第15話 妹とたこ焼き
帰宅した俺は、買ってきた食材の収納を始めた。
冷蔵庫に生鮮食品を入れ、レトルト食品を収納棚に並べる。物音を聞きつけたのか、瞭子がキッチンへとやってきた。
「おかえり。食材を買ってきてくれたのね。そろそろ買い物に行かなきゃと思ってたから、助かったわ」
「これからは雨が多くなるから、早めにと思ってね。あっ、これお土産」
俺は、不思議な店で買った100円のたこ焼きを取り出した。あらためて見ても、100円とは思えない立派なものである。
「あら、たこ焼きね。今日はどこもお祭りなんてなかったと思うけど。わっ、なかなか美味しそうね。まだ、少し温かいし」
「俺は食べてきたから、それは瞭子が食べてもいいよ」
「夕食前だけど、せっかくだから温かいうちにいただこうかな。兄さんも少しは食べるでしょう」
瞭子は、上機嫌な様子で皿と箸を食器棚から出した。お嬢様を目指す妹であるが、こういう食べ物もわりと好むのである。たこ焼きについてきた楊枝を使わないのは、こだわりだろうか。
「じゃあ、いただきます。あむっ……うん、良い焼き加減ね。中身もとろっとしていて美味しい。……高かったんじゃないの?」
「味の感想のあとに、値段の話をするのはお嬢様的にはどうなんだよ」
「家の外でだったら、絶対にしないわよ。どういう風の吹き回しなの……お小遣いを貸すのは駄目だからね」
たこ焼きを取ろうとした手を止めて、瞭子は鋭い眼差しで俺を見た。
「失敬な。兄として妹の喜ぶ顔が見たかっただけなのに……」
口にしてから、まるで自分がシスコンのように思えてきてしまった。瞭子は、疑いの目を俺に向けている。居心地が悪く感じてきたので、さっさとネタばらしをすることにした。
「実はこのたこ焼き、100円なんだよ」
「な、何ですって、そんなわけないでしょう。はむっ……うん、いい材料を使っている。タコだってしっかり歯ごたえがある。そんなに安いはずが……あむっ」
瞭子は驚いた様子で、たこ焼きを次々と口に入れた。確かめているのかもしれないが、俺の分が無くなりそうな勢いである。
「兄さん、タコって高いのよ。確か輸入されるタコはモーリタニア産が多いのだったかな。しかも、最近は需要の高まりで値上がりしているってニュースで見たわ。だいたい、スーパーの惣菜コーナーでもたこ焼きは結構高いでしょ」
「このタコって、わざわざアフリカから来てるのかなあ。国産よりは安いのかもしれないけど。それにしても、瞭子は色々と詳しいんだな。スーパーで値段チェックもしてるのか」
「べ、別にいいでしょ。食べ物に貴賤はないのよ。……はむっ」
俺が手を伸ばす前に、瞭子が最後のたこ焼きを奪っていった。お嬢様学院のクラスメートには見せられない光景だろう。まあ、喜んでもらえたのなら良いのだが。
食べ終えた瞭子は、しばらく考え事をしている様子だったが、おもむろに口を開いた。
「これは確かめないといけないわね」
「えっ? 何を」
「兄さんが嘘を言っているとは思わないけれど、これが100円だなんて信じられないわ。直接この目で見て、焼きたてを食べてみたい……コホン、食べて確認しないと」
「つまり食べたいんだな」
俺が言うと、瞭子は不満げな表情になった。指先でトントンと机を叩く。
「兄さん、女の子には建前とか言い訳が必要になることもあるの。そのあたりのニュアンスを黙って推察するとか、気づかないふりをして同意するとかできないと、もてないわよ。そもそも……」
「はいはい、わかったよ。俺も食べたくなってきたし、一緒に行くか」
なぜだか、お説教が始まりそうな気がしたので俺は素早く話を打ち切った。我が妹ながら、めんどくさい性格である。
「そうね、兄さんが行きたいのなら、私もついていくわ。……さてと、そろそろ夕食の用意をしようかな。まずは、兄さんが買ってきてくれた食材をチェックしないと」
「へいへい」
