見た目はお嬢様の妹のイタズラのせいで、クラスの女子がざわついています

野島製粉

第1話 うちのクラスに妹がやってきた

 この日、最後の授業は体育でバレーボールだった。

 俺が所属するチームは奮戦したが惜しくも敗北し、体育教師により後片付けを言いつけられてしまった。得意気に教室へと戻っていく勝ったチームを横目に、敗者となった俺たちは黙ってネットやらボールを倉庫へ収納する。試合の反省をしながらやっていると、結構な時間がかかってしまった。


 ため息をつきながら教室へと戻ると、廊下に人だかりができていた。疑問に思って教室をのぞこうとすると、近くに居たクラスメートの男子が俺の顔を見て驚いたような表情になる。


「あっ、一ノ瀬、お前……」

「俺がどうしたの? そもそも、なんで教室に入らないんだ」

「いや、それは……」


 何故かクラスメートの歯切れが悪い。気がつけば、周囲のみんなが俺の様子をうかがっている。人だかりの中には、放課後になったら部活に飛び出していくような連中も混ざっていた。

 一体なんなのだろう。俺は、強引に教室の中をのぞきこんだ。


 窓際の席に、他校の制服を着た女の子が座っていた。彼女は、こちらの騒ぎなど気にせず、どこか優雅な様子で窓の外を眺めている。5月のさわやかな風が、つややかな黒髪を揺らした。

 周囲の女子たちが、ヒソヒソと話しているのが聞こえてくる。


「あの紫を基調にしたブレザーて……八重藤学院やえふじがくいんよね」

「うん、すごいお嬢様が通うところでしょ。……シンプルだけど品のあるデザインでいいなあ」

「ねえねえ、あの席って一ノ瀬君の席でしょ。どういう関係なんだろ、もしかして……」


 不意に噂話をしている女子と目が合ってしまった。彼女たちは、口を閉じると気まずそうに俺から目を逸らす。まずい、このままではあらぬ誤解が広がってしまうかもしれない。みんなにとってはミステリアスな女子生徒なのかもしれないが、俺にとってはよく知った相手なのである。

 俺は教室の入口あたりの女子にどいてもらって、急いで自分の席へと向かった。周囲のクラスメートが注目しているのがわかるが、気にしている場合ではない。俺は、席を不法占拠している相手に声をかけた。


「瞭子、どうしてここに居るんだ。何かあったのか?」

「……」


 俺が問いかけても、瞭子は黙って外の景色を眺め続けている。しばらく間をおいたあと、彼女は計算したかのようにこちらに向き直った。

 背後から、クラスメートたちのどよめきの声が聞こえた。意外なことに、男子だけでなく女子の声も混ざっていたような気がする。だが、俺はため息をつきたい気分だった。瞭子は他人から見れば、まあ……美人なんだろが、俺にとっては見慣れた顔なのである。彼女は、真っ直ぐな眼差しを俺に向けた。


「ここは騒がしいみたいだから、廊下で話しましょう。……兄さん」


 瞭子は「兄さん」の部分だけ小声で言うと、すっと立ち上がった。椅子を丁寧に戻し、堂々とした足取りで廊下へと向かう。

 教室の入り口付近にいた男子は、瞭子に気づくとさっと道をあけた。まるで高級料理店の店員のような、うやうやしい態度である。瞭子が軽く頭を下げて微笑みかけると、彼の頬がだらしなくゆるむのがわかった。

 俺は色々な意味でため息をつきたいのを我慢しつつ、瞭子の後について教室を後にした。



 俺たちは廊下に出て、少し離れた場所に移動した。だが、クラスメートたちは相変わらず距離をおいて様子をうかがっているようである。瞭子はそれに気づいているのだろうが、意識していない様子で窓の外に目を向けた。


「なかなか雰囲気のある良い学校ね。城跡に作られたって聞いていたけれど、今でも名残を感じるわ。あら、グラウンドの端が白塗りの城壁になっているじゃない」

「あれは、現代になって復元されたコンクリート製らしいよ。さすがに野球のボールとかサッカーボールが飛び交うような場所に、貴重な文化財を置いとけないからさ。……じゃなくて、なんで俺のクラスまで来たんだよ」


 俺と瞭子が話している横を、隣のクラスの男子が通り過ぎていった。彼は、瞭子の顔を見て驚いたあと、俺の顔を見て「なんでこんな男が、こんな美少女と話してるんだ」とでも言いたげな表情を浮かべたような気がする。被害妄想かもしれないが。


「兄さんの通う学校を一度見てみたかったから……とかはどう? さすがは城本高校って言うだけのことはあるわね。お堀も残っていたし、想像以上だったわ」

「……で、本当のところは?」


 相変わらず「兄さん」の部分を小声で言う妹に対して、俺は問いただす。


「もう少し余裕を持って人生を楽しんだ方がいいと思うけれど。……お母さんから電話があったのよ」

「えっ、何かまずいことでもあったか?」


 我が家の母親は、単身赴任している父のところへ行っていたはずだ。父は、エンジニアをやっているのだが、日常生活が全くダメなのである。あまりのダメさに母親が様子を見に行っているのだが、長期滞在することが多く、もはや単身赴任ではなく夫婦で赴任しているようなものなのだ。


「お父さん、臨時の仕事が入って大変みたいだから、しばらく帰ってこれないって」

「そうなんだ。父さん、エンジンを整備したり機械を設計したりできるのに、どうして日常生活がダメなんだろうな」

「わからないよね。この前は、構造がどうなっているか知りたいって洗濯機を分解して壊したらしいよ。お母さん、怒ってた」

「ああ、そりゃあ怒るよなあ」


 父は頭が良い人なのだろうが、どこか浮世離れしたところがあって、デザインが優れているとか設計思想が良いなどと言って高価な電化製品をどんどん買ったりしてしまうのだ。そんなわけで、裕福でない我が家としては、母親が監視も兼ねて行っているというわけだ。

 俺は瞭子の話に納得しかけたが、すぐに周囲からそそがれる同級生たちの視線を思い出す。


「いや、その話だったら、わざわざ学校まで来なくてもいいじゃないか」

「そうかな? 電話したけれどつながらなかったから、この機会に兄さんが通う学校を見てみようかなって思ったのよ」

「電話?」


 スマホを取り出して確認すると、数十分前に履歴が残っていた。


「その時間は、ちょうど体育だよ。しかも、試合に負けたし」

「あら、残念ね。ふふふ」


 瞭子は口元を隠して、上品に笑った。だいたい、緊急の用件ではないのだからアプリのメッセージでも十分だったろうに。俺は、チラチラと様子をうかがっている同級生たちを思い出してため息をついた。


「じゃあ、そろそろ帰るわ」

「えっ?」


 俺が何か言う前に、瞭子はあっさりとした口調で言った。抗議しようとしたのに、戸惑ってしまう。


「うん? 何かあるの」

「いや、ない」


 涼しい顔で聞いてくる妹に、俺はため息をついた。


「そうそう、天守台跡があるって聞いたのだけど」

「それは裏門を出て真っすぐ行ったところだよ。神社と記念碑ぐらいしかないけど」

「ありがとう」


 瞭子は、にっこりと笑うと、スタスタと歩いて行ってしまった。意味ありげな登場をしておいたわりに、帰るのはずいぶんとあっさりである。俺は、もう一度ため息をつくと深く考えることはやめて教室へ戻ることにした。

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