第53話 山名詩乃の本格お茶会

 テスト前ということで、学校には緊張した空気が流れている。こんなときに限って天気は良いもので、部活が休みになっている運動部のみんなは外を見ながらため息をついていた。テストの後には楽しい夏休みが待っているのだが、その期待ゆえに試験の苦痛が強調されている気がする。

 放課後になると、多くのクラスメートはそそくさと教室を出ていった。帰って試験勉強に取り組むのだろう。本来なら俺もそうするのだが、今日は山名詩乃との約束があった。



 指定された時間に茶道部の建物へ行くと、周囲は静まり返っていた。試験前なので運動部の掛け声や、吹奏楽部の練習の音も聞こえない。林の中にたたずむ瓦屋根の建物を眺めていると、ここが学校だということを忘れそうになる。


「一ノ瀬君、お待ちしていました」


 外で待っていた山名さんは、深々と頭を下げた。彼女は普段から礼儀正しい人なのだが、今日はより丁寧になっている気がする。


「うん、よろしくね。ただ、そんな大した話じゃ……」

「どうぞ、こちらです」


 俺が言いかけたときには、山名さんは滑るように建物へと入っていった。腰まである見事な黒髪がゆらりと揺れる。黒い髪留めには白い花を散らしたような模様があって、よく似合っていた。しかし、今日の授業中はこんなのつけていなかったような気がするのだが。俺は首をかしげつつ、彼女の後を追った。



 案内されたのは、昨日と同じ畳の部屋である。ただ、畳を切って設置されていた囲炉裏には立派な鉄瓶が乗っていた。しかも、周囲には茶道具らしきものまで置かれている。


「あの、山名さん。これは一体?」

「本当はこういうのは良くないのでしょうけれど、先生にお願いして使わせていただくことにしたのです。試験前に心を落ち着けたいという理由で、許可をいただいていますのでご安心ください。どうぞ、座ってお待ちくださいね」

「う、うん」


 山名さんの口調は穏やかだったが、抗えないような雰囲気を感じる。まあ、彼女に話があると言ったのは俺なので、ここは大人しく従うべきだろう。

 囲炉裏の近くの座布団に座ると、山名さんはすっとお盆を差し出してきた。


「今からお茶をてますので、まずこちらを召し上がって下さいね」

「ありがとう、上等な干菓子だね。落雁らくがんだっけ」


 俺は器に盛られた干菓子に手を伸ばそうとしたが、ふと思いとどまった。こういうときって、紙の上に取るのだっけ。もしかすると、山名さんは、俺に茶道の資質があるか見定めようとしているのだろうか。


「山名さん、こういうときは紙……ええと、懐紙かいしだっけ、そういうのを使うのが作法なのかな。俺、こういうことには疎くて」

「あっ、いえいえ、一ノ瀬君が気を使うことはありませんよ」


 鉄瓶に向かっていた山名さんは、弾かれたようにこちらを見た。慌てた様子の彼女は、普段の雰囲気に戻った気がする。


「すみません、窮屈な思いをさせてしまいましたね。これは、わたしが心を落ち着けるためにしていることですので、気になさらないで下さい」

「そうなんだ。その、無作法でごめんね」

「いえ、作法を押し付けるようなことはあってはならないことです。一ノ瀬君は、楽にしていただければ結構ですから」

「う、うん」


 再び鉄瓶に向き直った山名さんに、張り詰めた空気が戻った。なんなのだろう、これは。うちの学校では同級生と交流するのに茶道の心得が必要だとでもいうのだろうか。

 だが、考えてもマナーが身につくわけでもないので、俺は普通に干菓子を取って口に運んだ。やわらかく崩れる感触があって、ほろりとした甘みが口の中に広がる。


 俺がのんきに菓子を食べている間に、山名さんはお茶を点て始めた。何か道具を使って、茶碗をかき回すようにしている。あれは、茶筅ちゃせんというのだったか。茶道のことはよくわからないが、見事な腕前であろうことはわかった。


「どうぞ」


 俺の前に、黒い茶碗が差し出された。少し歪んだような器に、濃い緑色の茶が鮮やかである。

 こちらを見つめる山名さんには、張りつめたような美しさがあった。今日は色々と気になることがあって意識していなかったが、彼女も相当な美人なのである。つい緊張してしまうが、こんなところでみっともない姿を見せるわけにはいかない。


