第54話 一学期の振り返り
何故か茶道部の部室で、山名詩乃の本格的なお茶をいただくことになってしまったが、無事に話は終わった。緊張から解放されたおかげか、彼女との雑談が思いのほか楽しく感じられる。
「場所を移しましょうか。部員の控室の方がくつろげるのではないでしょうか」
「そうだね……って、長居してもいいのかな。迷惑じゃない?」
「いえ、試験勉強の息抜きをしたいと思っていたところですから、一ノ瀬君の都合が良ければどうでしょうか」
「じゃあ、お願いしようかな。きっと適度に息抜きをした方が、試験勉強もはかどるだろうし」
俺は山名さんと後片付けをしてから、部員の控室へ行くことになった。
移動した部屋は、さきほどよりも狭く、部員の私物らしき物も置いてあったりして生活感のようなものがある。おかげでリラックスすることができた。それは、彼女も同じように見える。
「ふう、さっきは緊張したなあ。まさか、本格的なお茶を体験することになるとは思わなかったよ」
「すいません、窮屈な思いをさせてしまったようですね。ですが、一ノ瀬君が大事な話があると言うので……その、心構えと言いますか……とにかく、気を引き締めなくてはと思ってしまったのです」
「あっ、ごめんね。紛らわしい言い方だったかもしれないなあ。しかも、内密にしてって言ったから、どんな大変な問題が起こっているかって考えちゃうよね。委員長にも相談できないことかって、思うよなあ」
「えっ? まあ、そ、そういうことです」
山名さんは少し戸惑ったようだが、慌てたように何度もうなずいた。心を落ち着けるために、お茶を点てるというのが彼女らしい。
「実は俺もびっくりしたんだよ。もしかしたら、茶道部の入部試験が始まってるのかと思ったりもしたし。茶碗を回して飲むとか、掛け軸を褒めるとか、いろんなことが頭を駆け巡って焦ってたんだよ」
「一ノ瀬君がいつになく真剣だと思っていたのですが、お互いに誤解をしていたわけですね。念のために言っておきますが、茶道部では人を試すようなことはしませんよ。ですから、入部希望の際は気軽におっしゃってくださいね」
「はは、お茶の良さはわかったけど難しさもわかったから、ちょっと考えさせてね」
俺が返事をにごすと、山名さんは上品に笑った。まったく、お互いに何か勘違いをしていたようだ。おかげで、無駄に緊張してしまったのである。
「やれやれ、瞭子と俺が兄妹だって早めに言っておけば良かったかなあ。なんだか大騒ぎになった気がしたから、言い出し難くなっちゃったんだよね。まあ、自意識過剰で、誰も俺の交友関係とか気にしてなかったのかもしれないけど」
「いえ、少なくとも女子の間では話題になっていましたよ。5月に、妹さんが一ノ瀬君を訪ねてきた日などは、色々な噂が飛び交っていましたねえ」
山名さんの口から思わぬ発言が飛び出した。リラックスしていたところに、不意打ちを受けた気分である。
「ええっ、でも次の日にはみんな普通にしてたと思うけど」
「本人の前で、あからさまな態度はとれないからでしょう。わたしは部活の交流で八重藤学院にはたびたび行っていましたから、心当たりがないか聞かれましたね。見たことがある、ぐらいしか言えませんでしたが」
「むう、みんな話題に飢えてたのかな」
「どうでしょうねえ。一ノ瀬君は、自分で考えているより人気があると思いますよ」
山名さんは何やら意味ありげに言ったが、それより考えることがあった。やはりあれは騒ぎになっていたのか、しかし、今になってわざわざ瞭子のことを妹だと説明するのも変な気がする。
「山名さん、今日のことは秘密にしておいてくれないかな。みんなをだます意図はないんだけど、謎の女子で騒ぎになって、実は妹でしたっていうのは恥ずかしい気がするんだ。白河さんみたいに知っている人も居るから、絶対に秘密ってことじゃなくてもいいから……必要がなければ黙っておく、くらいにしてくれると助かるんだけど」
「はい、それは結構ですよ。一ノ瀬君のプライベートなことでもありますし……あっ、委員長にも伏せておいた方がいいのですよね」
「そうだね。委員長に、妹を利用して目立とうとした男とか思われたら嫌だし」
「そんなことはないと思いますが。委員長は、コホン……わかりました、今日のことは胸に納めておきます」
委員長の
「ありがとう、山名さん。今日のことは2人の秘密ということで」
「2人の秘密ですか……ふふ、わかりました」
どこか楽しげに言った山名さんは、何度もうなずいてくれた。良かった。これでおかしな騒ぎは、これ以上は起こらないだろう。あとは、楽しい夏休みを迎えるために、立ちふさがる期末試験を乗り越えるだけである。
俺は、山名さんと試験対策について話しながら帰り支度をしたのだった。
期末試験が迫ってきたので、一ノ瀬家も試験モードになった。瞭子も同じような日程で試験があるため、恒例のお茶会も簡略したものとなっている。
夕食後、俺の買ってきた胚芽ビスケットとコーヒーを味わいながら試験に関するあれこれを話していた。勉強に集中するために軽く済ませるつもりだったのだが、こういうときに限って雑談が面白くなってしまうのである。つい話し込んでいると、瞭子のスマホが振動した。
「あっ、お母さんから電話だ」
ちょうど良いタイミングなので、お茶会を切り上げようかと思ったが、電話の内容は確認しておいた方が良いだろう。俺は、頭の中で数学の公式やら日本史の年表を思い浮かべながら待つことにする。しばらくすると、瞭子はため息をつきながら電話を切った。
「何かあったの?」
「お父さんが注文を受けて機械を据付に行ったらしいのよ。だけど、不具合が発生して大変なんだって」
「父さん、困ってるのかなあ」
「それがね、お母さんが言うには、お父さんは不具合の原因究明に夢中になっちゃって、ほうっておくとご飯もお風呂も忘れるぐらいなんだって」
瞭子は、理解ができないというように肩をすくめた。父親は、職人気質というのかエンジニア体質とでもいうのか、仕事に熱中すると周囲が見えなくなってしまうのだ。普通だと不具合が発生したら落ち込むと思う。しかし、父親はかえってやる気がでるタイプなのである。一刻も早く、うまくいかない原因を調べずにはいられないらしい。
「もう、期末試験のあとは三者面談があるから、一度帰ってきてって言ってたのに」
「まあ、それまでには終わる……と、いいなあ」
俺たちは顔を見合わせると、2人でため息をついた。生活の糧を稼いでくれているのはわかるが、もう少しは家庭の方にも配慮してほしいものである。母親は夏休み前には帰ると言っていたが、果たしてどうなることやら。
父親の仕事は気になるが、俺たちにできることは何もない。瞭子と俺はお茶会を終え、互いの試験勉強へと向き合うのだった。
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