第16話 兄妹でのおでかけ
俺と瞭子は、住宅街にある空き地に到着した。家と家に挟まれた小さな空間には誰もいない。自転車から降りた瞭子は、不思議そうにあたりを見回した。
「あら、今日はお休みだったみたいね。この場所に屋台が来るんでしょ」
「いや、そうじゃないよ。今日は営業日だったと思うけど、ちょっと見てくる」
ぽつんとした空き地に、ベンチがいくつか置いてあるだけの空間である。ぱっと見ただけでは、店があるなんて思わないだろう。俺は「たこ焼き100円」と雑な字の張り紙がある窓に向かった。
周囲は静まり返っていて、この前の出来事が幻だったかのように思えてくる。営業しているか不安になってきたところで、窓がガラリと開いた。
「なんだ、あんたまた来たのかね」
お婆さんが、以前と同じように無愛想な表情で言った。そっけない態度ではあるが、俺のことは覚えていたようだ。
「どうも、こんにちは」
「ふん、挨拶回りにきたわけでもないんだろ。……食べるのかね」
「はい、2皿お願いします」
「食べ盛りってわけかい。……おや」
ふん、と鼻を鳴らしたお婆さんは、目を細めて俺の背後を見た。視線を追うと、瞭子がベンチに行儀よく腰掛けている。こうして見ると良家の子女に見えなくもない。
「あんた……うちは、たこ焼きの店だよ。小麦粉を使ってても、パンケーキみたいな洒落たものは無理だからね」
「えっ? いえ、たこ焼きをお願いしたいんですが」
俺がよくわからないまま答えると、お婆さんは大きなため息をついた。
「あんたねえ。せっかくの女連れなのに、こんな婆のたこ焼きを頼んでどうするんだね。金が無いなら、無いなりの工夫をしたらどうだい」
「あのう、何やら誤解があるようですが、あそこに座っているのは妹なんですよ。この間、持ち帰ったのが気に入ったみたいで、ぜひ焼きたてを味わってみたいとかで」
「ふん、妹ねえ。とにかく、あたしゃ知らないからね。気合を入れて焼いてやるから、しばらく待ってな」
「あの、本当に妹なんで……」
言い終える前に、目の前の窓がピシャリと閉まった。何か誤解があるようだが、まあいいだろう。お婆さんは言葉遣いが乱暴だが良い人のようである。
俺は、ベンチのある場所に戻って瞭子の隣に座った。妹は、安っぽいベンチで背筋を伸ばして姿勢よくしている。
「兄さん、色々と話していたみたいだけど、まさか普通の家の人に頼んで作ってもらっているわけじゃないよね?」
「そんなわけないだろ。ほら、あの窓のところに『たこ焼き』って張り紙があるじゃないか」
「ああ、あるわね。でも、あれだと昔は店があったっていう風にしか解釈できないと思うけれど」
「俺も最初はそう思ってたんだけどな。とにかく、注文はしたんだからしばらく待とうぜ」
「そうね。よくわからない状況だけど、むしろ楽しくなってきたわ」
瞭子はそう言うと、控えめな笑みをみせた。これは外向けの表情だろう。
「瞭子は学校帰りにどこかへ寄ったりはしないのか?」
「たまに友達に誘われることもあるけれど……困るのよね」
「えっ、何かトラブルでもあったのか」
「そんなことは無いわよ。ただ……学院の近くって高級住宅街だし、お金持ちの子が多いのよね。金銭感覚というか経済格差とかが……」
「色々苦労してるんだな。っと、出来たみたいだ、もらってくる」
俺はベンチから立ち上がって、お婆さんのところへと向かった。
2皿のたこ焼きを持ってベンチに戻ると、瞭子は驚いたように目を丸くした。
「わっ、すごく美味しそうね。出来立てっていうのもあるけど、この前のより更に美味しそう」
「そうだな。お婆さん、気合を入れて焼くって言ってたけど、本当だったんだ」
「どういうこと?」
「あー、なんか今日は調子が良いとかなんとか……そんなことより、さっさと食べようぜ。冷めたらもったいない」
説明するのが面倒だったので、俺は楊枝を手に取ってたこ焼きに突き刺した。うむ、感触と見た目から表面はカリッと焼き上げられている。中身はどうだろうか。
「うわっ、熱っ……でも、うまい。やるな、婆さん」
「兄さん、子供じゃないんだから落ち着いて食べなさいよ」
