第14話 住宅街の謎の店

 しばらくは何事もない平穏な日々が続いた。

 放課後、俺は駐輪場から自転車を出しながら、これからの予定を考えていた。そろそろ家の食材が少なくなってきたから、買い出しに行こうか。実のところ、まだ急ぐほどではない。しかし、これから6月になると雨が多くなるから、天気が良いうちに済ませておいたほうが余裕が出るだろう。俺は雲が多くなってきた空を眺めてから、自転車を走らせた。


 普段とは違う道を通ってみようと、大きな道路ではなく住宅街を抜ける道を選んでみた。古い日本家屋や住宅メーカーのモデルハウスのような新しい建物が混ざった、不思議な雰囲気の道をのんびりと走っていく。庭に子供用の遊具を置いた家や、大きな水槽を沢山並べてメダカを飼っている家などがあり、住人の生活が想像できるようでなかなか面白い。

 気分良く自転車で進んでいると、ちょっとした空き地が目に入った。家と家の間に、砂利が敷かれた中途半端な空間がある。駐車場かと思ったが、それらしき表示はなく、なぜか安っぽいベンチがいくつか置かれていた。


「公園でもなさそうだし何だろう。ベンチがあるから休憩所かな。いや、観光地でもないのに休憩所はないか」


 不思議に思った俺は、自転車を降りて空き地に入ってみた。三方を住宅に囲まれた謎のスペースである。何気なくベンチに座ってみると、奥の家の窓に「たこ焼き100円」という雑な文字の張り紙があるのに気づいた。


「そうか、このスペースに小さなお店があったのかもしれない。それがなくなったから、この中途半端な空き地が残ったってことか」


 しかし、たこ焼き100円っていうのは安すぎるのではないだろうか。いくつ入っていたのかわからないが、営業していたのはずいぶんと昔のことなのかもしれない。

 納得した俺が空き地を出ようとしたとき、奥の家の窓がガラリと開いた。妙に貫禄のあるお婆さんが顔を出して、じろりとにらんでくる。


「何か用かね」

「たこ焼きの張り紙を見て何だろうと思って立ち寄ったんです。あっ、ここって私有地ですよね。すぐに出ていき……」

「食べるのかね」


 お婆さんは実に無愛想な口調で言った。しわだらけの顔で、目を細めた表情は、なかなか迫力がある。


「えっ?」

「だから、たこ焼きだよ。たこ焼き以外は無いよ」

「じゃ、じゃあ1皿、あれ1船だっけ……とにかく1つお願いします」

「……ふん」


 俺の目の前で、窓がピシャリと閉まった。何なんだろう、これは。

 仕方なくベンチに座ることにした。通じたかどうかはともかく、このまま勝手に帰るわけにはいかないだろう。のんびりと空を眺めながら過ごすことにした。

 三方を住宅に囲まれた空き地は、不思議な雰囲気の空間だった。周囲の家からは何の音もなく、道路も無人である。まるで、通常の時間の流れから取り残されたかのようだ。黙って座っていると、さきほどのお婆さんとのやりとりが本当にあった出来事なのか怪しく思えてくる。

 不意に、ガラリと窓が開く音がした。


「出来たよ。さっさと取りにきな」

「あっ、はい」


 どうやらお婆さんは幻ではなかったようだ。立ち上がって取りに行くと、白い紙皿の上に大きなたこ焼きが8個乗っている。美味しそうなたこ焼きに驚きながら手をだすと、お婆さんはぼそっと言った。


「……100円」 

「えっ、100円なんですか? このボリュームで」

「何だい、不満かね」

「いえ、安かったので驚いただけです。えと、お代です」


 安さに戸惑いながら100円玉を取り出すと、お婆さんはむしり取るように受け取った。


「ふん。ここで食べていくのかね」

「せっかくなので、そうします」

「なら、空いた皿はあそこのゴミバケツに捨てな。その辺に捨てて、迷惑をかけるんじゃないよ」

「わかりました。ええと、ありがとうござ……」


 お礼を言う前に、窓はピシャリと閉まった。こうなると、むしろ面白くなってくる。俺はベンチにしっかりと腰を下ろして、100円にしては立派すぎるたこ焼きを味わうことにした。 


