第31話 お返しを渡すというミッション
数日後、注文していたお返しの品が届いた。
俺と瞭子は、それぞれの分を持って学校へと向かう。空は曇りで梅雨のすっきりしない天気だが、なんだか新鮮な気分だ。
霧島さや香に、お返しのチョコを渡したらどんな反応をするだろうか。ちょっと楽しみである。
軽い気分で登校したのだが、教室に入ったところで問題に気づいた。どうやって渡せばいいのだろうか。深い意味は無いとはいえ、みんなの前で渡すのは避けた方がいいだろう。ここのところ平和な日々が続いて、話題に飢えているクラスメートの餌食にはなりたくない。
俺はともかく、霧島さんに迷惑をかけるようなことがあってはいけないのである。
「おはよっ、一ノ瀬君。どうしたの? なんだか難しそうな顔をしちゃって」
立ち止まった俺に、
「おはよう、桜川さん。雨が降りそうで降らない、変な天気だなって思ってたんだ。降ったら今日の掃除当番が無しになるけど、自転車で帰るのが面倒なんだよね」
「校舎裏の掃き掃除だっけ? そういう悪いことを考えていると、掃除のときは空が晴れて、帰るときに雨が降るんだよね。……ニヒヒ」
桜川さんは、いたずらっぽい表情で可愛らしく笑った。
「なんとかの法則だっけ、そうなると嫌だなあ。ちゃんと掃除はするから、雨はやめてほしいな」
「うん、早く梅雨があければいいのにね。ここのところ、すっきりしない日が多い感じ」
2人で窓の外を眺めていると、後ろから誰かの気配がした。
「おはようございます。桜川さんに、一ノ瀬君」
「あっ、さや香、おはよう。わっ、髪の毛がいつもよりボリューミーじゃない?」
「ふう、だから湿気の多い季節は困るのです。きちんとセットしてきたというのに」
霧島さんは、困った様子でウェーブのかかった髪の毛を撫でる。
「俺は髪を短くしているから湿気とか意識しないけど、髪の長い女の子は大変なんだね」
「身だしなみは大変なのですわよ。だからといって、手を抜くことはありませんけれど」
「あたしも普段どおりに見えるけど、気をつかってるんだからね」
桜川さんと霧島さんが、2人でうなずきあう。きっと男子にはわからない苦労があるのだろう。2人が髪の毛の手入れについて語っていると、教室の扉が開いた。
「みんな、少し早いけど座ってくれるかしら」
入ってきたのは、クラス委員長の
「先生から、学校生活に関するアンケートに回答するように言われているから協力して欲しいの。少し量は多いけれど、期限までに忘れないで提出してね」
アンケート用紙を受け取ったクラスメートたちは、さっそく記入を始めている。遅れないように鞄から筆記用具を出したところで、霧島さんにお返しを渡していないことに気づいたのだった。
お昼休みになった。俺はいつもの男子ばかりのメンバーでお弁当を食べていた。寺西君、畠山君、三嶋君と俺の4人である。
「よし、今日は『彼女ができたらやってみたいこと』っていうお題でトークしようぜ。オレは手作り弁当を作ってきてもらうことだな」
寺西君が箸を振り回しながら、何やら力説し始めた。近くを通りかかった女子生徒が一瞬立ち止まったが、逃げるように離れていく。
「そんな不毛な議論はやめて、山に登ろうぜ」
三嶋君が冷淡な口調で言った。前半はわかるが、どうして山に登ることになるのだろう。
「寺西君、植物は裏切らないよ。手をかければかけるほど、応えてくれるからね。僕と一緒に何か育ててみる?」
これまた畠山君が、謎の理論で園芸部への勧誘を始める。2人の発言に、寺西君はがっくりと肩を落とした。
「くそう、登山マニアと園芸マニアに聞いたオレがバカだった。一ノ瀬、お前ならわかってくれるだろう。手作り料理はロマンだろ」
「俺を勝手に一緒にしないでくれよ。というか、仮定の話をしても虚しいだけだろ」
「そんなことはないぞ。うちのクラスには可愛い女子がいっぱい居るし、可能性はゼロじゃない」
寺西君が熱く語れば語るほど、クラスの女子が離れていくような気がする。これでは、霧島さんにお返しを渡すどころではない。少なくとも、彼の居ないところじゃないと面倒なことになりそうだ。
こうして昼休みは、寺西君の話を聞いているうちに過ぎていったのだった。
放課後になると、曇り空が少し明るくなってきた。校舎裏の掃除は中止になりそうもないが、帰りに雨が降らないのようなのでありがたい。俺と、同じ掃除当番にあたっている河野君が近くにやってきた。
「なあなあ、一ノ瀬。今日の掃除当番を代わってくれよ」
「えっ、何を言っての? 代わるって、俺たち同じところの担当だろ」
「それはわかってるんだけど、部活がさあ」
河野君は、短く刈り上げた頭を気まずそうに撫でた。彼は熱心な野球部員である。
「今はレギュラーに選ばれるかの大事な時期でさ、ベストなタイミングで練習にのぞみたいっていうか。なあ、わかるだろ? 今の授業が終わった勢いで練習に行ったら、打てそうな気がするんだ」
「いやいや、掃除をして心を清めた方がいいプレイができるんじゃないの」
