第39話 武笠優利と山名詩乃をもてなす
放課後の天気は、雲が多めだった。だが、外でお茶会をするには暑すぎるということもなく、ちょうどいい温度だった。堀の石垣の下では、雨でたっぷりと溜まった水がときどき光を反射している。
みんなで雑談しているうちに、お湯が沸騰してきたようだ。俺は鍋をのぞいてみる。
「なあ、三嶋君。これって、しっかり煮沸しないといけないんだっけ?」
「山の水場や沢の水なんかを使った場合はそうだな。見た目はきれいでも、不純物が混ざっている可能性がある。だが、これは雰囲気を出すためにポリタンクに入れたが、中身はミネラルウォーターだ。念入りに煮沸する必要はないな」
「そうだったんだ。じゃあ、あんまり沸騰させない方がいいんじゃないかな。今日はすごしやすい天気だけど、熱々のお茶を飲むのはちょっと」
「それもそうだな」
三嶋君はうなずきながら、バーナーの火力を調整する。俺たちのやりとりを見ていた武笠さんは、わずかに安堵の表情を見せた。彼女は、クールなたたずまいに反して猫舌なのである。
「このぐらいでいいか。一ノ瀬、みんなに食器を配ってくれ」
「僕も手伝うよ」
俺と畠山君は、三嶋君の指示どおりアルミ製の丸い食器をみんなに配った。俺と畠山君は見慣れているが、武笠さんや山名さんはめずらしそうにしている。
「登山では、荷物をできるだけ少なくしなくてはならない。余裕があればカップも持っていけるが、大抵の場合は食器と兼用にしてるな。茶道部員の前に出すのは恐縮だが、雰囲気作りということで勘弁してくれ」
「いえいえ、屋外で食事をするための工夫ということですね。興味深いです」
三嶋君の説明に、山名さんは感心してくれたようだ。この前は、茶道部の部室で良いお茶とお菓子をもらったから、別の方向性でお返しをしようと思ったのだが、うまくいった感じである。
俺は、粉末タイプのカフェオレのスティックをみんなに配った。全員に行き渡ったのを確認してから、お湯の入った鍋を手に取る。
「じゃあ、注いでいくよ。熱いから、手に持たないで下に置いておいてね」
アルミ製の容器にお湯を注ぐと、カフェオレの良い香りが漂った。インスタントの品であるのだが、悪くない気がする。武笠さんは、慎重に容器をを持って匂いをかいだ。
「こういうスティックタイプのコーヒーは、勉強の合間によく飲むのだけど、なんだか特別感があるわね。場所や容器が変わるだけで、印象がずいぶん違うわ」
「ふふ、そうですねえ。
ありがたいことに女の子2人は喜んでくれているようだ。色々と準備に手間はかかったが、やってよかった。ちょっとした満足感にひたっていると、なぜかみんなが俺を見ている。
「えっ、どうしたの?」
「どうしたも何も、主催者は一ノ瀬だろう。このまま、インスタントのカフェオレを眺めているのか」
そう言って三嶋君が肩をすくめた。みんな、カフェオレを飲まず律儀に待っているようだ。ええと、乾杯の挨拶的なものが要るのか。いや、それは変だろう。
「委員長に山名さん、この前はお茶会に招待してくれてありがとう。ささやかというか、知恵をしぼってお返しを考えてみたから、楽しんでくれると嬉しいな。……あっ、畠山君も三嶋君も協力してくれてありがとう」
「ささやかだなんて、とんでもないわ。こんな素敵なお茶会を企画してくれるなんて、こちらがお礼を言う方よ」
武笠さんは、クラス委員らしく真面目にお礼を言ってくれた。あらためて言われると、なんだかくすぐったい感じである。
「わたしはこういう体験は初めてですから、とても楽しいですねえ。この趣向といい、心遣いはとても素敵です。やはり、一ノ瀬君は茶道部に向いているのかもしれません」
「えーと、それは……おおっと、そろそろ飲もうか。せっかく沸かしたのに冷めたらもったいないからさ」
