第26話 霧島さや香と甘味処
放課後、俺は霧島さや香に誘われてお茶を楽しむことになった。深く考えずに誘いにのったのだが、着いた店は格式が高そうで怯みそうになる。だが、今更どうにもならないので、開き直って堂々とすることにした。
「ご案内いたします」
作務衣を可愛らしくしたような制服の女性が、磨き上げられた廊下を先導してくれる。客席のようなものは見当たらず、飲食店という雰囲気はない。見事な生け花が飾られていたり、お茶の道具のようなものが展示されていたりと、由緒ある旧家を見学に来たようだ。
そういえば、菖蒲の花を学院に持っていった瞭子はうまくやっているのだろうか。兄は、よくわからない状況に置かれているぞ。
「どうぞ、こちらです」
店のスタッフに案内されたのは個室だった。品の良いテーブルセットが余裕を持って置かれており、窓の外は中庭のようである。しとしと降る雨の下で、
「一ノ瀬君、どうしたのですか? どうぞ、座って下さい」
「あ、うん。庭がきれいだと思ってね」
霧島さんにうながされた俺は、適当に誤魔化して椅子に座った。彼女は、ごく普通に振る舞っているように見える。その様子に、彼女がまぎれもないお嬢様であることを実感した。普段、学校で接しているときは感じないのだが、こうなると少し意識してしまう。
「どれどれ、メニューを見せてもらおうかな」
俺は余裕を見せようと、上質の和紙の表紙をめくってみる。その瞬間、脳が混乱した。
中身はもちろん日本語である。しかし、書いてある数字が理解できない。理解したくなかったのかもしれない。この値段、単位は本当に円なのだろうか。思わず一番安い品を探していると、メニュー表がひょいと取り上げられた。
「コホン、今日はわたくしがご馳走しますから、一ノ瀬君が食べたいものをおっしゃってください。ここは、甘いメニューが中心ですが、ひと通りのものはありますから」
「いや、おごってもらうわけにはいかないよ。ここに来るのに車に乗せてもらったわけだし」
「わたくしがお誘いしたのですから、こちらが負担しますわ」
「むう……」
正直なところ、おごってもらえるのは嬉しい。だが、こんな高そうな店でクラスメートの女の子に全て支払ってもらうのはいかがなものだろうか。今月のお小遣いも大事だが、男子のメンツやプライドというものもある。
「自分の分ぐらいは、ちゃんと出すよ」
「それには及びませんわ。招待したのは、わたくしですから」
異議を唱えた俺に対して、霧島さんはツンとした態度で窓の外に目を向けた。取り付く島もない、という感じである。彼女がこういう態度をとると、いかにも高飛車なお嬢様といった様子で言葉につまってしまう。
静かな部屋の中に、なんともいえない空気が流れた。わずかに聞こえてくる雨音が、気まずい感じを助長しているような気がする。
むう、これは良くないな。ここにはケンカをしに来たわけではない。素直におごってもらうことにしようか、それを口に出そうとしたとき、霧島さんが申し訳なさそうな表情でこちらを見た。
「ご、ごめんなさい。こういうことは、お金持ちであることをひけらかすようで、良くないですわね」
「いや、そんな風には思ってないよ」
霧島さんは、さきほどとは変わって急にしおらしい態度になった。今度は、こちらが申し訳ないような気持ちになってくる。彼女は見た目に反して、打たれ弱いというかすぐにヘタれるところがあるのだ。
「あー、なんていうか。そうだ、京都では相手の申し出を3回ぐらい断るっていうじゃない。どうぞ、って言われても1回目で受けると、あつかましい田舎者って思われるらしいじゃん。2度か3度か断ってから、受けるのが作法だとか。おごってくれるのは嬉しいんだけど、あまりにも軽々と受けるのは良くないのかなって」
適当なことを言って、京都の人に怒られそうだなと思ったが、霧島さんは納得してくれた様子だ。
