第12話 桜川亜衣の卵焼き

 今日もお昼休みがやってきた。さきほどの古典の時間では、唐突に実施された小テストで焦ってしまったが、とにかく昼食である。窓際の俺の席の周りに、いつものメンバーが集まってきた。寺西君、畠山君、三嶋君がそれぞれ弁当の包みを広げる。

 ふと、みんなが俺の弁当に注目していることに気づいた。


「おいおい、今日はちゃんとした弁当だぜ。ほら」

「ふうん。野菜炒めにコロッケ、それにミニトマトか。普通だけど、自分で作るのは結構な手間だな」

「うんうん、三嶋君はわかってるな。ちゃんとした弁当を作るのは大変なんだぞ。面倒だから手を抜くときもあるけれど、両親から生活費はちゃんともらっているからな」


 三嶋君は、ちょっと感心したような表情で俺の弁当を眺めている。彼は登山部だから、料理の手間というものをわかってくれるのだろう。もっとも、お弁当のおかずは昨日の料理の残りを使ったものなのだが。


「へえ、普通だけど、それはそれで面白くはないなー。あのシュウマイしか入ってないシュウマイ弁当はインパクトがあったのに」

「寺西君は勝手なことばかり言うよね。この前は、ドン引きしてただろ」

「ははっ、まあ気にするなよ。食事にもエンタメ要素は大事だぜ」


 相変わらず、寺西君はお気楽である。正直なところ、俺の弁当が娯楽の対象になるのは避けたいところだ。


「今日は何事もないみたいだし、そろそろ食べようよ」


 畠山君がマイペースに言って、今日の昼食が始まった。




 窓の外は良い天気で、学校の敷地内の樹木が活き活きして見える。今の季節だと若葉の色がきれいだ。しかし、俺たち男4人は景色などには興味がなく、ガツガツと弁当をお腹におさめていく。


「ねえねえ、みんな何でそんなに熱心にご飯を食べているの?」


 弁当箱から顔をあげると、桜川亜衣さくらがわあいが不思議そうな顔で立っていた。彼女が軽く首をかしげると、ふわっとしたセミロングの髪が揺れる。


「えっ、別に熱心というわけじゃないと思うけど。まあ、男子に比べると女の子はおしゃべりを楽しみながらゆっくり食べるイメージがあるね。桜川さんは、もう食べたの?」

「ううん、そうじゃなくて……あっ、一ノ瀬君、今日はちゃんとしたお弁当なんだね」

「まあね。たまにはちゃんとした弁当にしないと、両親から生活費をろくにもらっていないとか疑われちゃうからね」

「あはは、それはご両親が困っちゃうよね。……ええと」


 桜川さんはにこやかに会話しているが、どことなく落ち着かない様子である。何か背中に隠しているような感じなのだが。ふと、彼女と目があった。


「えーと、……この前のお弁当を見て、おかずに困ってるんじゃないかなって思って。あの……ちょっと、作ってみたんだけど」


 桜川さんは、俺から微妙に視線をそらしながら小さなお弁当箱を差し出した。


「えっ、桜川さんが作ってくれたの? 食べていいの、楽しみだなあ」

「あうう、そんなに期待されると困っちゃうんだけど。その、大したものじゃないから」


 おずおずとした様子で桜川さんがふたを開けると、卵焼きが入っていた。きれいなきつね色である。

 思わず手を伸ばそうとすると、寺西君が身を乗り出してきた。


「ずるいぞ、一ノ瀬。この前の委員長といい、女の子の手料理をもらいやがって。俺なんて、お袋以外が作った手料理なんて滅多に食べたことがないんだぞ」

「落ち着いてよ、寺西君。あたしは出来る女だから、ちゃんとみんなの分も用意してきたから。畠山君と三嶋君も食べるかな?」


 男子2人は、力強くうなずいた。クラスメイトの女子の手料理とは、かくも魅力的なものなのである。

 俺たちの反応に気を良くしたのか、桜川さんは笑顔で卵焼きを配ってくれた。1人につき1個だと思っていたら、俺の分だけ3つある。


「おおう、一ノ瀬だけ3つだと。お、オレたちの価値は3分の1だったのか」


 弁当のふたに置かれた1切れ卵焼きを見て、寺西君がオーバーアクション気味に嘆いた。


「もう、何言っているのよ。寺西君たちは、お母さんの愛情がこもったお弁当を食べてるでしょ。一ノ瀬君は毎日大変なんだから、たまにはちょっとおいしい物を食べてほしいっていう気づかいというか……文句があるなら没収するから」