俺は話を強引に変えると、カフェオレに口をつけた。香りはあまりなく、少し甘すぎる感じがする。つまり、普通のインスタント製品の味わいなのだが、不思議と美味しく感じた。
みんなは、黙ってインスタントのカフェオレを楽しんでいるようである。周囲は雑木林の緑に囲まれ、人工物といえば過去に作られた石垣だけだ。ここが学校の敷地内で、今は放課後であることを忘れてしまいそうな空間である。木々の濃い緑と、雲の間から見える青い空が、もうすぐ本格的な夏の到来を予感させる。
そんなことを考えていると、畠山君が急に声をあげた。
「一ノ瀬君、あれを忘れてるよ。確か、わらびもちを持ってきてたんでしょ」
「ああっ、そうだった。畠山君にあずけたままだったね」
主催者の俺が何も持ってこないのはどうかと思ったので、茶菓子としてわらびもちを用意していたのだ。お湯を沸かすのに気をとられて忘れてしまっていた。
俺は、慌ててわらびもちの容器をシートの上に置く。
「どうぞ、近所の和菓子屋さんで買ってきたんだ。見た目に涼しそうだから、いいかなって」
「そんなに気を使わなくても良かったのに……でも、確かに涼しげで美味しそうね」
「うん、俺が食べてみたいっていうのもあったんだけどね。委員長も、山名さんも遠慮せずに食べてね」
女の子2人はそれでも遠慮気味だったが、三嶋君が何のためらいもなく食べるのを見て、手を伸ばすことにしたようだ。
「んっ、久しぶりに食べたけれど美味しいわね。ぷるぷるした食感で、ほどよくひんやりしているわ」
「ええ、暑い季節にはぴったりですねえ。屋外で食べるのも格別です」
「そうよね。……あら、どうして冷えているのかしら。朝に持ってきたら、放課後になったらあたたまっていそうだけど」
ふと、手を止めた武笠さんが首をかしげた。
「それはね、河野君に頼んで野球部のクーラーボックスに入れさせてもらってたんだ。わらびもちは冷えてた方が美味しいだろうと思って」
以前に掃除当番を代わったからと河野君に頼んでみたが、快く引き受けてくれた。彼は部活に熱中しすぎなところはあるが、それ以外はさっぱりとした良いヤツなのだ。
武笠さんは、あきれた様子と驚きが半々の表情になった。
「もう、野球部のクーラーボックスって遠征用でしょ。こんなことに使うなんて」
「ふふっ、これぐらいは目をつぶってもいいのではないですか。わらびもちを美味しく振る舞おうという、一ノ瀬君の心遣いですし……正直なところ、そのお話を聞いてより美味しく感じましたねえ。こっそりと食べるお菓子が美味しい、という理屈でしょうか」
「ふう、詩乃まで何を言っているのだか。……でも、美味しいのは確かだし、一ノ瀬君は人望があるのね」
「いや、そうでもないと思うけど」
武笠さんが、不意に俺をじっと見つめてきた。
「今日はありがとう。準備するのが大変だったでしょう?」
「みんなに手伝ってもらったから、俺は大したことしてないよ」
「そうかな? そうだとしても、みんなを動かして物事を企画するのは大変だと思うけど」
「そんな大層なことじゃないし、みんなも面白がって協力して……くれたよね?」
気になって確認すると、畠山君と三嶋君は笑ってうなずいてくれた。意味ありげな笑いに見えないこともないが大丈夫だろう、多分。
「うふふ、まさに『仲良きことは美しきかな』ですね。とても素敵ですねえ」
山名さんは、以前にも言っていたフレーズを口にした。あれは、武者小路実篤だっただろうか。自信がなかったので口にはしなかったが。
「そうね。みんなでもっと交流を深められると良いわね。せっかくの会なのだから、今日はもっと楽しみましょう」
武笠さんが委員長らしく言うと、全員がうなずく。
お堀のそばでのお茶会は、もう少し続いたのだった。
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