第2話 ざわつく教室
気まぐれな妹と別れ、放課後の教室に戻ると、中には多くの生徒が残っていた。俺は帰ろうと、鞄を取りに席に向かったのだが、周囲にわらわらと同級生たちがついてくる。
「ね、ねえねえ、一ノ瀬君。あのー、さっきの人って誰? あの、ええと、どういう関係なのかな」
クラスメートの
「ああ、あれはね……」
「う、うん」
桜川さんは、どこか緊張した様子で俺の言葉の続きを待っている。いつも可愛らしい笑顔を浮かべている彼女にしては珍しい表情だ。なんだか変なことになっているな、と思いつつ俺は口を開く。
「あれは、い……いや、そのう……」
「い、言えないような関係なの? あっ、その、追及するわけじゃなくて……あたしが気にするような事じゃないんだけど……じゃなくて、気になるっていうか……」
妹だ、と答えようとして口を濁すと、桜川さんは動揺した様子をみせた。何か言いかけたようだが、どんどん声が小さくなっていく。あれは妹だとはっきり言えば良いのだが、思いとどまる理由があったのだ。
瞭子は、兄だから言うわけではないが出来た妹なのである。うちの家は裕福でも名門でもないが、努力と根性、気合もろもろでお嬢様学校として有名な八重藤学院に見事に合格したのだ。真面目に勉強しているし、単身赴任の父についていった母親の代わりに家事もこなしている。見た目も……兄からはなんとも言えないが、大抵の人は称賛の言葉を口にするから、そういうものなのだろう。
だが、そんな妹にも困った欠点が1つあったのだ。本人は決して認めないが、周囲から注目を浴びたり、ちやほやされたりするのが大好きなのである。お嬢様学校に通い、上品に振る舞っている彼女にしてはあまりにも俗っぽい一面なのだが、もしかすると努力していることの反動なのかもしれない。あるいはストレスか。
だから、兄として、出来た妹のちょっとした趣味に合わせてやるぐらいのことはしても良いのではないだろうか。さきほどは、謎めいた他校生として注目を浴びて楽しんでいたはずだ。それなのに、俺が妹だとあっさりネタをばらしてしまったら可哀そうではないか。
俺はシスコンではないが、そう考えるのだ。
「あ、あのっ、一ノ瀬君、怒っちゃった? あのう、詮索するとかプライベートに踏み込むとかじゃなくて、あの、その……あうぅ」
気がつくと、桜川さんが不安げな表情で俺の様子をうかがっていた。しまった、黙って考え事をしていた俺を勘違いしたらしい。これは正直に話した方がいいだろうか。悩んでいると、誰かがこちらに駆け寄ってくる気配があった。
「い、一ノ瀬君。あ、あの方は誰ですの? さきほど裏門から出ていったようですけれど」
「あっ、霧島さん。見てきたの?」
「わっ、わたくしが、のぞきのようなみっともない行為をするはずがないでしょう。他校の方ですから、迷ってはいけないと見守っていただけですわ」
同じクラスの霧島さや香が、興奮した様子で言った。彼女は、家がお金持ちらしく、いつも気取った態度で接してくるのだが、今は焦った様子である。自称お嬢様の彼女が、慌てている様子は少しおかしかった。
「あれは、名門の八重藤学院の制服。あの学年章からすると、わたしくたちと同じ2年生ですわね」
「へえ、霧島さんって詳しいんだ。さすがはお嬢様だね」
「そうでしょう、そうでしょう。ふふっ……ではなくて、どういった関係なんですの?」
お嬢様、と呼ばれて嬉しそうな顔をした霧島さんだが、あらためて追及してくる。どうも、彼女を含めて誰もが瞭子のことを妹だと思わないらしい。
実のところ、瞭子と俺は双子、二卵性双生児なのである。両親も不思議がっていたのだが、俺たちは双子でありながら全く似ていないらしい。だから、学年が同じということもあって、兄妹という可能性に思い至らないのかもしれない。
「あれはね……なんというか、古くからの知り合いというところかな」
