第41話 ドーナツをめぐるあれこれ

 放課後、俺は寺西君に付き合って自転車で街を探索していた。「彼女ができたら一緒に行きたいデートスポット」を探すという謎の名目ではあったが、それなりに楽しい。空では、大きなちぎれ雲がいくつも流れていくが、雨は大丈夫そうだ。もうすぐ梅雨が明けて、夏が来ることを予感させる日である。


「おっ、一ノ瀬、謎の石碑があるぜ。夏といえばホラー、女子と一緒に肝試しをしたいなあ」


 俺は自転車を停めて、石碑の文字を確認してみる。ここは、かつては城下町だったので、ところどころに名残をとどめる物が存在しているのだ。


「なになに……ええと、どこかのお殿様がここで馬に水を飲ませたとか、書いてあるな。調子の悪かった馬が元気になったので、お殿様が周辺の住民に褒美を与えたとか」

「なんだ、つまらない。オレは、何かの因縁とかやばい事件が起こったとかが良かったのに」

「こんな普通の道で過去に凄惨な事件があったとか、嫌だよ」

「それもそうか」


 寺西君は、道路脇の水路を眺めながら腕組みをした。この水路も、お城の堀とつながった古い物だと聞いたことがある。


「待てよ、最近は歴史好き女子とかも居るらしいじゃないか。そういう子をつれてくれば、いい感じに……」

「いや、歴史好きならこのぐらいで驚かないでしょ。だいたい、この街に住んでる人だったら見慣れてるし」

「あー、やっぱダメか。……よしっ、過去に目を向けるのはやめて、現代だ。普通に美味しいお店とかを探そうぜ」

「結局、いつもどおりってわけだよね」


 俺たちは、自転車の乗って探索を再開することにした。



 適当に良さそうなお店をチェックしてみたり、景色の良さそうな場所から街を眺めたりしながら自転車を走らせる。あれこれ品評しながら移動しているうちに駅前に着いた。

 普段からにぎやかな駅前だが、目を引く建物があった。パステルカラーを基調としたお洒落なお店である。駅前にはちょくちょく足を運んでいるが、この店舗を見るのは初めてだ。


「あれって、何の店だろう?」

「おいおい、一ノ瀬。あれが、沢井さんが言ってた店だろうが。くっ、クジが当たっていれば流行りの店がチェックできるのになあ」

「ホームページを見た感じだと、結構な値段みたいだからなあ。俺の小遣いだと、店に入るには覚悟が要りそうだ」

「オレも同じだぜ。だが、オレは男とドーナツを食べるのに覚悟を決めたくはないな」


 2人で近くに寄ってみると、店内にはお客さんが沢山で、繁盛しているようだった。値段設定は高めのようだが、学生服姿もちらほらと見える。中には、うちに学校の制服も混ざっているようだった。もしかすると、沢井美花の宣伝のおかげかもしれない。


「ああ、オレもこういう店にスッと入れるようになりたいぜ。小遣い的に無理ってことはないが、その月は節約生活になっちまう」

「そうだね。しかも、せっかく流行の店なんだから一番安い物とかじゃなくて、ちょっと贅沢したいなあ。俺の場合は、弁当のおかずが切ないことになりそうだ」


 あまり店の前でうろうろしていると、入るのかと間違われそうなので、撤退することになった。離れながらも、寺西君はチラチラと未練がましそうに店を見ている。


「ふう、オレの家が財閥とかだったらなあ。クラスのみんなを招待して、その中の内気な女子が感激してオレに……」

「そんな妄想をすると、余計に虚しくなるからやめよう」

「そうだな。あっ、前に一ノ瀬が見つけた100円のたこ焼き食べに行こうぜ。あそこの婆さんは厳しいけど、財布には優しいからな」

「おい、お婆さんに変なことを言わないでくれよ」

「わかってる、正直あの婆さんちょっと怖いからな。そうだ、一ノ瀬。お前から、安くて美味しいドーナツも作ってくれって頼んでくれよ」

「どうして俺なんだよ」


 俺たちは他愛のない会話をしつつ、流行りのドーナツ店から離れて、100円のたこ焼きを食べに向かったのだった。




 夕飯に、裏庭で育てたきゅうりがついにデビューすることになった。本日のメインは半額で売っていた餃子なので、きゅうりはハムと合わせて中華風サラダにする。あとは、もやしと卵のスープで良いだろう。今日の料理当番は俺なのだが、瞭子も配膳を手伝ってくれる。