 不意に真顔になった桜川さんが手を伸ばすと、寺西君は必死になって弁当箱を守った。


「ひえっ、ちょっと言ってみただけだって。はあ、オレはお袋以外の女性に、愛情たっぷりのお弁当を作ってほしいぜ」


 彼の気持ちもわからないではないが、こんなことをしていては食べられない。


「はいはい、茶番はそこまで。せっかく、桜川さんが作ってきてくれたんだから、早くいただこうぜ」


 俺が提案すると、男子たちは素直に同意した。いつも明るくて可愛らしい桜川さんは、クラスでも人気がある。その彼女が作ってくれた卵焼きなのだから、ありがたいに決まっているのだ。


「それじゃあ、いただきます」


 あらためて手を合わせてから、卵焼きを口に運んだ。ふんわりとした食感に続き、上品な甘さが口の中に広がる。


「うん、美味しいね。焼き加減も完璧だし、ちょうどいい甘さだよ」

「よ、良かった。味見はちゃんとしたんだけど、ちょっと不安だったんだ」


 正直な感想を言うと、桜川さんは満面の笑みを浮かべた。こんなに喜ばれると、なんだかこちらが気恥ずかしくなってしまう。まあ、人に料理を食べてもらうっていう行為は緊張するものなのかもしれない。


「この甘さってなんだろう。うーん、砂糖だけじゃないみたいだけど」

「あっ、一ノ瀬君は鋭いね。みりんを使ってるんだよ。この味付けは、家族にも美味しいって言ってもらってるから」

「みりんかあ、俺は料理に使ったことないなあ。桜川さんって、料理が得意なの?」

「えっ、うーん、料理はちょっとだけかな。……優利みたいに凝ったものは作れないんだ」


 桜川さんは、恥ずかしそうに視線を窓の外に向けた。指先が忙しそうに、空になった弁当箱をいじっている。


「委員長のハンバーグかあ。まあ、あれは俺があげたチキンのトマト煮のお返しみたいなところもあったし。桜川さんは、わざわざ作ってくれたわけでしょ。すごく嬉しいよ。1品追加で、弁当がすごく豊かになった気もするし」

「あっ、うん、喜んでもらえてよかった。……思いつきというか勢いで作っちゃったんだけど、こういうのは初めてだから緊張しちゃった。……あはは」


 こちらを向いて、はにかむ桜川さんはとても可愛く見えた。一瞬ドキッとしたが、俺は平静を保ちつつ卵焼きを口に運ぶ。まあ、俺だけじゃなくてみんなに作ってくれているわけだからな。変に勘違いすると、恥ずかしいことになりそうだ。

 隣では、寺西君たちが卵焼きを味わっている。


「うおお、うめえぜ」


 寺西君は、謎のガッツポーズをとった。


「僕もたまに作るけれど、こんなにおいしくはできないなあ」


 畠山君は、半分になった卵焼きをしげしげと眺めている。 


「……うまいな」


 一口でたいらげた三嶋君は、ぼそっとつぶやいた。

 俺たち男子の感想に、桜川さんは気を良くしたようだ。お弁当箱を最初にもってきたときは落ち着かない様子だったが、今は普段どおり明るくテンションが上がっている。


「ふふ、これでみんな、あたしの魅力がわかったでしょう」


 桜川さんは近くにあった椅子に座ると、俺たちとの会話に加わった。おいしい卵焼きにみんなも上機嫌で、雑談が盛り上がる。

 俺は3つ目の卵焼きを口に入れたとき、誰かの視線を感じた。さりげなく教室を見回してみると、遠くに居た霧島さや香が慌てて目を逸らすのが目に入ったのだった。

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