瞭子は、立ち上がると皿を流しに持っていった。後ろ姿から察するに機嫌は良いようだ。
あの個性的なお婆さんを見たら、瞭子はどんな反応をするだろうか。俺は少しだけ楽しみになった。
数日後の放課後、俺は自転車に乗ると、学校から少し離れたところにある公民館を目指した。瞭子も自転車で行くと言うので、目立たない待ち合わせ場所を選んだのである。公民館では特にイベントはないようだし、ここならクラスメートに目撃されることはないだろう。
待ちながら空を見上げると、雲が多くなってきていた。雨の心配はなさそうだが、そろそろ梅雨の季節が近づいてきている。少し陰った空の下で、紫陽花が咲きかけていた。
「うちの庭の草もどんどん伸びてきたな」
今週末あたりに、また草引きをしないといけないかもしれない。野菜や花はなかなか成長しないが、雑草だけはぐんぐん大きくなってしまうのだ。そんなことを考えていると、制服姿の瞭子が自転車に乗ってやってきた。
「兄さん、もう来てたのね。待った?」
「いや、時間通りだよ。それより、制服のままで来たのか。一度、家に帰ったんだろ」
瞭子はバス通学をしているから、家に戻ってから自転車でここへ来たはずだ。買い物用に使われている安物の自転車と、品のある制服がミスマッチである。
「着替えようかと思ったんだけれど、まあいいかなって。この方面なら知り合いに会うことはなさそうだし、学校帰りに寄り道って感じで楽しいじゃない」
「なるほどね。それにしても、八重藤学園のお嬢様たちは学校帰りにたこ焼きを食べたりはしないだろうな」
「でしょうね。それどころか、たこ焼きを食べたことのない人も居るんじゃないかしら」
「えっ、本当なのか?」
「もちろんよ。2年生になったとはいえ、いまだに驚かされることは沢山あるわ」
瞭子は、ごく当たり前のことを話すような口調で言った。お嬢様学院とは聞いていたが、そこまでなのか。
「さて、そろそろ行きましょう。学院のみんなは私がこんなことをしているなんて想像もしていないはずだから、ちょっとした秘密みたいで楽しくなってきたわ」
「ああ、行くか。そこそこ距離があるぜ」
俺は自転車にまたがると、例の店に向かってこぎ出したのだった。
自転車に乗った俺の後ろを、瞭子はぴったりとついてくる。それなりの速度を出しているのだが、瞭子は涼しい顔だ。
水面を優雅に泳ぐ白鳥は、水面下で必死に足を動かしているという話を聞いたことがある。しかし、我が妹は安物の自転車にもかかわらず、ゆったりとこいでいるようにしか見えない。ちょっとした坂道になっても、電動アシストの自転車のように滑らかについてくるのだ。
住宅街の人の少ない道路にさしかかると、瞭子がスッと横に並んできた。
「学校帰りに、2人でどこかに行くなんて久しぶりね」
「そうだな。久しぶりっていうか、学校の方向が違うからほとんどなかった気がする。ところで、その自転車って変速機能とかないよな」
「残念ながら普通の自転車よ。できるものなら電動アシスト付きで、優雅にサイクリングを楽しみたいけれどね。仕方がないから、自分の脚でカバーしてるのよ」
庶民の涙ぐましい努力というか、体育会系の理論である。それでも瞭子は楽しそうだ。
「なるほどね。バッテリーが高いなら、自分の脚を鍛えればいいってことか」
「脚が太くなったら困るけれどね。兄さん、例のお店って本当にこんな住宅地にあるの? あまり怪しいところは、遠慮したいのだけど」
「個性的ではあると思うけど、怪しくはないよ。ええと……」
俺は自転車をこぎながら、たこ焼きを作っているお婆さんについて話した。瞭子は半信半疑という様子で聞いている。まあ、実物を見ないと100円のたこ焼きも信じられないよな。
あのお婆さんを見たら瞭子はどんな反応をするだろうか、俺は楽しみにしつつ店に向かったのだった。
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