第4話 いつもの日課

 夕食後、俺は妹の瞭子とささやかなお茶会を楽しんでいた。ただ、お茶会というには会話の内容は俗っぽいものだったが。


「私が帰ったあとのクラスの反応はどうだったの? 妹だって言って、その場をおさめたとか」

「いや、妹だとは言ってない。クラスのみんなに変なやつだと思われても困るからな。あんな意味ありげな行動をしておいて、母親からのメッセージを伝えに来ただけとか、がっかりされるよ。下手をすれば、妹を利用して自作自演でみんなから注目を浴びようとした哀れな男と思われそうだし」 

「ふうん、意味ありげな行動をしたつもりはないけどね。妹が、兄の通う学校を見に行くぐらいは普通のことでしょう。……うん、今のところは謎の美少女ってことになってるのね」


 妹よ、自分で自分のことを美少女と表現するのはどうかと思うぞ。俺は、なんだかあきらめの気分になって口に出すのはやめておいた。


「しかし、クラスの男どもはすっかりだまされてたなあ。放課後になったら、部活に直行する運動部のヤツも教室に残ってたし」

「ふふん、それはだまされているのじゃなくて、正当な評価なのよ。ふふふ」


 瞭子は、ご機嫌な様子で紅茶のカップを口に運んだ。ううむ、名門と称されるお嬢様学校へ通う人間がこんなことで良いのだろうか。だが、出来た妹の数少ない欠点なのだから、ちょっとぐらいは目をつぶってやるのが兄の器量かもしれない。このぐらいでシスコンにはならないだろうし。


「そういえば、八重藤学院って有名なんだな。女子は、そっちの方で盛り上がってたみたいだよ。制服が良いとか……あっ、同じクラスの霧島さんが、瞭子の学年章を見て2年生だってわかったって言ってたな。きっと同学年だから、兄妹の可能性を見落としていたんだな」

「それは、どうかなあ。それにしても、学院の学年章は、八重藤の花の咲く様子で学年を表しているのだけど、詳しい人がいるのね」


 しかし、今日のクラスの反応を見ると、瞭子と俺はそんなにも似ていないのだろうか。まあ、二卵性双生児は珍しいだろうし、俺たちの名前でもわかりにくいのだろう。俺の名前は明だが、瞭子と並べても双子のネーミングっぽくはない。両親が言うには、俺たちに名前をつけるとき「明瞭」という熟語が頭に浮かんだから、それをわけて名付けたらしい。


「ねえ、兄さん。さっき名前が出た霧島さんって人とは、何かないの?」

「何かって、何もないよ。彼女、どこかのお嬢様らしいけど……ちょっと変わってて、まあ良い人だよ」

「ふうん、その反応だと望み薄かなあ。ほら、もっと他にないの? 突然現れた謎の美少女に焦りを覚えたクラスの女の子が、アプローチしてくるとか」

「何を言っているんだよ。そんなことあるわけないさ。瞭子が俺の妹だってわかったら、男どもが友達になろうぜってやってくるかもしれないけど」

 

 うむ、確実に男の友達が増えそうである。友達が多くなるのはいいけど、こういう増え方はかんべんしてほしいものだ。


「ふう、残念ね。まあ、そこそこ楽しかったから良いけれど」

「ちょっとした娯楽のために、俺の平穏な学校生活を乱さないでくれ」

「平穏って、多少は突発イベントでもあった方が楽しいんじゃない? 兄さんだって少しは楽しんだんじゃないの」

「俺は戸惑っただけだよ。……むっ、クッキーはこれが最後か」


 いつの間にか、お茶菓子を入れていた皿やティーカップも空になっている。


「今日のお茶会はここまでにしましょうか。……兄さん、今日のメープルクッキーが半額になってたらまた買ってきてね」


 瞭子は真面目な顔でクッキーを要望すると、椅子から立ち上がった。俺も気分を切り替えて、一緒に後片付けをする。


 洗い物をしながら、ふと今日の出来事を思い出す。瞭子には言わなかったが、正直なところ少しは俺も楽しんでいたかもしれない。みんなから注目されるというのは、思ったよりも気分が良いものだ。

