第29話 お見舞いの品とお茶会
甘味処「古都」のあんみつをお土産に持って家に帰ると、瞭子がリビングで難しい顔をして座っていた。妹の目の前には、色とりどりの果物が入ったバスケットが置かれている。
「ただいま。何で、おいしそうな果物を見て真剣な表情をしてるのさ」
「おかえり、兄さん。これね、莉世がくれたのよ、この間のお見舞いだって言って」
「そうなのか、良かったじゃないか」
莉世というのは、瞭子をお姉さまと慕っているフランス人形みたいな子のことだろう。バスケットの中のりんごは、旬でもないのにツヤツヤと赤く立派である。正直な感想を言ったのだが、瞭子はこれみよがしにため息をついた。
「何がいいものですか。莉世ったら、学院でみんなが居る目立つところで渡してくるし、こんな高価なものを」
「えっ? そんなに高いのか、これ」
「当たり前でしょう。このりんごもバナナ、メロンだって標準的なものより大きいし、質の良いものを厳選してあるわ。しかも、フルールショップのカードには食べ頃がしっかりと記されているし。行き届いた配慮といい、一体いくらなのかしら」
友人からもらったお見舞いの品の値段を気にするのはお嬢様的ではない、と言おうとしたが怒られそうなのでやめておいた。せっかくなので、俺の見舞いの品も渡しておくことにする。
「まあ、ありがたく貰っておけばいいじゃないか。それの方が、きっと相手も喜ぶんじゃないかな」
「はあ、兄さんは単純ね」
「むう……単純な兄からも見舞いの品をあげるぞ。ほら、高そうなあんみつだぜ」
「ありがとう。でも、兄さんが高そうって言うのは……えっ?」
俺が渡したあんみつの容器を見た瞭子は、戸惑ったように動きを止めた。目を細めながらラベルをじっと見つめている。
「これは『古都』のあんみつじゃない。兄さんが、どうしてこれを?」
「知っているのか? 今日、友達と行ってきたんだよ。そうそう、たまたま白河さんにも会ったよ」
「ええっ、
「あー、まあ、そういうことだけど。いいじゃないか、別に」
瞭子は、好奇心に満ちた笑みを浮かべかけたが、すぐに表情を引き締めた。おそらく、お嬢様的でないと判断したのだろう。しかし、興味は完全に抑えられていないようである。
「その話は、あとでゆっくりと詳しく聞きましょう。そうだ、りんごが食べ頃らしいから剥いてあげるわね。ふふふ」
「いや、そんなに話すような事はないぞ」
「まあ、いいじゃない。今日の食後のお茶会は、このあんみつをいただきながら兄さんの話を楽しむわ」
「だから、楽しむような話じゃないって」
「さて、夕食の準備をしなくちゃ」
さきほどまで難しい顔をしていた瞭子は、どこか楽しげな様子でキッチンへと向かって行ったのだった。
瞭子が高い品だと言ったとおり、りんごは瑞々しくシャキシャキとした食感でとても美味しかった。今日のお茶会は、瞭子がもらってきたお見舞いの品がメインである。
「さて、兄さんの話を聞かせてもらいましょうか」
あんみつの容器を開けた瞭子は、スプーンを持つ前にたずねてきた。この性急な態度は、絶対にお嬢様的ではないだろう。
「だから、特別に話すようなことはないよ。放課後にお茶でもどうかって誘われて行っただけだよ」
「ふうん、兄さんはあんな高い店に気軽に誘ってくれる女の子の友達が居るわけ? しかも、それが特別では無いと」
瞭子が、じっとりとした目で問いただしてくる。確かに、この説明だと誤解を受けそうだ。
「わかった、ちゃんと説明するから。ええと、クラスに霧島さんていう女の子が居て、この前に例のたこ焼きをご馳走したんだよ。そしたら、お礼ってことで誘ってくれたんだよ」
「ああ、あのお婆さんの店ね。……兄さん、あのたこ焼きは美味しかったけれど、女の子を誘って行くようなところではないと思うけど。もうちょっと、なんとかならなかったの?」
