第32話 決まらないホームルーム
相変わらず梅雨は続いているが、少しずつ雨が少なくなってきた気がする。
今日は朝から曇りだったが、午後になると雲の切れ間から日差しがのぞくようになっていた。久々の明るい太陽になんだか心がうきうきする。
最後の授業はホームルームで、この時間になるとクラスのみんながそわそわしている雰囲気があった。
「では、ホームルームはここまでにしましょう」
担任の先生の言葉に、クラス中がざわつく。授業の終了時刻までは、まだ時間が結構あるはずだ。
「おっと、まだ教室を出ていかないで下さいね。残りの時間を使って、文化祭の催し物を考えてもらいます。文化祭は9月ですが、内容によっては夏休みを使って準備する必要がありますからね。では、あとは文化祭実行委員に任せます。時間になったら、解散してかまいませんから。何かあったら、呼んでください。では」
そう言って先生は教室を出ていった。うちの学校は、生徒の自主性を重んじる校風である。ただの放任主義とも言われているが、何か問題が起こらないかぎりは、あまり先生が口を出すことはない。生徒だって自由にやりたいから、変に問題を起こすようなことはないので、わりといい感じに機能していると思う。
先生と交代するかのように、文化祭実行委員の
「じゃあ、みんなからのアイディアをどんどん募集しちゃうよー。やりたいコトをどんどん言ってね」
沢井さんは、自称クラスのイベント担当である。ショートカットの彼女は少し騒がしい面もあるが、人懐っこくて親しみやすい性格だ。おかげで、みんなは気兼ねなく意見を言うことができる。
最初に模擬店をやりたいという意見が出ると、それをきっかけに様々な案がみんなの口からでてきた。沢井さんは、黒板に丸っこい字で記入していく。
途中、寺西君が勇敢にもメイド喫茶をやりたいと言い出して、女子全員から集中砲火を浴びるという出来事はあったが、活発な議論が続いた。
出てきた案は、何かの模擬店、教室を利用したお化け屋敷のようなアトラクション、お城と学校の歴史などを調べた展示の大体3つである。俺としては、みんなでやるなら何でも良かったのだが、ここから意見がまとまらない。きれいに意見が別れてしまったようだ。俺は、さりげなく知り合いの様子をうかがってみる。
霧島さや香は、それぞれのグループから同意を求められて困っているようである。彼女は存在感があるから、賛成してもらえば有利になるということだろう。
畠山君や三嶋君などは、それほど興味がない様子だった。ゆえに、どの案にするか決めかねているところだろうか。
ついに授業時間が終わり、放課後になってしまった。しかし、案はまとまっていない。議論に熱中している人たちは、放課後になったことも気づいていないようだ。文化祭実行委員の沢井さんも、あちらこちらのグループに呼ばれて忙しそうである。俺は特に予定が無かったから良かったのだが、何人かの生徒がそわそわし始めだした。
野球部の河野君は露骨に落ち着かない様子になったし、華道部の山名詩乃も控えめな動作で時計を気にしている。おっとりとした彼女にしては珍しいと思ったが、今日は有名なお花の先生を迎えるとか言っていたような。他にも、困った様子の生徒は何人も居るようだ。
そうした人たちの焦りが伝染したのか、議論の調子が徐々に刺々しくなってきているような気がした。
このままではいけないと思った俺は、立ち上がって意見を言おうとした。だが、勢いがつきすぎて椅子が倒れ、大きな音が教室に響く。
みんなが一斉に俺を見た。
「えー、沢井さん、文化祭で何をやるかって今日中に決めないといけないのだっけ?」
教室中の視線を浴びてプレッシャーを感じたが、椅子を戻しつつ何気ないフリをして話を続ける。
「ええとね、時期的にはまだ早いから、今日じゃなくてもいいよー。そうそう、先生が言ってたのは時間がかかるものをやるんなら早めに決めた方が良いってコトだったから」
沢井さんは、俺に呼びかけられてキョトンとした表情だったが、いつもの調子で答えてくれた。