 とはいえ、明日からはいつのも平穏な学校生活だろう。これは、これで良いものなのである。




 翌朝、俺は早朝から家の周囲をランニングしていた。俺は部活に所属しているわけではないが、出来た妹を持つ兄として多少は格好をつけなくてはならないのである。家の前を掃除している近所のおじいさんに挨拶しつつ、古い建物が並ぶ細い道を駆け抜けていく。

 空はさわやかに晴れているが、早い時間なので涼しさが感じられる。これからやってくる梅雨や暑い夏を考えると憂鬱だが、今は心地よい5月を楽しむことにしよう。


 30分ほど走って家へと戻ってきた。我が家は古い住宅地の隅にあり、家の裏は林になっている。この林は、高級住宅地がある丘の山裾にあたるのだが、開発からは取り残されていて高級住宅地の一部になる日は来ないだろうと予想できる。俺は汗をふいてから、玄関の戸を開けた。


 食堂のテーブルには、お弁当が2つふたをした状態で置かれていた。キッチンでは瞭子が洗い物をしている。


「なあ、お弁当が2つって俺の分もあるのか?」

「うん。昨日、兄さんが買ってきた夏みかんをもらったから、ついでに作ったの」

「ふうん、それはありがたいな。どれどれ、中身は何かな……」

「ストップ。それは、お昼のお楽しみにしてね」


 瞭子に止められてしまったので、大人しく手を引っ込めることにした。普段は、自分の分はそれぞれが用意することになっているのだが、気が向いたときは瞭子が作ってくれることがある。


「むう、それにしてもずいぶんと凝ったものを作ってたみたいだけど。何か行事でもあるの?」


 確か、俺が起きたときには既にキッチンで作業をしていたような気がする。


「特にないわよ。お嬢様学校では、それなりに品のあるお弁当じゃないといけないのよ。お友達と食事するときに見劣りするわけにはいかないから」

「お嬢様って大変なんだな。そういえば、そっちの学校にも食堂があるんだろ。食堂で食べれば気を使わなくて済むんじゃないのか」

「お洒落で美味しい、まさにお嬢様向けの食堂があるわよ。……ただ、値段もお嬢様向けなのよね」

「ああ、そういうことか」

 

 俺たちは両親から食事代をもらっているが、それは常識的な額である。いや、庶民にとって常識的な額というべきだろうか。瞭子は学費こそ減免されているものの、その他の諸々の費用については苦労しているようだ。


「ふう、なかなか大変なのよね」

「でも、うちは普通の家なんだから変に見栄をはらなくてもいいんじゃないの」

「普通の家だからこそ工夫を凝らすのよ。人間、多少は無理をしないと成長できないもの。兄さんも……」

「あっ、俺はそろそろ着替えてくるよ」


 なんだか話が変な方向にいきそうだったので、さっさと退散することにした。

 お弁当はありがたいから、今度おいしい物でも買ってお礼にしておこう。俺もたまには弁当を作るのだが、とてもお嬢様学校で披露できるものではないのだ。



 身支度を整えた俺たちは、一緒に家を出た。戸締まりを確認すると、それぞれの学校へと向かう。

 瞭子は、手を振ると家の裏にある林へと進んでいった。林の中には、木々を管理するための林道があり、それが学院のある高級住宅地へと続いているのだ。彼女は急な山道を抜け、さり気なく高級住宅地へと続くバス停に座るらしい。俺も一度登ってみたが、かなりきつい道だった。まったく、お嬢様を演じるというのも大変である。


 俺は自転車の鍵を外して、自分の通う学校へとこぎだした。愛車は、いわゆるママチャリだが俺は気に入っている。天気も良いし、昨日と違って今日は穏やかな日になるだろう。

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