第6話 武笠優利とお弁当

 昼休み前の授業は、日本史だった。

 担当しているのは定年間近の男性教員なのだが、授業が面白いので人気がある。授業のたびに、教科書とは別の資料を配布して興味深いエピソードを語ってくれるので、ついつい引き込まれてしまうのだ。それでいて、テストなどのポイントは押さえているので、これは熟練の技というものだろう。


 授業が終わったあと、先生が資料を片付けるのに困っているようだったので、委員長である武笠優利むかさゆうりが手伝いを申し出た。それでも、手が足りないようなので俺も手伝うことにする。


「君達、すまないな。その古い地図は使わないから、社会科資料室に運んでほしいんだ。昼食前に申し訳ないが、貴重な物だから慎重にお願いするよ」

「わかりました」


 真面目な武笠さんは、先生に歯切れよく返事した。

 先生の指示に従って、俺と武笠さんでくるくると巻いた古地図を持って移動する。資料室まで運ぶのはそれほど苦労しなかったのだが、そこからが長かった。武笠さんが、古地図についてちょっとした質問をしたところ、先生が長話を始めたのである。良い先生なのだが、話が長いのが唯一の欠点なのだ。



 資料室を出た頃には、結構な時間が経っていた。


「一ノ瀬君、ごめんね。手伝ってもらった上に、ずいぶんと長い間つきあわせてしまったわね」

「いいよ。先生の話は面白かったし、資料運びを委員長にだけに任せるってわけにはいかないからね」

「そう、良かった。……ありがとう」


 武笠さんは、歩きながら控えめな笑みを浮かべた。委員長の彼女は、しっかり者でクラスのみんなから頼りにされている。その彼女に感謝されるというのは、悪くない気分だ。

 教室に戻ると、桜川さんがこちらへ申し訳なさそうな表情を浮かべてやってきた。


「優利、ごめーん。戻ってくるのが遅いから、お弁当を先に食べちゃったよ」

「別に謝るようなことじゃないわよ、先生と話し込んでしまっただけだから。ああ、意外に時間が経っているのね」


 クラスのみんなは、すでに大半が昼食を終えてしまったようだ。霧島さんも、豪華そうなお弁当箱をハンカチで包み直していた。 


「うおーい。遅いぜ、一ノ瀬。早く食べようぜ」


 遠くの席から、友人の寺西君が呼びかけてきた。彼は律儀にも待っていてくれたようだ。


「ああ、悪いな。でも、別に先に食べてくれてても良かったんだけど」

「ふっ、そこは男の友情ってやつだろ」


 お弁当を待つぐらいで友情を主張されても困るが、1人で食べるのも寂しかったのでありがたい。ふと、武笠さんが困った顔をしていることに気がついた。


「良かったら委員長も一緒に食べる? 1人で食べるのも味気ないでしょ」

「そうね……じゃあ、ご一緒させてもらおうかな」

「うんうん、一緒に食べよう」


 男の友情も良いが、そこに美人の委員長が加わってくれた方が良いのは当然である。男の友情を主張していた寺西君も、嬉しそうだ。


 俺の席が窓際で眺めが良い、ということで武笠さんと寺西君の3人で集まることにした。寺西君は、待ちきれないとばかりに弁当箱を開ける。


「今日は何かな。……って、うえー」

「なんだよ、その悲しげな反応は」


 弁当箱を開くと同時にうなだれた寺西君に、つっこみを入れる。


「オレの弁当を見てみろよ。ご飯に、昨日オレが残した野菜炒め、そこにチーズをさしたちくわだぜ。お袋め、手抜きにもほどがある。ちくわなんて、親父の晩酌のつまみが余ったヤツだ。くそう、さんざん待ったあげくにこの仕打ちなのか」

