第5話 霧島さや香と登校

 朝のさわやかな空気の中を気分良く自転車を走らせていると、俺の通う城本高校が見えてきた。この学校は名前の通り城跡にあるので、坂道を登っていかなくてはならない。

 気合を入れて自転車をこいでいくと、城跡を囲む堀を渡る橋が見えてきた。頑丈そうな石垣の下には緑色の水が溜まっている。足を止めて何気なく眺めていると、黒い高級車が近づいてくることに気がついた。


 車は、ゆったりと移動して橋の近くの広場に停まった。静かにドアが開くと、出てきたのは同じクラスの霧島さや香である。運転手の中年男性が荷物を取り出そうとしたようだが、彼女は手を制して自分で鞄を手に取った。運転手がうやうやしく頭を下げると、彼女も深々と頭を下げる。

 近くを通る1年生たちが興味深そうに眺めていたが、2年生以上の学生にとっては見慣れた光景だ。この学校は妹が通っているところほどではないが、それなりに由緒があるらしくお嬢様っぽい学生も居るのである。俺が1年生の頃、同じクラスの女子に乗馬が趣味という人が居て驚いた覚えがある。家が武士の末裔とか何かだと言っていたようが気がするが。


 俺は、自転車を手で押しながら霧島さんの所へと向かった。


「おはよう、霧島さん」

「あら、一ノ瀬君。おはようございます」


 霧島さんは上品に挨拶を返すと、ゆっくりとした動作で日傘を広げた。ベージュ色で花の模様が入っている。影になった彼女の顔は、いつもより青白く見えた。


「日傘かあ、優雅な感じでお嬢様っぽいね」

「そうでしょう、そうでしょう。ふふふ」


 正直な感想を口にすると、霧島さんは嬉しそうに微笑んだ。少しウェーブのかかったボリュームのある髪で、目鼻立ちがはっきりした彼女には、こういう表情がよく似合う。


「……コホン、一ノ瀬君。わたくしは、お嬢様っぽいではなくて、お嬢様だから間違えないで」

「ほいほい。ところで、日傘って普通の傘と何か違うの? その傘って、実は普通の傘ってことはないよね」


 俺は、学校へと続く道を歩きながら質問してみた。


「そ、そんなわけはないでしょう。わたくしが使っているのは、本物の日傘です」

「ふうん、そうなんだ」

「日傘というのは、太陽光や紫外線を遮るための物なんです。ですから、雨傘とは防水機能が違いますし、小さめなのです。中には、兼用の物もあるようですが」

「へえ、兼用の傘だったら1本で便利だね。それは……」

「これは専用の日傘です。わたくしは、きちんと使い分けていますから」


 何気なく聞いたのだが、霧島さんは力強く言い切った。


「こだわりってことかな。まあ、雨と太陽光を防ぐのだったら、材質とかも変わってくるだろうね。霧島さんが持っている日傘みたいに、刺繍? みたいな模様を入れられなくなるのかな」

「そうなんです。使い分ける面倒よりも、デザインが大事なんですから」

「なるほどねえ。まるでお嬢様みたいだね……いや、お嬢様そのものだったか」

「そうでしょう、そうでしょう。世の中、利便性だけにとらわれていては、いけないのですわ」


 霧島さんは機嫌良さそうに、クルッと日傘を回した。彼女が気に入っているという花の模様が、傘の上で回転する。なるほど、悪くない。話しているうちに、通用門へ続く坂道にさしかかった。

 堀にかかる橋から、学校の通用門へと続く道は、上り坂で何度も折り返している。新入生の頃は、どうしてこんな不便な道なのかと思ったのだが、ここが城であったことの名残らしい。なんでも、折り返す坂道で苦労している敵兵を上から攻撃するための物だそうで、それが今や通学路になっているのは不思議な気がする。


「霧島さんって、いつもお堀前の広場に車をつけてもらってるよね。あれって、裏門の方が楽じゃないの? すぐに校舎に入れるし、あそこは普通の道路だから交通の便も良いでしょ」