 完成した料理を前に、兄妹で手を合わせた。


「いただきます。じゃあ、さっそく兄さんが作ってくれたきゅうりのサラダをいただくわ。……んっ、美味しい。このきゅうり、シャキシャキしていて歯切れが良いじゃない」

「なんたって、採れたてだからな。裏の畑から台所に直行だから、鮮度は抜群だぜ」


 きゅうりの中華風サラダを口に運んだ瞭子は笑顔になった。俺はシスコンではないが、自分の作った野菜の料理で妹が喜んでくれるのは嬉しいものだ。


「八重藤学院のお嬢様たちでも、家庭菜園で採れたての野菜を食べられる人は少ないはず。ふふ、お弁当に入れておいて、さりげなくすみれに見せつけてみようかな」

「妹よ、そいういう行為はお嬢様的ではないぞ。あと、白河さんに迷惑をかけるようなことは止めておけ」

「むっ……まあ、それもそうね。見せつけるのではなく、さも当然のように食べて……いえ、それだと家庭菜園の物だとわからないのよねえ」


 俺は、以前に八重藤学院に行ったときに出会った白河菫のことを思い出す。うちの妹はどうして彼女と張り合おうとするのか。


「兄さん、きゅうりはまだ収穫できそうなの?」

「大きくなりそうなのが、いくつかあるから大丈夫だと思う。トマトは実が大きくなってきたけど、もうちょっと待たないとダメだな」

「トマトもできるのね。ふふ、旬のトマトときゅうりが家の裏の畑にある。夢が広がるわね」

「ささやかな夢だがな」

「でも、おばあちゃんの畑で兄さんが作った野菜って良いじゃない。ありがとう」


 瞭子は上機嫌な様子である。感謝された俺も悪い気はしない。


「そうそう、家庭菜園の話をしたら、莉世がすごく興味を持ったのよね。兄さんが育てているって言ったら、目を輝かせていたわよ」

「ええと、小柄で大人しい感じの子だね」


 十条莉世については、瞭子のことを「お姉さま」と呼んでいたのが印象に残っている。同級生なのに変な感じはするが、俺が気にすることではないだろう。


「次に野菜が収穫できたら、サンドイッチでも作って食べさせてあげようかな。それならいいでしょ。ちゃんと、兄さんの分も作るから」

「サンドイッチか、いいね。ただ大袈裟なことは言わないでくれよ。俺なんて、ただの園芸初心者にすぎないんだからな」

「まあまあ、そこは家で作ったというところが付加価値なのよ。お店では買えないわけだし」 


 瞭子は得意そうに言うと、きゅうりのサラダを口に運んだ。まあ、我が妹のことだから大丈夫だろう。

 それにしてもサンドイッチか、悪くない。専門店のものは美味しそうなのだが、それなりの値段がするんだよな。


「そうだ。うちのクラスで最近できたドーナツの店が話題になってたけど、そっちではどうなの?」

「情報は流れているけれど、特に盛り上がっているわけではないわね」

「さすがはお嬢様学院、流行っているからって安易には飛びつかないってことか」

「どうかしら、行ってみたいと思っている子は居るんじゃないかな。……はあ、誘われたりしたら困るのよね。あそこ、結構な値段なのよねえ」

「なんだ、瞭子もしっかりチェックしてるじゃないか」

「コホン、私は別に……」


 瞭子が何か言いかけたタイミングで、俺のスマホが振動した。メッセージのようだ。


「何だろ? ご飯の途中だけど、一応確認しとくか……」 


 差出人は桜川亜依さくらがわあいである。俺は何気なく文面を確認した。


『ちょっと相談したいことがあるの。ドーナツ屋さんのクジ、実は当たってたの。時間があるときでいいから、話を聞いてね』


 俺は、驚きを隠しつつスマホをポケットに戻した。


「兄さん、どうしたの? なんだか深刻そうな顔をしてるけれど」

「クラスの友達からで、未確認情報なんだけど、明日の数学の授業で抜き打ちテストがあるらしいんだ」

「それは大変ね。なら、夕食の後片付けは私がやっておくから、勉強した方がいいんじゃない?」

「すまん、だけど助かるよ」

「ここは、美味しいきゅうりに免じてってことにしておくわ」


 瞭子に隠す必要はないかもしれないが、面倒なことになりそうだったので、とっさに嘘を言ってしまった。

 まあ、夕食を終えたら早めに桜川さんに連絡してみることにしよう。妹に片付けを押し付けた形になってしまったが、何かで埋め合わせれば良いだろう。

 きゅうりの中華風サラダの皿は、俺と瞭子ともに空になっていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る