「いくらなんでも、反応が大げさすぎるだろう。ほら、お前のお母さんだって日頃の家事とか仕事があるだろうから、凝ったものばかり作ってられないんだと思うぜ」

「でもよう、これはあんまりだぜ。そういう一ノ瀬のは、どんなのだ……」


 俺が弁当箱を開けると、寺西君の動きが止まった。それどころか、武笠さんまでが無言で俺の弁当を見つめている。

 瞭子が朝から作っていた弁当は、三色そぼろご飯にチキンのトマト煮、デザートとして夏みかんがきれいに剥いてあった。ふむ、ずいぶんと気合が入っているな。


「一ノ瀬、その豪華な弁当って誰が作ったんだ? 普段はもっと雑なものを食べてるだろ。この前なんか、半額シールが貼られたスーパーの弁当をそのまま持ってきてたし」

「え? それは……」

「ま、まさか……昨日、教室に来た謎の美少女が……」

「それはない」


 寺西君が、あらぬ誤解をしそうだったので即座に否定した。間違ってはいないが、話が面倒な方向へ進むと困る。ふと、武笠さんまでが怪しむような表情になっていた。

 もしや、これは瞭子の策略だろうか。昨日の行動が不発気味だったから、手の込んだ弁当で驚かせようとしているのかもしれない。


「一ノ瀬君のご両親って、仕事の都合で遠くに行っているのよね。そのお弁当、すごく手が込んでいるように見えるけれど、自分で作ったわけじゃないよね?」

「あっ、いや……自分じゃないよ」


 そうだ、武笠さんは委員長という立場上、クラスメートの家庭事情なんかにも詳しいのだった。くっ、変に誤魔化そうとしたせいで余計にややこしくなってきている。今更、正直に話すのもどうかと思うし。


「その、母さんが帰ってきたんだよ。こっちで、ちゃんとしているか様子を見るためにね。それで久々だから、つい張り切りすぎたんじゃないかな。……ははは」 

「はっはっは、そうだよなあ。一ノ瀬に、お嬢様風な美少女がわざわざ弁当を作ってくれるなんて、あるわけないよな」

「くっ、なんだか腹の立つ言い方だなあ。俺にだって、誰かが作ってくれるかもしれないぜ」

「誰かって、誰だよ?」

「くっ、言っていて虚しいから、この話題はやめようぜ」


 陽気に笑う寺西君を見ていると、うまく誤魔化せたようだが、余計に本当のことを言いにくい状態になってしまった。ふと、武笠さんの方を見ると、彼女は妙に真剣な目つきで俺の弁当箱を見つめている。


「委員長、どうしたの。よかったら、食べる?」

「えっ、よく出来ているなって思って、催促したわけじゃないんだけど……せっかくだから、いただこうかな」

「うん、いいよ」


 俺は、未使用の箸を使って武笠さんの弁当のふたにチキンのトマト煮を1つのせた。


「なあ、一ノ瀬。オレたちって、友達だよな」

「そんな言い方しなくても、わけてやるから」

「やったぜ、オレの晩ごはんの残りの野菜炒めとトレードしようぜ」


 寺西君は、大量の野菜炒めをこっちによこすと、遠慮なくチキンを持っていった。そして、パクパクと食べ始める。


「うおっ、うめえ。鶏肉とトマトってよく合うんだな。残り物を詰めた弁当と違って、ちゃんと弁当用に作ってあるって感じだぜ」

「……おいしい」


 武笠さんは、上品に箸を使って口に運ぶと、ポツリと感想をもらした。


「冷めてもおいしく食べられるように味付けがしてあるのね。バジルの香りも良いし、すごく手がかかっているわ」


 作ったのは瞭子なのだが、優等生の武笠さんに褒められると俺まで誇らしい気分になる。彼女は、噛みしめるようにしてじっくりと味わっているようだった。のんびりしていると、残りを寺西君が狙っている気がしたので、俺も弁当に箸をつけることにした。うん、2人が褒めるだけあって美味しい。


 俺たちは、おかずを交換しつつ昼食を楽しんだのだった。おしゃべりをしつつも、武笠さんがときどき俺の弁当を見て、何かを考えるような素振りをしていたような気もするが、考えすぎだろうか。まあ、考えすぎだろう。

 俺は、気持ちを切り替えて午後の授業に備えたのだった。

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