た目はアレだが、朝から弁当を用意するのは面倒なんだぞ。……そうだ、シュウマイは大量にあるからトレードしようぜ。これならみんなが幸せになれるな、どれどれ」

「おい、そんな安売りのシュウマイで、この唐揚げは渡さないぞ」


 寺西君が弁当箱を隠すようにすると、他の2人も弁当箱をさりげなく俺から遠ざける。なぜだ、安物なのは確かだけどシュウマイは美味しいはずだ。

 俺たちは、微妙に距離をとった状態で昼食を食べ始めることになった。



 安売りのシュウマイだったが、味はまあまあである。しかし、問題が発生した。ご飯とシュウマイしか入っていないので、味が単調なのである。ご飯を食べる、シュウマイを食べるの2種類の食べ方しかできない。せめて、ふりかけでも入れておけばよかった。

 微妙な雰囲気のまま弁当を食べていると、誰かが近づいてくる気配がある。


「どうしたの? みんな黙りこんで食べているけど」


 委員長の武笠優利むかさゆうりが、小さなタッパーを持って首をかしげていた。


「委員長、一ノ瀬のやつが、みんなの弁当のおかずを狙うから警戒しながら食べるはめになってるんだよ。おかずがシュウマイしかないからって、オレの唐揚げは渡さないぜ」

「おかずがシュウマイしか無いって、そんなわけ……えっ? ええと……」


 武笠さんは、俺の弁当を見て困惑した表情を浮かべた。彼女は、首をかしげながら弁当と俺の顔を交互に見る。


「ほ、本当なのね……」

「いや、みんな反応が大げさすぎだよ。自分の弁当を作るのに、そんなに手間なんてかけられないからさ」

「ごめんなさい、この間のお弁当が豪華だったから、落差に驚いてしまって。……ええと、これならちょうど良かったかも」


 気を取り直したかのように言った武笠さんは、小さなタッパーのふたを開けた。中身は、美味しそうな煮込みハンバーグが2つである。


「この前に、もらったチキンのトマト煮がすごく美味しかったから、お礼にと思って作ってみたの。もし良かったら、どう?」

「えっ、委員長が作ったの? もらってもいいの」

「うん。……その、味の方は大丈夫だと思うのだけど」

「すごく美味しそうだよ。じゃあ、遠慮なく」


 冷えたご飯とシュウマイに飽きた俺には、ジューシーな煮込みハンバーグが輝いて見える。それに、武笠さんの手作り料理が味わえるとあっては、断る理由などはない。


「卑怯だぞ、一ノ瀬。みすぼらしい弁当で、委員長に同情してもらって手作りのおかずをもらうなんて」

「寺西君さあ、それは違うでしょ。委員長は、この間のお礼って言ってるんだから、俺がもらってもおかしな事は何もないぞ」

「いや、オレはあの日、なかなか戻ってこない一ノ瀬を待っててやったんだぞ」


 煮込みハンバーグに手を伸ばしかけた俺に、寺西君が待ったをかけた。美人で優等生の武笠さんの手料理なら、このクラスの男子は誰でも欲しがるだろう。


「そういうことなら、2人で分けたらどう? ちょうど2つあるから」


 男同士の醜い争いが勃発しかけたところで、武笠さんがとりなすように言った。ちょっと納得できないところもあるが、俺だけ独り占めというのも良くないだろう。俺は、武笠さんからタッパーを受け取って、寺西君に1つ分けてあげた。


「寺西、分割を要求する」


 黙ってなりゆきを見ていた三嶋君が、ぼそっと言った。


「一ノ瀬君は良いけど。寺西君は、何もしてないよね。それなら、僕たちだってもらう権利はあるんじゃないかな」


 そこに畠山君が加わった。おとなしい彼だが、委員長の手作りハンバーグは食べたいようだ。


「な、なんだと。お前らは、あの日さっさと食べてどっかに行ったじゃないか。このオレは腹が減ったのを我慢して待ってたというのに」

「園芸部の大事な仕事があったんだよ。三嶋君はそれを手伝ってくれたんだ。事情は一ノ瀬君だって知ってるよ」


 ハンバーグを独り占めしようとする寺西君に、畠山君が食い下がる。彼の言う大事な仕事とは、密栽培したイチゴの手入れのことだ。委員長の武笠さんの前で言うのはどうかと思ったので、あいまいにうなずいておく。


「ほら、一ノ瀬君も納得してくれてるでしょ」

「な、なんだと。とにかく、この美味しそうな煮込みハンバーグは渡さん」


 3人の男子たちは醜い争いを始めた。委員長の手作り料理にはそれぐらいの魅力があるのだ。

 俺は彼らが争っているうちに、ゆっくりと味わうことにした。箸でハンバーグを切ると、美味しそうな肉汁がとろりとこぼれる。そのまま口に運ぼうとして、武笠さんがじっと見ていることに気づいた。

 ど、どういうことなんだろう。端正な顔立ちの彼女に見つめられると緊張してしまう。まさか、料理の出来に自信が無いとかだろうか。いや、見た感じだと、美味しさは約束されているようなものだ。

 俺は、謎のプレッシャーを感じつつ煮込みハンバーグを口に運んだ。


「お、美味しい。やわらかいバンバーグに、少し酸味のあるソースが良い感じに絡んでいるよ」


 思わず声が出てしまった。見た目以上の美味しさである。


「……良かった」


 武笠さんは、ほっとしたかのように口元を緩めて微笑む。クールな印象の強い彼女が見せる笑顔は、妙に可愛らしく感じられた。


「いやー、委員長って料理も得意なんだね。あっ、それだけじゃなくて、この料理って手がかかるでしょ。ハンバーグを作って煮込まないといけないから、朝からだと大変だったんじゃないの」

「ふふ、褒めすぎよ。たまたま食材があったから作ってみただけだから。……でも、そんなに喜んでくれるのなら良かった」


 俺としては正直な感想を言っただけなのだが、武笠さんは照れたような表情になった。なんだかいい雰囲気になっているような気がする。


「……おいおい、オレの分だけ小さく見えるんだけど」

「……なら、こっちにするか」

「……いや、そっちの方が小さいような。くっ、迷うぜ」

「……僕は早く食べたいんだけど」


 一方、3人の男子たちは醜い争いをまだ続けていたのだった。

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