第52話 白河菫と山名詩乃との懇談

 茶道部の部室では、静かな時間が流れている。試験前でいくつかの部活が休みになっていることもあって、校内に居るとは思えなくなる瞬間があるのだ。

 わざわざ八重藤学院からやってきた白河菫しらかわすみれと話していると、山名詩乃がお茶を淹れ直して持ってきてくれた。


「どうぞ、一ノ瀬君。遠慮しないでくださいね」

「ありがとう、山名さん。ちょうど欲しかったところだったんだ」


 どうやら、白河さんとの会話で少し緊張していたようだ。お茶の香気に、身体がほぐれる感覚がする。

 

「詩乃さん、おかげさまで無事に用件を済ますことができました。わたしの無茶なお願いを聞いてくださって、あらためてお礼申し上げます」

「あら、そんなのいいのですよ。でしたら、少し3人でお話しませんか」


 俺と白河さんがうなずくと、山名さんは静かに正座する。そういえば、彼女はお茶を淹れ直すといいつつも時間がかかっていたような気がするが、もしかすると気を使ってくれたのかもしれない。


「ふふ、白河さんの心がかりが解消されて良かったです。実を言いますと、一ノ瀬君をお誘いするのに……緊張してしまいましたからねえ」

「えっ、そうだったの? 俺はずいぶんと優雅な招待の仕方だなあって感心したけれど」


 俺は、机の中に入っていた短冊のことを思い出した。鮮やかな毛筆の文字に驚いたものである。


「詩乃さんには、ご迷惑をかけてしまったようですね。すみません、この埋め合わせは必ずしますから」

「いいのですよ、白河さん。わたしは、軽い気持ちで引き受けたのです。ですが、いざ実行しようとすると困ってしまって。迷ったあげくが、あのような時代錯誤な手段になってしまったのですよ」

「まあ、新鮮な感じがして良かったと思うよ。でも、大変だったんじゃない? タイミングを見て気軽に言ってくれれば良かったのに」


 スマホでメッセージを送るという方法もあったと思うが、山名さんなりのこだわりがあるのかもしれない。彼女はお茶をゆっくりと飲むと、照れたような表情になった。


「お恥ずかしい話ですが、わたしは男性をお誘いするようなことがなかったものですから、なんと申しますか距離感のようなものがわからなかったのです。……コホン、とにかく一ノ瀬君は人気がありますからねえ、意識しすぎて変な行動をとってしまったというわけなのですよ」

「うーん、別に俺は人気者でもなんでもないと思うけど」


 俺は、部活に入って活躍しているわけでもないし、委員長のようにクラスで存在感があるわけでもない。山名さんは、男子に慣れていない感じがするから誤解しているのだろうか。


「いえいえ、一ノ瀬君はこの間、文化祭の催し物を決める際に見事な活躍をされていましたよ。それに、委員長と一緒に招待してくださった野外でのお茶会は素晴らしいものでした」

「あら、それはどのようなものだったのですか?」


 白河さんが、興味深そうに質問した。彼女も山名さんのように茶道をたしなんでいるのだろうか。


「ふふ、登山部の三嶋君の協力を得て、お堀のそばでお湯を沸かしてお茶を楽しんだのですよ。園芸部の畠山君が、収穫したてのイチゴを振る舞ってくれましたし、楽しかったですねえ。ああ、一ノ瀬君が用意してくれたわらびもちも美味でした。あれは、放課後まで野球部のクーラーボックスに入れて冷やしておいたのでしたよね」

「いや、そんな大したものではなくて、みんなに協力してもらっただけだから」

「ふふ、それが素晴らしいのだと思いますよ。わたしでは全く思いつかない発想でしたねえ。それに、登山部の先生の許可を取っていましたし、実に行き届いていました」


 嬉しそうに語る山名さんに、白河さんは感心したようにうなずいた。


「明さんは、人望もあるのですね。多くの方の協力を得るのは、簡単ではないでしょう」

「それは、大袈裟だと思うよ。みんな気軽というか、ノリで参加したみたいなものだし」

「いえいえ、みなさんが協力を申し出てくれるということが人望のある証ですし、まとめるのも大変だったでしょう」


 白河さんは、じっと真っ直ぐに俺を見て言った。ううむ、何だか過大に評価されている気がする。


「まあ、山名さんと一緒に参加した委員長にはお世話になったから、できる範囲でお返しをしたというだけの話だよ。俺はお茶の心得なんて無いから、できるかぎり工夫しようと考えたんだ。それが友達の協力もあって、たまたま上手くいっただけだと思うよ」