「熱っ、ふうふう……これは、うまいな」


 熱々のたこ焼きの中は、とろっとしていて旨味が口の中に広がっていく。香ばしいソースもたまらない。熱いとわかっていても、ついつい口に運んでしまう。プリッとした歯ごたえのタコも、実にうまい。

 気がつくと、お皿にあった8個を一気に食べてしまっていた。これで100円というのは、ちょっと信じられない。俺は、使用済みのお皿をゴミバケツに捨て、お婆さんの居る窓の外に立った。


「何かね、返品は受け付けないよ」


 ガラッと窓が開き、不機嫌そうなお婆さんが顔を出した。こんな対応をされると、だんだん興味がでてきてしまう。


「とても美味しかったです。本当に100円でいいのか、戸惑うぐらいですよ」

「ふん、わざわざどうも。あんた、見かけによらず育ちが良いのかねえ」

「ところで、持ち帰りも可能なんですか? さきほどは、ここで食べるか確認されましたけれど」

「できるさ。持って帰るのかい?」

「1皿お願いします」

「ふん、これから焼くから、しばらく待ちな」


 お婆さんは、鼻を鳴らすと窓に手をかける。俺は思わず声を出していた。


「あのう」

「何だい、まだ何かあるのかね」

「たこ焼きはすごく美味しくてボリュームもあったんですけれど、これで商売が成り立つのかなって」

「ふん、成り立たないって言ったらどうするんだね。あんたが養ってくれるのかい」

「えっ? それは事情を聞いてみないと何とも言えないですね。このおいしいたこ焼きが毎日食べられるのは魅力的ですけど」


 お婆さんは、ぐわっと口を開いて目を細めた。どうやら、笑ったらしい。 


「ハッ、あんた変わってるね。養ってもらう必要はないけど、事情ぐらいは教えてあげるよ」


 たこ焼きを作りながらお婆さんは、話を始めた。


「大したことじゃないさ。昔、結婚した相手がとんでもないヤツでね。女手一つで子供を育てるはめになったんだよ。ふん、こうやってたこ焼きを作ったり、酔っぱらい相手に小料理を食べさせたりしてさ」

「子供の面倒をみながらっていうと、すごく大変そうですね」

「まあね。だけど、あたしゃ食い扶持を稼ぐのに必死でろくに面倒はみなかったからねえ。ほとんどほったらかしにしてたんだけど、何故か子供は真っ当に育ったんだよ」

「それはお婆さんが必死に働く姿を見て、自然とそうなったんじゃないでしょうか」


 お婆さんは鼻を鳴らすと、たこ焼き用の鉄板に目を落とした。感情が読めないが、怒っているわけではないようだ。


「……さてな。それで、子供が大きくなって結婚したんだよ。で、家を建てたから一緒に住まないかって話になったのさ。子供と言っても、今はずいぶんデカくなってるがね」

「良かったですね。それにしても、立派なお子さんなんですね」

「どうだかね。まっ、とにかく暇になっちまったから、地域の催し物なんかで料理を出したりしてるのさ。それで、食材が余ったり気が向いたら、こうやって鼻垂れ坊主どもにたこ焼きを食べさせてるってとこだね。納得したかい?」

「ええ、謎が解けました。ところで、俺は鼻を垂らしてないですけど、たまに食べに来ていいんでしょうか」

「ふんっ、やっぱりあんた変わってるね。……そこのカレンダーに丸がついているのが営業予定日さ。いいかね、あくまで予定だから、その日だとやってるかもしれないってことだよ。ほら、焼けたから持っていきな」


 100円玉を渡し、たこ焼きを受け取ると、お婆さんは窓をピシャリと閉めた。このたこ焼きをは、瞭子へとお土産にしよう。

 俺は伸びをしてから、空き地に停めておいた自転車に向かったのだった。

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