第27話 霧島さや香とあんみつ
あんみつは、まるで茶器のような入れ物に盛り付けられていた。派手さはないが、こんな店に来るのが初めての俺でも、良い品だということがわかる。
学校帰りに霧島さや香に誘われて気軽な気持ちでやってきたのだが、気軽には食べられないようなものが出てきている。
「これは夏みかんですわね。ふふ、酸味と甘味が良く合いそうで楽しみですわ」
「寒天が深緑色なのは抹茶かな。器といい、凝ってるなあ」
「ええ、目でも楽しませてくれるのが、このお店の良いところですわ。でも、見ていても味はわかりませんよ、どうぞ遠慮せずに召し上がってくださいね」
満足そうに微笑んだ霧島さんは、竹製のスプーンを手に取った。俺も、ありがたくいただくことにする。どれから食べるか迷ったが、まず目についた白玉を口に運んだ。
「おっ、これは美味しいな。甘いのは確かだけど、透き通るような甘みというか……深みがありつつもさわやかな風味がある」
「ふふ、気に入っていただけたようで良かったですわ」
お店の雰囲気に合わせて上品に食べようと思っていたのだが、ついつい手が動いてしまう。白玉を食べたら次は夏みかんにしようとか、あんこと合わせてみたらどうだろうと、色んな食べ方を試したくなるのだ。あんみつにおいては、脇役だと思っていた寒天もが美味しい。
「むむ、どの具材も美味しい。しかも、どれと組み合わせてもマッチしている」
「ええ、よく考えて選ばれてますわね。美味しいだけではなくて、楽しさもありますわ」
「そうだね。次はどれを食べようか迷うなあ。夏みかんの酸っぱさを味わいたい気もするけれど、あとに温存したい気もする」
どれを食べるか悩む俺を、霧島さんは嬉しそうに見ている。ちょっと恥ずかしい気もするが、美味しいのだから仕方がない。パクパク食べる俺と違って、彼女はゆっくりと上品に味わっている。さすがは、お嬢様である。
「うまい。この上品な甘さには、人口甘味料には出せない深みがあるな」
「ふふ、何を言っているんですか。わたくしには人工甘味料の方がよくわかりません。そんなに違う物なのですか」
「全然違うと思うよ。もちろん、天然の味の方が美味しいってことだけど」
思いついたことを口にしたのだが、人工甘味料の違いがわかる男というのは別に格好良くもないな。
「この前、三嶋君とあんみつを食べたんだけど……いや、あれはみつまめだったかな。むっ、みつまめとあんみつってどう違うんだろう?」
「あんみつは、みつまめにあんこが入ったものですわ。みつまめは江戸時代後期から食べられていたそうですけれど、あんを使ったあんみつは明治時代に考案されたと聞いたことがあります。諸説あるようですが」
「おお、さすがは詳しいね。じゃあ、あれはみつまめだったのか」
「それにしても、意外ですわね。一ノ瀬君と三嶋君が甘いものを食べている場面が想像できませんわ。おふたりとも、甘いものが好きだったのですか?」
霧島さんは、あんみつを食べる手を止めて不思議そうに俺を見た。
「わざわざ食べに行ったとかじゃなくて、三嶋君が登山にレトルトパウチのみつまめを持って行ったんだけど、食べずに持って帰ったから部室で食べようって話になったんだよ。食後のデザートにするつもりだったらしいけど、荷物にまぎれて忘れたとか言ってたな」
「ああ、そういう事情だったのですね。部室でこっそり食べるというのも、楽しそうですわね」
「うん、放課後にレトルトパウチのみつまめっていうのが面白かったよ。ただ、味は今日の方が遥かに上だね、レトルトは保存を目的にしてるから仕方がないのだろうけど。……しかも、食べたら、三嶋君に登山部に入れって言われたし」
食べたあとに勧誘してくるのが、卑怯である。こちらはタダだから、食べに行ったというのに。
どうでも良いことを思い出していると、霧島さんはまじまじと俺を見た。
「一ノ瀬君は、誰とでも自然に仲良くすることができて羨ましいですわ。三嶋君は悪い人ではなさそうですけれど、口数が少なくて気難しそうな印象がありますから」
「えっ、そうなの? 三嶋君は口数が少ないというか、会話がなくて黙っていても気にならないタイプなんだと思うよ。あと、山にしか興味がないっていうようなストイックな雰囲気を出してるけど、わりと俗っぽいところもあるから」
「そ、そうだったのですか。……それにしても、一ノ瀬君はお友達のことをよく理解しているのですね」
霧島さんは、ため息をつくと窓の外へ目を向けた。灰色の空の下、紫陽花が雨に濡れながらも活き活きと花を色づかせている。
「はあ……わたくしは、きちんとクラスに馴染めているか、ときどき不安になりますの」
「えっ、それは大丈夫なんじゃないかな。別に悪く思っている人は居ないと思うけど」
「それなら良いのですけれど、浮いていないか心配になるのです。振る舞いがひんしゅくを買っていないと、いいのですが」
そう言って霧島さんは、半分ほどになったあんみつに目を落とした。彼女は、少し変わったところがあると思う。だが、クラスで嫌われてはいないはずだ。お嬢様っぽく振る舞ってはいるが、他人を見下すようなことはしないし、むしろ謙虚な方である。今日だって、なんだかんだ俺に気を使ってくれているし。
「大丈夫だと思うけど。なんていうか、霧島さんて愛されキャラっぽいポジションじゃないかな」