「ああ、そうですわね。そういった面倒な……コホン、細やかな作法やしきたりがあるようです。ですが、今日はクラスメート同士で交友を深めようというものですから、そんな堅苦しく考えないで下さい」
「じゃあ、遠慮なくご馳走になっちゃおうかな。すごく雰囲気の良いお店だから、実は結構ワクワクしてたんだ」
「ふふ、それは良かったですわ。……あっ、以前にたこ焼きをご馳走になりましたから、そのお返しだと思って下さい。とても新鮮な経験で……楽しかったですから」
霧島さんは笑顔に戻って、メニューを手に取った。これで良かったのだろう。俺は平凡な学生なのだから、下手に礼儀作法を気にしても滑稽なだけかもしれない。くっ、これも瞭子を迎えに八重藤学院に行ったからだ。あそこの雰囲気に影響されたに違いない。
「一ノ瀬君は、何か食べたいものはありますか?」
「うーん。霧島さんは、このお店に何度か来ているんだよね。何かオススメのメニューをあるのかな」
「そうですわね……わたくしは、あんみつをよく頂きますね。季節によって中身が変わるのもあって、来るたびに注文しているのですわ」
「おいしそうだね。それが食べたいな」
「男性には甘すぎるかもしれませんわよ」
「俺は甘いものでも何でもいけるよ。それに、霧島さんが美味しいって思う物を食べてみたいな」
「ふあっ」
霧島さんは、急に変な声を出してメニューを落としそうになった。変なことを言ったつもりはないのだが。
「ど、どうしたの?」
「な、なんでもありませんわ。……ふふ、わたくしの味覚を試すとは、一ノ瀬君はあなどれませんわね。ですが、このお店のあんみつなら満足していただけると思いますわ」
「そういう意味ではなかったんだけど。でも、期待できそうだね」
「ええ、ご心配なく。では、注文しますね」
よくわからない反応である。霧島さんが、さりげなく設置されている机の上のスイッチを押すと、風鈴のような音が鳴った。こんなところにも凝っているようだ。
俺が感心していると、すぐに店員がやってきたのだった。
サアサアと雨の音がわずかに聞こえてくる。注文したメニューを待っている間、部屋の中に静かな時間が流れていた。2人で黙って外の景色を眺めていたが、気まずい雰囲気はない。むしろ、心地よい時間だと感じる。
「雨の日の景色って、なんだか落ち着くね」
「そうですわね。外を出歩くときは困りますけれど、屋根の下でゆっくり眺めていると贅沢な気分になれます」
窓の外を見ていた霧島さんは、視線を俺の方へ向けるとわずかに微笑んだ。普段学校で居るときよりも、くつろいだ表情に見える。
「こんな風にゆっくり過ごすのって、なんだか良いね。高級車に乗せてもらったり、来たことがないようなお店で緊張しちゃったけど」
「そうなのですか? 一ノ瀬君は、堂々と振る舞っているように感じましたけれど」
霧島さんは不思議そうに首をかしげた。内面はともかく、外側は取り
「いやいや、最初に車に乗せてもらった時点で割りと緊張してたよ。それにしても、霧島さんってこういう上品なお店に居るのが似合っているね。お嬢様の風格を感じるよ」
「ふふふ、そうでしょう、そうでしょう。やっとわかっていただけたようですわね」
「普段は気軽に声をかけたりしているけれど、なんだか気後れしそうだなあ」
「えっ? それは……その」
上機嫌だった霧島さんだったが、不意に落ち着かない様子になった。窓の外に視線を向けたり、注文は終わったのにメニュー表を開こうとしたり挙動不審気味である。
「わ、わたくしは寛大ですから遠慮なく……いえ……そ、そうではなくて……」
「どうしたの? 俺、何か変なこと言ったかな」
「い、いえ……あの、じ、実は……わたくし」
霧島さんが何か言うとしたとき、部屋をノックする音が聞こえてきた。どうやら、注文したメニューが届いたようである。
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