「あー、そうとも言えるな。でも、今日は何だか野球部員としてのカンが冴えてる気がするんだよ。なっ、頼むよ」
「俺は協力してあげたいけど、他の掃除当番の人が困るでしょ。校舎裏の掃除って、広いから面倒だし」
どうしたものかと考えていると、同じく掃除当番の
「どうしたのですか?」
「あー、そのう」
河野君は、言葉につまった様子で、ぽりぽりと頭をかいた。
山名さんは、腰まである長い黒髪が印象的な、おっとりとした性格の女の子である。霧島さんとは別の方向のお嬢様で、平安時代の宮殿とか十二単衣が似合いそうなタイプなのだ。さすがの河野君も、山名さんに掃除を押し付けるのは抵抗があるようだ。
仕方なく、俺が事情を話すことにした。
「あら、そういうことでしたら同級生として力になりたいですねえ。ええと、残りの掃除当番は霧島さんですから、わたしが聞いてみましょう」
山名さんは穏やかな笑みを浮かべると、落ち着いた様子で霧島さんの方へと向かっていった。
しばらくして、霧島さんのOKが出たので河野君は張り切った様子で教室を飛び出していく。一方の俺は、お嬢様2人とゆったりとした歩調で掃除に向かったのだった。
霧島さんと山名さんは、優雅かつ丁寧な手付きで掃除をするので結構な時間が経ってしまった。おかげで、戻ってきた教室には誰も居ない。
まったく、河野君め。俺はため息をつきかけたが、霧島さんにお返しを渡す良いタイミングであることに気づいた。山名さんも居るが、彼女はちょっと浮世離れしたところがあるし、いちいち詮索するような人ではないから大丈夫だろう。
俺は、鞄の奥にある包を確認してから霧島さんの机へと向かう。
「霧島さん、ちょっといいかな」
「あら、何ですの?」
霧島さんは、ウェーブのかかった髪をかき上げてこちらを見た。あらためて見ると、ちょっと近寄りがたい感じのする美人である。しかし、変に意識しても格好悪いので、できるだけさりげなく見えるようにお返しの品を取り出す。
「はい、どうぞ。この前、ご馳走になったときのお返し」
「えっ、これをわたくしに? ありがとうござ……い、いえ、わざわざお返しなんて」
いったん手を伸ばしかけた霧島さんだったが、思い直したかのように動きを止める。
「いや、近所のおじいさんのスマホのセットアップを手伝ったら、ギフトカードをもらっちゃってね。色々買ったついで……と言ったら悪いんだけど、思い出して買ってみたんだ。だから、気を使わなくてもいいからさ」
「そういうことでしたら、いただこうかしら。……い、いえ、ありがたく受け取らせていただきますわ」
霧島さんは、妙にぎくしゃくとした動きでチョコの入った小箱を手に取った。なんだか恥ずかしくなってきたが、これにてミッション終了である。
適当に挨拶をして帰ろうとしたのだが、何故か俺の真後ろに山名さんが立っていた。
「あら、贈り物ですか」
「ひいっ……や、山名さん、これは儀礼的というか適切な交流の一環なのですわよ。わたくしが、一ノ瀬君に何かを献上せよ、と要求したわけではありませんから」
「そんなことを思ったりはしませんよ。うふふ、面白い方ですねえ」
何故かびくびくした態度の霧島さんに比べて、山名さんはマイペースである。
「山名さん、これは霧島さんにお世話になったから、そのお返しだよ」
「そうだったのですか。一ノ瀬君は、律儀な方なのですねえ」
山名さんはおっとりとした話し方で、感心したかのようにうなずいた。
「うふふ、詮索するつもりはなかったのですが、わたしの方が
「見覚え? 山名さんがですか」
霧島さんが、小箱を持ち上げて様々な角度から眺める。
「わたしは華道部ですから、お花につい反応してしまうのですよ」
「ああ、そういうことか。霧島さん、良かったら開けてみてよ」
俺の言葉に、コクリとうなずいた霧島さんは丁寧な手付きで包装紙に手をかけた。彼女がそっとフタを開けると、紫陽花の花びらをかたどったチョコが姿を表す。
「まっ、まあ、これをわたくしに。チョコレートなのに、青色や紫色できれいに作られているのですね」
「うふふ、なるほど、紫陽花でしたか。花をモチーフにしたお菓子を作る会社と存じていましたが、今の季節にピッタリですねえ。一ノ瀬君は、風流な方なのですね」
お嬢様の2人に褒められて悪い気はしない。渡すのに手間取ってしまったが、結果的に良かったようだ。
霧島さんは、じっとチョコを見つめていたが、不意に顔を上げて俺を見た。
「ありがとうございます、一ノ瀬君。これは大事にしますわ」
「いや、食べ物だから賞味期限までに食べてくれると嬉しいんだけど」
「ふあっ、そ、そうですわね。だ、大事に食べるという意味ですわよ」
俺と霧島さんのやりとりを聞いた山名さんは、控えめに笑った。
「うふふ、まさに『仲良きことは美しきかな』ですね」
山名さんはどこか嬉しそうに言うと、きれいな所作で頭を下げて教室を出ていったのだった。
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