「話の方向性が変だぞ。その、霧島さんは結構なお嬢様なんだよ。たこ焼きを食べたことが無いっていうから、誘ってみただけなんだ。他のクラスメートも一緒だったし、瞭子が想像するような方向性じゃないからな」
「なんだ、グループで行っただけなんだ。つまらない……コホン、じゃなくて、霧島? どこかで聞いたことがあるような」
スプーンを手に持った瞭子は、動きを止めて首をかしげた。
「知り合いなのか?」
「違うと思うんだけど。八重藤学院ではね、茶道部とか華道部、
「妹よ、箏曲部って何をする部なんだ?」
「本気で聞いているの? 琴よ、春の海などの曲を演奏するのよ」
そうだったのか、今日は新しい世界を色々知った気がする。あきれた様子の瞭子だったが、あんみつを口に運ぶとすぐに笑顔になった。
「んっ、美味しい。『古都』のあんみつは最高ね。その霧島さんて、どんな家の人? お嬢様って言ってたけれど」
「詳しくは聞いてないんだよな。製造業? 部品メーカーの社長令嬢らしいけど」
「部品メーカー、霧島……に、兄さんっ」
瞭子が急に前のめりになった、俺は思わず引いてしまったが。
「それって、キリシマ・インダストリィの事じゃないの? 確か、ここ10年ぐらいで急成長した会社のはず。うーん、華道部が春の展示をしたときにご家族で来ていたような」
「そんなにすごいのか? 確か、大手メーカーに部品か特許が採用されて大きくなったって言っていたけれど」
「そう、そこだと思うの、元から結構な規模の会社だったと思うけれど。兄さん、これはチャンスよ」
ぎゅっとこぶしを握った瞭子が、力強く訴えてくる。
「チャンスって、そういう打算的なのはどうかと思うぞ。それに、別にチャンスでも何でも無いよ。霧島さんはお嬢様で人がいいから、ご馳走になった分を返さないといけないと思っただけじゃないの。おごったのは100円のたこ焼きだけど、珍しかったみたいだし」
「うっ、そうなのかしら。でも、あんな高い店に行くのは普通じゃないと思うのよ」
「霧島さんは、俺たちと違ってお嬢様なんだよ。しかも、お金持ちであることをひけらかしていないか気にする謙虚さも持っているぞ」
「ううっ、それはまさしく育ちの良さのあらわれよね。……そうね、変に下心を出して、勘違いだったらみじめだわ」
前のめりになっていた瞭子だったが、すごすごと引き下がった。さっきの発言といい、お嬢様学校の同級生には見せられない姿だろう。
「まあ、偶然に店で会った白河さんも驚いてたな。女子校だと珍しいのかもしれないけれど、俺のところは共学だからクラスメートの男女がお茶を楽しむぐらい普通なんだよ。考え過ぎというか、想像が飛躍しているよ」
「なっ、私は菫と同レベルじゃないからね。浮いた話の無い兄を、後押ししてあげようという妹の気づかいなのよ」
どうして我が妹は、白河さんを意識するのだろうか。仲が悪いわけではないようだが、迷惑をかけていないといいが。
わずかに頬を膨らませた妹だったが、あんみつはしっかりと完食した。
「さて、兄さん。お返しは、きちんとするのでしょうね?」
「えっ?」
「ちょっと、どうして不思議そうな顔をしているのよ。あのお店は高いのよ。同等の金額の物は無理でも、そこを誠意と工夫で補うのが庶民の心意気でしょう」
「いや、そうなのか? まあ、お世話になりっぱなしはどうかとは思っているけど」
「よし、じゃあ、これからお返しに知恵をしぼりましょう」
空になったあんみつの容器を前にして、瞭子は力強く宣言した。なんだかよくわからないことになったと思いつつ、俺は最後のりんごを口に運んだのだった。
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