「そのお考えが立派だと思います。……こちらの学校も楽しそうなのですね。少し羨ましいです。……もちろん、八重藤学院に不満があるわけではなのですが」


 そう言って白河さんは、山名さんの方をちらりと見た。共学と女子校だから、違いは結構あるのだろう。


「ふふ、どちらの学校にも良いところはありますねえ。わたしも八重藤学院に行くと、感心することがあります。白河さん、遠慮せずにこちらの学校にも遊びに来てくださいね」

「ええ、ありがとうございます。こうやって交流すると、それぞれの良さを再発見できますから楽しいですね。明さんも機会があれば、八重藤の方へ是非いらしてください」

「うん、機会があればね。ただ、俺は男子だから気軽に女子校には行けないけれど」

「ああ、そうでしたね……簡単ではないのですね」


 にこやかに話していた白河さんだったが、少し浮かない表情になった。俺は社交辞令だと思っていたのだが、彼女は本気で考えていたのだろうか。いや、これは俺の考えすぎだろう。彼女と本格的に会話したのは今日が初めてである。変に意識して恥をかくのは避けたい。


「あっ、すいません。ずいぶんと長居してしまいましたね」


 白河さんが、ハッとした様子でスマホを取り出した。俺も確認してみると、結構な時間が過ぎている。

 俺たちは、協力して後片付けに取り掛かったのだった。




 茶道部の建物の前で、俺と山名さんは白河さんを見送ることになった。


「詩乃さん、今日は本当にありがとうございました。明さんも、今日はお話できて良かったです。またの機会に、よろしくお願いします」


 丁重に頭を下げた白河さんは、背筋を伸ばしたきれいな歩き方で去っていった。俺はその姿を眺めていたのだが、ふとある疑問に気づく。

 山名さんは、俺と瞭子が兄妹であることを知っているのだろうか。5月に瞭子がうちの学校にやってきたのだが、そのときは適当に誤魔化した覚えがある。だが、山名さんは白河さんから聞いているのではないだろうか。いや、さっきまでの会話では不思議そうにしていたから、知らないのかもしれない。彼女は奥ゆかしい人だから、詮索しないようにしてくれている可能性がある。


「あの、一ノ瀬君。どうしたのですか? 難しい顔をしていますけれど」

「いや、その……」


 俺が黙っていたのを不審に思ったのか、山名さんがたずねてきた。思い切って確認してみようか。


「山名さんって、俺と瞭子のことについて白河さんから聞いてるの?」

「いいえ、瞭子さんというお名前は何度か聞いたことがあります。ただ、白河さんはあまり話したがらないので、無理に聞くことはしていませんよ」

「そうなんだ。ふむ……」


 白河さんと瞭子はライバル的な関係にあるから、言いにくかったのかもしれない。今日のことだって、本当は瞭子を通して俺に連絡してくれれば話は早かったのだが、やはり抵抗があったのだろうか。

 それはともかく、山名さんにはお世話になったのだから、彼女には本当のことを話しておいたほうが良いかもしれない。いや、本来は隠す必要もなかったのだが、なんとなく言い出し難くなっただけなのである。


「山名さん、大事な話があるのだけど」

「は、はい。何でしょう?」


 俺が真面目な口調で切り出すと、山名さんは少し驚いたようだった。


「今日のことで話しておきたいことがあるんだ。できれば、内密にお願いしたいのだけど」

「は、はい、秘密は守ります。……お話はこれからでしょうか?」

「予定とかがなければ、今から話したいけれど」

「ちょ、ちょっとお待ちになってください」


 山名さんは、手のひらを俺に向けて制止するような動作をすると、キョロキョロとあたりを見回しはじめた。なんだろう、誰も居ないと思うのだが。


「コホン、その、いろいろと準備がありますので、明日でもよろしいでしょうか?」

「うん、いいよ。でも、短時間で済むことなんだけど」

「あの、わたしの方で都合がありまして……その」

「ああ、急かしてごめんね。じゃあ、いつにしようか」

「では明日、今日と同じ時間でいかがでしょうか? 場所も、同じように部室を使わせてもらえるようにしておきます」

「そんな大層な話じゃないんだけど。でも、ここは山名さんに合わせるよ」


 何だか変な気がしたが、俺から頼んだことなので、ここは山名さんの要望どおりにした方が良いだろう。彼女には彼女の流儀というものがあるのかもしれない。

 

 その後、山名さんが戸締まりをするというので手伝おうとしたのだが、きっぱりと断られてしまった。仕方がないので、俺は首をかしげつつ下校することになったのだった。

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