最終話 仲良きことは美しきかな

 茶道部の建物に到着すると、山名詩乃が玄関を掃き清めていた。落ち葉なども丁寧に取り除かれていて、この場所に清浄な空気がただよっているように感じられる。


「山名さん、もう掃除してくれていたんだね。俺も手伝うよ」

「いえいえ、ちょうど部活が終わったところでしたから、後片付けも兼ねてしていただけですよ」

「考えてみれば、部外者なのにずいぶんと使わせてもらってるなあ」

「ふふ、この建物だって眺められるだけよりも、使ってもらった方が嬉しいのではないですか。わたしも、多くの人がお茶に親しんでくれた方が嬉しいですねえ」


 山名さんは控えめに笑った。今日の件もそうだが、彼女には色々とお世話になった気がする。そのうち、お礼をした方が良いだろう。……誤解されないようにしないといけないが。



 外の掃除を終え、部屋の準備に取りかかった。畳の部屋には生花が飾られ、座布団が用意されている。俺は、山名さんの指示にしたがってあちこちへ物を運ぶ。だいたいの配置が済んだところで、玄関から音がした。


 やってきたのは、桜川亜依さくらがわあい、霧島さや香、武笠優利むかさゆうりの3人である。出迎えていると、後ろから八重藤学院の制服姿が見えてきた。白河菫しらかわすみれ、十条莉世、そして瞭子とこちらも3人だった。両校の生徒は、ぺこりと頭を下げると建物の中へ入っていった。


 みんなが席に着いた。俺は、山名さんに教えてもらいながらお茶を淹れ、お菓子を配った。茶道部の彼女にまかせておけば良いのだが、自分でも何かしたかったのである。つたない手付きではあったが、なんとかお茶会の準備がととのった。




 誰が取り仕切るのか、ということになったのだが、場所を用意してくれた山名さんが担当することになった。彼女は、深々と頭を下げた。


「本日はようこそおいでくださいました。ささやかではございますが、どうぞお楽しみになってくださいませ。わたしの好きな言葉に『仲良きことは美しきかな』というものがあります。先日の件で、ぎこちなさは残っているだろうと存じますが、この機会に親睦を深めていただければと思います。では、ごゆっくりお過ごしください」


 見事な挨拶であった。俺たちも、頭を下げて礼をしたのだった。



 お茶に口をつけたところで、白河さんが口を開いた。


「皆様、先日は申し訳ありませんでした。すべて、わたしの浅慮が原因です。明さんも、クラスでさらし者のような形になってしまって、なんとお詫びしたらよいのか」


 あのときは、感情的になっていた白河さんだが本来は礼儀正しい人なのである。それが故に、想定外の事態に取り乱してしまったのだろう。


「白河さんのせいじゃないよ。俺もうまくフォローできなかったし。それに、不幸な偶然もあったんだ。あの日、母親から電話があったんだけど、それを瞭子が伝えようとしてやってきたから誤解が生じたんだよ」

「いえ、よく考えれば、瞭子さんがこういうことで嫌がらせをすることは無いはずなのに、いたずらに事態を悪化させてしまいました」


 ひたすらに恐縮する白河さんだったが、そこに武笠さんが声をかけた。


「あなただけの責任ではないと思います。わたしこそクラス委員長でありながら、問題を解決するどころか大きくしてしまいました。……お互いに未熟であったということで、謝るのはやめませんか。その……これからは、仲良くしていきましょう」