「だったらさあ、今日は何をやるかっていう問題提起にとどめておいて一度解散したらどうかな。放課後に予定のある人も居るし、焦って決めるのは良くない気がするんだよ。いきなり文化祭に何をやるかって言われても、戸惑っている人も居るだろうし」
「あー、うん。そういうコトもあるかな。でも、今の勢いで決めちゃいたい気も……」
クラスのみんなは、黙って俺と沢井さんのやりとりに注目しているようである。
「落ち着いて検討した方がいいんじゃないかな。他のクラスと被っちゃう可能性もあるし、何でもできるわけじゃないでしょ。確か、模擬店は申請が必要だったと思うし、教室の利用にも制限があったような気がするんだ」
「……そだね。えっと、文化祭実行委員の会合で禁止事項とか推奨しないコトとかあったよー。うーん、どうしよっか……」
沢井さんはどうするか決めかねているようである。そこに、武笠さんが立ち上がって発言した。
「ある程度は具体的な案が出ているから、先生や文化祭実行委員会に確認してみましょう。決めるのはそれからでも遅くないと思うの。去年、どこかのクラスがやりすぎて怒られたって話も聞いたし」
「なるほどー、さすがは委員長だね。じゃあ、アタシが確認してくるから……ええっ、もう時間過ぎてるよー」
スマホを取り出した沢井さんは、急に慌て始めた。今まで気づいていなかったようだ。
「みんな、ごめーん。熱中しすぎちゃった。次までにアタシが必要なコトは調べてくるから。ええと、今日は解散で。……うう、みんな、ごめんね」
平謝りする沢井さんに、ホッとした空気が教室中に流れる。
予定のある人たちが教室をあとにすると、いつのもの放課後の雰囲気に戻ったのだった。
閑散とした教室で、のんびりと帰り支度をしていると沢井さんと武笠さんが俺のところにやってきた。
「一ノ瀬君、さっきはありがとね。アタシ、時間が過ぎてるのに全然気が付かなくて。はあ、普段からクラスをまとめてる委員長は偉大なんだってわかったよー」
沢井さんは、そう言って小さくため息をついた。
「ううん、わたしもさっきは議論に気を取られていたから、一ノ瀬君が注意喚起をしてくれて助かったのよ。ありがとう」
別に委員長だからって武笠さんが責任を感じることは無いと思うのだが、彼女は真面目である。
「いやいや、2人とも大袈裟だよ。部活とかある人が困るかなって思っただけだから」
「でも、それに気づいて行動に移すのって難しいから。わたしは、委員長としてもっとしっかりしなくちゃ」
「武笠さんはしっかりしてると思うけどなあ。俺たちが頼りっぱなしじゃなくて、場合によってはサポートしないとね」
「ありがとう。ふふ……じゃあ、たまには一ノ瀬君に手伝ってもらおうかな」
特に意識した行動ではなかったのだが、武笠さんにお礼を言われるのは悪くない気分だ。
沢井さんは俺たちを交互に見ていたが、不意にスカートのポケットを探り出した。何かと思っていると、彼女は小さな透明の瓶を取り出す。中には、カラフルなゼリーのようなものが入っている。
「じゃあ、アタシからはお礼にグミあげるね。はい、一ノ瀬君」
「えっ、それグミだったの」
沢井さんは、赤い星型のグミを取り出すと俺の手のひらに乗せた。よく見ると、星ではなくヒトデのようだった。
「委員長には、この青いサンゴのグミがいいかな。はい、どうぞ」
「えっ? ちょっと、美花。放課後とはいえ、教室で堂々とお菓子を出すのは……」
「これぐらい、いいじゃん。えへへ、感謝の気持ち」
武笠さんは戸惑っていたようだったが、結局は受け取ることにしたようだ。それを見た沢井さんは、満足そうな笑みを浮かべる。
「よし、これからアタシは他のクラスの情報を収集しに行ってくるよ。また、よろしくねー」
瓶をポケットにしまった沢井さんは、流れるような動作で教室を出ていった。
残された俺と武笠さんは、グミを手にしつつ顔を見合わせたのだった。
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