 俺は、坂道でスピードが落ちた霧島さんに歩調を合わせながら質問する。


「裏門のところの道路は、通勤の方の車が通り抜けるので交通量が多いですし、先生方が利用されるのです。ですから、邪魔にならないように、こちらを選んでいるのですよ」

「気を使っているってわけだ。これは、これでお嬢様っぽいよね」

「そうでしょう。このぐらいの坂道を登るぐらいは、どうということはないのです。……ふう、ふう」


 お嬢様っぽい、と言ったにも関わらず霧島さんは気づく様子はない。現代だから、上から攻撃されることはないが、更にスピードが落ちてしまった。急かすのも悪いので、俺は武将の従者にでもなったつもりでゆっくりとついていくことにした。


 通用門まで登りきると、霧島さんは立ち止まって息を整えた。俺にとっては大したことのない道だが、彼女にとっては一苦労らしい。


「はあ、はあ……こ、このぐらいは、どうということはありませんわ」

「うーん、大変なら裏門に送ってもらったらいいんじゃないの? 別に禁止されてるわけじゃないと思うけど」

「そ、そうはいきません」

 

 霧島さんは、きりっとした表情で遠くへ視線を向けた。視線の先には、高級住宅地がある丘が見える。瞭子もそろそろ学院についた頃だろうか。


「わたくしは、自分では何もできない箱入り娘とは違うのですから」


 どういうわけだか、霧島さんは挑むような目つきになっている。なんだろう、もしかすると対抗意識みたいなものがあるのだろうか。

 俺は、ゆっくりと歩き出した彼女に合わせつつ校舎に向かったのだった。




「あっ、一ノ瀬君、やっほ。さや香も、おはよう」


 3階にある教室に入ると、桜川亜衣さくらがわあいが笑顔で声をかけてきた。ふわっとしたセミロングの髪と適度に着崩した制服が、お洒落で可愛い。


「おはよう、桜川さん。今日も元気だね」

「うん、今日も学校生活を楽しまなくちゃね。一ノ瀬君は、さや香お嬢様の荷物持ちをさせられてたの?」

「ち、違います。わたくしが、学友にそんなことをさせるはずがないでしょう」


 からかうように言った桜川さんに、霧島さんは真面目な口調で答える。実のところ、霧島さんが疲れているようだったから、自転車の荷台に荷物を載せてあげたのだ。多分、桜川さんは教室から見ていたのだろう。


「ちょ、ちょっと、さや香。冗談なんだから、そんなに真剣に反応しないでよー。さや香って、見た感じは古い少女漫画の悪役みたいだけど、いい人だってみんな知ってるから」

「あ、悪役。……わたくしが悪役みたい……」


 霧島さんは、ぼうぜんとした表情で立ちすくんだ。意外にダメージを受けているようである。 


「わわっ、冗談だって、冗談。そ、そんなに落ち込まないでー。ほら、一ノ瀬くんもフォローして」

「えっ、フォロー? ええと、霧島さんって、気取った感じがあるけど細かいことを気にする……じゃなくて、細かいところに配慮できる人だし、お嬢様っぽいというか育ちの良さを感じるね。見た感じが、悪役っぽいというより高貴な雰囲気で近寄りにくいんだよ」

「……高貴なのかなあ? なんか、お世辞言い過ぎじゃない」


 適当なことを言った俺に、桜川さんが小声で疑問を発する。だが、霧島さんには効果は十分だったようだ。


「わたくしが高貴? ふふ、そういうことなら仕方がないかしら。ほほほ、うふふ」


 さきほどとは変わって、霧島さんは勝ち誇ったような表情になった。ちょっと変わった子ではあるのだが、まあ人が良いのは間違いがないだろう。

 何事かと集まってきた友達と話したりしているうちに予鈴が鳴り、今日の学校生活が始まったのだった。

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