瞭子は丁寧な手付きで楊枝を使い、たこ焼きに小さく切れ込みを入れた。湯気を見て熱さを確認しているのか、あるいは冷ましているのかもしれない。しばらくして、瞭子は上品な動作でたこ焼きを口に入れた。
「はむっ……んっ、ちょっと熱いかな。でも、このぐらいが美味しいのよね」
「もしかして、たこ焼きを上品に食べる作法とかがあるのか?」
「決まった作法なんて無い……と思うけれど、他人に不快感を与えないとか見苦しくならないようには気をつけているわ。気づかいが大事なのよ」
「むう、そんなものなのか。でも、こういう食べ物は好きに食べるのが美味しいんだよなあ」
熱々のたこ焼きを堪能しつつ瞭子の様子をうかがったが、実に優雅に食べている。上品な制服に、たこ焼きを落としてしまいそうな様子は全くみられない。
「あれは小学生の時だっけ、瞭子が隣のおばさんに着付けをしてもらって浴衣で夏祭りに行ったのは? せっかく行ったのに、浴衣が汚れると困るって言って何も食べなかったよな」
「ああ、そういうことがあったわね。女子にはねえ、食欲よりも大事なことがあるのよ。兄さんからすると、何をバカなことにこだわっているんだと思ったかもしれないけど」
「いや、根性があるなって思ったよ。お嬢様ごっこもいつか飽きると思っていたけど、ここまで来たら大したもんだ」
「ふふ、私は昔から将来を見据えて行動してきたのよ。でも、あの時は家に帰ったら、兄さんが私の分を買っておいてくれてたから……あら」
空き地に自転車を停める音が聞こえた。顔をあげると、中学生ぐらいの男の子が例のお婆さんの窓へと向かっていく。短髪で大きなバッグを持っているから、運動部系の部活の帰りだろうか。
注文を終えた男の子は、俺たちの正面のベンチに座った。そこで、彼は俺たちの存在に気づいたのか、チラチラとこちらの様子をうかがっている。視線は俺ではなく、主に瞭子の方を向けられていた。
「……ふふ」
瞭子は男の子を見て、控えめに微笑みかけた。外向けの極めて上品に見える笑顔である。彼は、顔を赤くするともじもじして下を向いてしまった。少年よ、
「……おいおい、罪のない少年を惑わせるのはよせよ」
「……人聞きの悪いことを言わないで、たまたま目が合ったから微笑みかけただけでしょう」
小声で話していると、男の子が何故か俺を羨望の眼差しで見ていた。絶対に何か誤解していると思ったが、仕方なく曖昧な笑みを浮かべておくことにする。
住宅街の空き地に、平和な時間が流れていった。
たこ焼きを食べ終えたところで、瞭子が買って帰ろうと言い出した。2人でお婆さんのところへ行くと、窓がガラリと開く。
「まだ何か用かい? むっ、うちはたこ焼きしかやってないからね。お嬢さんの口に合わなかったからって、クレームは受け付けないよ」
「とても美味しかったですよ。ですから、持ち帰り用にもう1皿欲しくなってしまったのですが、お願いできますか?」
相変わらず無愛想なお婆さんだが、瞭子は全く物怖じせずに話す。妹の見た目はお嬢様風だが、育ちは庶民である。だから、言葉遣いの荒いお婆さんぐらいは慣れているのだろう。
「ふん、こいつは驚いたね。あんたみたいなお嬢さんが、うちのたこ焼きを所望なさるとはねえ」
「美味しいものは、美味しいですから。私は自分に正直なんです」
「ほう、なかなか面白いね、あんた。ところで、そこの坊っちゃんはどうするんだね」
2人のやりとりを興味深く見ていると、急にお婆さんがこちらを向いた。瞭子も澄ました顔でこちらを見る。
「兄さん、私は自分の分を買うから、欲しかったら別に買ってね」
「もう1皿全部食べる気だったのか。……お婆さん、俺の分も1皿お願いします」
「……あんたら、本当に兄妹だったのかい。ふん、世の中はまだまだ広いねえ。今から焼いてやるから、おとなしく待ってな」
お婆さんは目を丸くすると、窓に手をかけた。いつものようにピシャリと閉めるのかと思ったのだが、窓は静かに閉まったのだった。
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