「無作法ですが」


 俺は、茶碗をごく普通に手に取った。茶碗を回すとかの作法はあるのだろが、付け焼き刃な知識では意味がないだろう。ならば、自分が思うように堂々と振る舞ったほうがマシという判断である。

 まず感じたのは、濃厚な香りだった。渋みのあるお茶は美味しいかよくわからなかったが、今までにない新鮮な感覚で身体に広がっていく気がする。


「うまく表現できないんだけど、思っていたよりも刺激的って言えばいいのかな。香りが圧倒的だし、未知の体験とでも言うのか。とにかく、すごいなって思ったよ」


 我ながらよくわからない感想になってしまったが、山名さんはにっこりと微笑んでくれた。


「ふふっ、楽しんでいただけたのなら何よりです。練習はしてきたつもりですが、やはり緊張してしまいましたね」

「そうなの? すごく洗練された動きで、俺なんかびっくりしちゃったよ。いやー、戦国時代に織田信長とかの茶会に招待された人はさぞや緊張したんだろうなあ」

「ふふ、そうですね。信長公は相当に怖そうなイメージがありますからねえ。一ノ瀬君、タイムスリップしたときに備えて茶道部に入りませんか?」

「ええっ、ずいぶんと斬新な勧誘だなあ」


 思わず吹き出してしまうと、山名さんも一緒に笑った。しばらくすると、緊張がほぐれていることに気づく。どうやら彼女も同じようで、いつものやわらかい雰囲気に戻っていた。


「さて、ずいぶんと前置きが長くなってしまいましたね。では、お話をうかがいましょう」


 そう言って山名さんは、座り直して背筋を伸ばしたのだった。  



 一瞬、何のことだろうと思ってしまった。そうだ、何故か本格的なお茶をいただいてしまったが、今日は山名さんに瞭子と俺の関係を説明するために来たのだ。 


「何から話せばいいかな……そうだ、山名さんは5月にうちの教室に八重藤学院の人が来たことを覚えているかな?」

「確か、一ノ瀬君の知り合いの方でしょうか。きれいな方でしたから、クラスで大騒ぎになっていましたねえ」

「あれね、俺の妹なんだ」

「……?」


 山名さんの動きがぴたりと止まった。彼女は、ぽかんとした表情で、まるで妹という単語を理解できないでいるみたいだ。


「だから、妹なんだけど」

「ですが、あの方って白河さんの話しぶりですと、わたしたちと同級生のはずでは……はっ、すみません。ご家庭の事情がおありなのですね」

「いやいや、違う。俺と瞭子は双子なんだよ」


 何か大変な勘違いをされそうだったので、俺は慌てて説明する。


「二卵性双生児で、男女の双子ってわけなんだ。昔から似てない兄妹って言われてたんだけど、今もそうみたいだね」

「い、いえ、学年が同じでしたから、兄妹という可能性を最初から考えなかったのです。それにしても……あっ」


 山名さんは、何かに思い当たったかのように口元に手を当てた。普段はおっとりした様子の彼女が、驚いたり慌てたりする姿は新鮮である。


「あの方……瞭子さんですね、そういえば八重藤学院で見かけたことがあります。華道部の活動であちらへ行ったときのことですが、立派な菖蒲の花を提供していただいたということで話題になっていましたね。正規の部員ではないそうで、たまに参加されるとのことでしたが」

「ああ、あの菖蒲の花はうちの庭に咲いたものだな。朝から近所のおばさんと準備してた日か」

「庭ですか? 一ノ瀬君の家は立派な……」

「違うよ、うちは古いだけの普通の家だからね。母さんが昔に気まぐれに植えたものが、今になって偶然に大きくなっただけだから」


 またもや、誤解が生じそうだったのですかさず説明しておく。これ以上事態がややこしくなっては困るのである。


「そうだったのですか、あの方と一ノ瀬君が兄妹ですか。あら、そういえば白河さんは一ノ瀬君の名前を呼ぶときに少し戸惑った様子がありましたねえ。名字ではなくて名前を呼んでいたことも不思議に思っていたのですが、理由があったのですね」

「瞭子と白河さんは、どうもライバル的な関係らしくてね、それで山名さんに事情を話しにくかったと思うんだ。仲が険悪というわけではないんだろうけどね」

「ああ、こうやって説明していただければ色々と腑に落ちますねえ。昨日も不思議に思っていたのです」


 そう言って山名さんは、ほっとした様子を見せた。別に隠すようなことではなかったのだが、話したことで俺もすっきりとした気分になっていたのだった。

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