「ありがたいお言葉です。さすがは、クラス委員長なのですね。こちらこそ、よろしくお願いします」


 白河さんと武笠さんがお互いに頭を下げると、場にほっとした空気が流れた。険悪になっていた2人が和解したことで、みんな気が楽になったようだ。

 これがきっかけとなって、あちらこちらで雑談が始まった。 



「ううっ、今になって気がついたんだけど、あたし以外みんなお嬢様じゃない。こんな中でやっていけるのかなあ」 


 桜川さんが、周囲を見回して嘆いた。言われてみれば、なかなかのメンバーである。


「大丈夫だよ、桜川さん。俺も、普通の家というか生まれだし。そもそも、瞭子だって見かけだけでお嬢様じゃないぞ」

「えっ、そうなの? でも、全然そんな風には……一ノ瀬君の妹だから、妹さんなんだよね」


 俺と瞭子を見比べた桜川さんは、首をかしげる。


「そうそう、妹だから家では普通の暮らしをしてるよ。それに瞭子は意外と……」

「ちょっと、兄さん。私が苦労してお嬢様のイメージを維持しているのに、その努力を台無しにするようなことを言わないでよ」


 俺が何かを言う前に、瞭子は素早く妨害してきた。妹は「この話は追及しないでね」と言うかのように、桜川さんに笑いかける。プレッシャーに負けたのか、桜川さんは曖昧に笑ってうなずいた。まったく、こういうところがお嬢様的ではないのだ。

 一方で、霧島さんは盛大なため息をついた。


「ああ、普通の家の瞭子さんが立派に振る舞っているのに、このわたくしはダメダメですわ。会社が大きくなって家が裕福になったというのに、それに見合うようになれないなんて……わたくしなど、ただのへっぽこなのです」

「霧島さんは、どうして急に自虐的になるのさ。いつも、がんばっているじゃない」


 フォローを試みたが霧島さんは、せつなそうにお菓子をつついている。そんな彼女に瞭子が声をかけた。


「私は立派なんかじゃないですよ。正直なところ、礼儀作法もまだまだですし、恥をかくことだって多いです」

「そ、そうなのですか、わたくしにはとても堂々とされていると思いますが」

「どちらかというと開き直っているだけですね。知らないことや、わからないことがあっても、普通の家の出身だから仕方がないってことで。おどおどしているよりも、そちらの方が潔いでしょう。霧島さんも、私と一緒にがんばりませんか?」