俺は、言葉を選びつつ口を開いた。ここは誤解を招かないようにしつつ、妹の趣味にも合わせてやろう。おずおずといった様子で桜川さんが質問してきた。
「古くからって、ええと……お、幼なじみとか」
「それは、ちょっと違うかな」
桜川さんや霧島さんだけでなく、周囲のクラスメートに説明するように続ける。
「ええと、あれは同じ小学校に通っていたことがあるんだ。それで、顔なじみというか古くからの知り合いってところだね」
「小学校の同級生ってこと?」
「まあ、そんな感じだよ、桜川さん。みんな勘違いしているみたいだけど、大した話じゃないから」
小学校までは瞭子と同じ学校に通っていたから嘘ではない。妹を古くからの知り合いと表現しても、まあ日本語的には間違いではないだろう。
「それで、彼女は中学校からお嬢様学校に進んだから別々になったんだ。今日は、たまたまこのあたりに用事があって、俺が通う学校ってことを思い出したから、ちょっと様子を見に来たって言ってたよ。そのー、俺を驚かせようと思ったらしいんだけど、思ったより大騒ぎになったから、びっくりして変な態度になっちゃったらしいよ。はは、結構恥ずかしがりなのかなあ」
「そ、そうだったんだ。良かっ……コホン、びっくりしちゃったよ。あはは」
桜川さんが、ほっとした様子で笑顔になる。なんとか誤魔化すことができたようで、周囲からも「なあんだ」とか「やっぱりそんなものかあ」と言った声が聞こえてきた。期待していた人にはがっかりさせてしまったようだが、平和が一番である。
俺は、机から鞄を取って帰ろうとしたが、同級生たちが引き止めてきた。もうちょっと詳しい話を聞かせて欲しいということである。このところ特にイベントもないから、みんな話題に飢えているのだろう。あまり細部について聞かれるとまずいな、と思っていると、教室の扉がガラッと開いた。
「掃除当番の人は何をやっているの? わたしたちのクラスが担当する体育館前に誰も来ていないって、先生がおっしゃっているのだけど」
クラスで委員長を務める
「ああっ、運転手さんを待たせてしまっていますわ。ご、ごきげんよう」
「わわっ、友達と遊ぶ約束してたんだっけ。ま、またね一ノ瀬君」
霧島さんと桜川さんも、慌てて帰っていく。さきほどまで賑わっていた教室が、あっという間に寂しくなってしまった。
「……みんなして、何だったの?」
委員長の武笠さんが、形の良い眉をひそめてぽつんと言った。クールな彼女は、俺の席に他校の女子が座っているぐらいでは動じないのだろうか。彼女は腕組みをしながら、帰りそびれた俺に視線を向けてくる。
「委員長、大したことじゃないんだよ。実は……」
俺がひととおり説明すると、武笠さんはあきれたようなため息をついた。
「はあ、みんな何をしているのよ。部活がある人は、遅刻じゃないといいけど」
「はは、俺もちょっとびっくりしたよ。さすがに委員長は真面目だね、何か集まりがあったの?」
「ええ、クラス委員のミーティングがあったの。部活がある人に配慮して放課後すぐにだったのに、戻ってきてもみんなが教室に居るから何事かと思ったわ」
そう言って武笠さんは、きれいな黒髪をかき上げた。スレンダーな身体に制服をきっちりと着こなした彼女は、まさに優等生という感じである。
「ところで、一ノ瀬君と八重藤学院のその人とは、本当に古い知り合いなの?」
「まあ、そんな感じだけど、委員長もこういう話題が気になるの? 意外だね」
「えっ? あの、何でもないから。ちょっと、気になっただけだから。……あっ、先生の所に報告に行かないと」
武笠さんは急に思い出したかのように言うと、そそくさと教室を出ていってしまった。
一人残された俺は、しばらくの間ぽかんとしていたが、気を取り直して下校することにしたのだった。
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