「あっ、あああ、愛? ああ、愛というのは、その……」
「いや、その、友愛的な意味でね」
霧島さんが変なところで急に反応したので、俺はいつぞや彼女が言っていたような言い回しでフォローする。
「霧島さんてお嬢様っぽく振る舞っているけれど、同時にお嬢様であることに居心地の悪さを感じているみたいなところがあるから、そこに親しみを覚えるっていうのかな。お金持ちだけど、それをひけらかすような事をしないように気を使っていると思うし。そのあたりの人の良さは、みんなに伝わっていると思う」
「……一ノ瀬君は、人のことをよく観察しているのですね」
ぽつりと言った霧島さんは、竹のスプーンを持ったまま考え込んでいるようである。しばらくして、彼女は不意に顔を上げた。俺と目が合ってしまい、彼女はひるみかけたようだが目を逸らさなかった。何かを決意したかのように、じっと俺を見つめる。
「じ、実は……その、わたくし……本当のお嬢様ではないのです」
「ええっ? いや、学校に車で送り迎えしてもらったり、こんなお店を利用しているのはお嬢様以外の何者でもないと思うけれど。お嬢様って何か条件とか資格があるの? いや、それは無いか」
今度は俺が変な反応をするところだった。しかし、どういうことなんだ。霧島さんはちょっと変わったところがあると思うが、お嬢様ではないと疑ったことはなかったのだが。
「そ、その……生粋というか生まれながらのお嬢様では無いという意味なのです。いわゆる成り上がり、でしょうか」
成り上がり、と自分で口にしながら霧島さんは悲しそうな顔になった。
「家が急にお金持ちになったってこと?」
「そうなのです。わたくしの家は、霧島製作所という小さな工場を経営していたのですわ。それが、わたくしが小さな頃に、工場の製品か技術が大手の製造メーカーに採用されて、事業が急拡大したのです」
「おお、良かったねえ。俺の父さんはエンジニアだけど、技術の分野は大変みたいだね。世界レベルで競争しないといけないし、発想と技術がよほど優れてないと大手には採用されないんじゃないかな。霧島さんの家って、すごいんだね」
「あ、ありがとうございます。そのう、立派なのはわたくしではなくて、父や祖父なのですけれど」
家の事が褒められたのが嬉しかったのか、霧島さんは頬を染めて微笑んだ。
「昔は普通の家で暮らしていたのです。父や祖父も、ずっと作業服を着て過ごしているような家庭でした。ところが、会社が大きくなると、それなりの格好や生活をする必要が出てきたのです。大手の会社や銀行と取引しないといけませんから」
「ああ、銀行とかは気を使いそうだね。人は見た目じゃないと言っても、会社の社長さんは、社長らしい生活をしてた方が安心できるよねえ。裕福そうな方が資金に余裕があるように見えるし」
「ええ、そういった事情で急に生活が変わったのです。わたくしも社長令嬢ということで、習い事をしたりお嬢様学校へ通わせてもらったりしました」
社長令嬢か、まさしくお嬢様である。うちの妹は平凡な家に生まれてお嬢様を目指しているが、霧島さんは途中でいきなりお嬢様になってしまったということか。
「急にお嬢様学校に通ったら大変だったんじゃない? うまく言えないけれど、そういうところって独特の作法とか習慣がありそうだし」
「ええ、苦労したというより戸惑いました。周囲の人は助けてくれたと思うのですが、生まれながらのお嬢様ではないことに、どうしても引け目を感じてしまって。ああいうところって、お金があるだけでは仲間に入れないような気がするんです。……その、勝手に壁を感じているだけなのかもしれませんが」
「それは大変だったね。同じ日本でも、育った環境とかでカルチャーショックというかギャップがある気がするよ」
つい最近、俺は妹の学校に行ってそれを経験した気がする。霧島さんは、俺の言葉に大きくうなずいた。
「ああ、まさにカルチャーショックですわね。家族は、わたくしにお嬢様的な素養を身につけてほしかったようですが、どうしても息苦しく感じてしまったので、高校は今の城本高校に進学したのです。……念のために言っておきますけれど、城本高校を下に見ているという意味ではないですよ。こちらも歴史ある名門校ですし、共学で色々な人が切磋琢磨する良い学校だと思っていますわ」
「そういう細かいところに配慮できるのが、霧島さんの美点だね」
「いえいえ、美点だなんて。わたくしなど、まだまだ未熟です。……ですが、そう言っていただいてほっとした気分ですわ。家のことを話すのは迷ったのですが、聞いていただいてすっきりしました」
霧島さんは、ほっとした表情になってあんみつに手を伸ばした。彼女は、みずみずしい夏みかんを口に運ぶと穏やかな笑みを浮かべる。
俺は話を聞いて、彼女の普段の振る舞いについて納得がいった。彼女はお嬢様であることにこだわるが、変なところで遠慮したり気が弱いところがあると感じていたのだ。俺だって家が急に裕福になって、御曹司として振る舞うように言われたら困ってよくわからない態度になってしまうだろう。瞭子は喜ぶだろうが。
「あら、少し明るくなってきましたわね」
「うん、雨が小降りになってきたみたいだ」
2人で庭園を眺めていると、互いの距離が近くなったような気がした。
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