「わたくしなどと? いえ、是非がんばりましょう。……ああ、なんだかやれそうな気がしてきましたわ」


 意外なことに、瞭子と霧島さんは気が合うようだ。どちらも生粋のお嬢様ではないから、仲間意識があるのかもしれない。

 そんな2人を十条さんは、不思議そうに見ている。


「お姉さまは普通の家とおっしゃりますけれど、ともて素敵なお家でしたよ。古いけれど大切に使っていることがわかる和風建築で、どこか懐かしい感じがしました」 

「あれ、莉世ちゃんは行ったことがあるの?」


 桜川さんが、不思議そうに十条さんに質問した。お嬢様に圧倒されている桜川さんではあるが、温厚な十条さんには話しかけやすいのだろう。


「はい、お兄さんが家庭菜園で野菜を育てていると聞いて、どうしても見たくなったので。ふふ、トマトやきゅうりを収穫したりお料理を作ったりで楽しかったです」

「そ、そうだったんだ。……あれ、一ノ瀬君もその場に?」

「うん、一緒に昼食を食べたりしたよ。瞭子と作ったデザートを食べさせてもらったりしたなあ」


 納得したように何度もうなずいていた桜川さんだったが、ふと考え込むような素振りをみせた。


「もしかして、莉世ちゃんて意外と……これはマークしておいた方がいいのかな」

「意外となんですか? お姉さまとお兄さんと過ごせて幸せでしたよ」

「うーん、お兄さん。……これは、あたしの考えすぎかな」


 十条さんは素直な笑顔を浮かべると、不思議そうに首をかしげたのだった。



 俺は、武笠さんと山名さん、そして白河さんのグループの様子をうかがってみた。  

 和解したとはいえ、武笠さんと白河さんの間には、まだぎこちなさが残っているようだ。その2人を山名さんが、うまく取り持ってくれている。

 なんとかできないだろうか。スマホを取り出して時刻を確認すると、そろそろ予定していた時間だ。


「兄さん、どうしたの?」


 瞭子が話しかけてきたとき、玄関の方で騒がしい声が聞こえてきた。


「うおーい、一ノ瀬。頼まれた品を持って来てやったぜ」

「やっふーい。美花ちゃんも、にぎやかしに来たよ」


 謎のハイテンションで、寺西君と沢井美花が紙袋を抱えてやってきた。2人の登場というか、乱入に山名さんは目を丸くする。


「あらあら、これはどうしたことでしょう? 困りましたねえ、お茶はともかく菓子の予備は無いのです」

「大丈夫、俺が寺西君に頼んでたんだよ。なんで沢井さんがついてきたのか、わからないけど」


 困惑するみんなを気にせず、沢井さんはお気楽に話しかけている。寺西君は、誇らしげに紙袋を掲げた。


「へへっ、これは100円でたこ焼きを売ってる婆さんが、駅前のドーナツ店に対抗心を燃やして開発したものなんだぜ。なんと近所の豆腐屋と開発したという、おからドーナツだ。カロリー少なめでヘルシーだぜ」

「なんと、お値段までダイエットしてるんだって、すごいねー」


 この2人は何なのだろう。深くは考えないことにして、俺はみんなに向き直った。


「これは、俺からのちょっとした気持ちということで、遠慮なく食べてよ。作ってくれたお婆さんは気難しい人だけど、腕は確かだからきっと美味しいはずだよ」


 俺はみんなにドーナツを配り、寺西君と沢井さんも加わって一緒にドーナツを味わうことになった。

 作りたてのドーナツのサクッとした感触と共に、素朴な味わいが口の中に広がっていく。周囲からも、喜びの声が聞こえてくる。おいしい食べ物は、人の心をあたたかくもしてくれるのだ。部屋の中に、楽しい空気が満ちていくのを感じる。


 全ての問題が解決したわけではない。だが、みんなで仲良くやっていくことは不可能ではないはず……いや、仲良くできるようにするのだ。

 みんなの笑顔を見ながら、俺は決意したのだった。




 夕食後、俺は妹といつものお茶会を開いていた。インスタントコーヒーと、持って帰ったおからドーナツという、ささやかなものである。


「今日は少し疲れたなあ。このぐらい気楽な方が落ち着くよ」

「兄さん、おつかれさま」


 少し笑った瞭子だったが、真面目な表情になる。


「兄さん、ごめんね。まさか、こんな大事になるとは思わなかったのよ。偶然と勘違いが重なったとはいえ、こんなことになるなんて」

「いや、瞭子のせいじゃないさ。俺だって、みんなが勘違いしてるのを楽しんでたところもあるから」


 5月に瞭子が教室にやってきたとき、すぐに妹だと言っておけば良かったのだ。正直なところ、クラスの女子が俺を意識しているような態度をしていたのが、どこか心地よくて黙っていたという面もある。瞭子には、周囲からちやほやされて喜ぶという俗な一面があると思っていたが、実のところ俺も同じだったのだ。つまりは、似たもの兄妹だったわけである。


「ふう、夏休みはゆっくりとしたい気分だなあ。そうだ、父さんのところへ行ってみようかな」

「兄さん、実はね……」


 瞭子が申し訳なさそうな表情になった。


「えっ? 何かあるのか」

「うーん、予定が色々と入っているのよね。私も努力はしたのよ。……ほら、みんなが平等になるように行事というか催事がねえ」

「ひえっ……って、情けないことは言ってられないな。俺の責任でもあるし、こうなったら前向きに取り組むさ」

「その意気よ、兄さん。夏休みをフルに活用して、上を目指しましょう。私もサポートするから」


 なんだかうまくのせられた気がするが、意外と悪い気分ではなかった。

 今年は、一体どんな夏になるのだろう。不安はあるが、思ったよりもわくわくしている自分に気づく。


 あと少しで、夏休みがやってくる。

 網戸から入ってきた夜風が風鈴を揺らし、澄んだ音色を奏でた。

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見た目はお嬢様の妹のイタズラのせいで、クラスの女子がざわついています 野島製粉 @kkym20180616

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