第22話 応接室でのひととき

 俺は、瞭子を迎えるために八重藤学院の応接室へと来ていた。妹の友達である十条莉世も一緒にいたので、気を使って離れたところで待っていたのだが、そこにドアをノックする音が聞こえてきたのである。


「どうぞ」


 瞭子が椅子に座り直して声をかけた。先生が説明にやってきたのだろう、俺も窓際から離れて応接セットへと向かう。


「失礼します」


 聞こえてきたのは、澄んだ鈴のような女の子の声だった。どうやら先生ではなく、瞭子の友達のようだ。俺は、再び窓際へと戻ることにする。

 静かにドアを開けて入ってきたのは、艶やかな黒髪が印象的な女の子だった。十条さんがフランス人形なら、こちらは日本人形といったところか。


「はあ、先生かと思ったのに、すみれじゃない」

「瞭子さん、そのような露骨に失望したような態度をとるのは、いかがなものかと思いますよ」


 菫と呼ばれた女の子は、形の良い眉をわずかにしかめる。俺は挨拶をしようと思ったのだが、微妙にタイミングを逃してしまった。瞭子は、これ見よがしにため息をつく。


「何をしにきたの?」

「瞭子さんが、体育館の壁と不幸の出会いをなさったと聞いたので、お見舞いですわ」

「嫌味な言い方ね。醜態を晒した私を、笑いに来たって正直に言えばいいじゃない」

「そのような意図はありません。しかし、それで奮起なさるのなら、品を損なわない程度に笑ってさしあげますよ」


 ううむ、友達なんだろうが、ジャブの応酬のようなやりとりだ。十条さんは、小柄な身体をさらに小さくして不安そうにしている。仲が悪いというわけではないのだろうが、兄として少しはたしなめた方がいいかもしれない。


「瞭子、せっかく友達が心配してくれているのに、そんな言い方はないだろう」

「えっ? あ、貴方は……」


 菫と呼ばれた子は、俺に気づいて目を見開いた。離れた場所に居たから、見落としていたのだろう。それにしても、正面から見るとすごい美人だ。


「瞭子の兄で、明といいます。学院から連絡をもらって、両親の代理で来ました。その、仕事の都合ですぐには来られないということでしたので」

「こ、これは、御家族の方がいらしていたのに、とんだ失礼を致しました。瞭子さんのお兄様でいらっしゃるのですね。わたしは、白河菫しらかわすみれと申します。瞭子さんとは、去年同じクラスになったことが縁で親しくさせていただいています」


 白河さんは、すぐに平静を取り戻すと丁寧なお辞儀をした。同年代の女の子にこんな反応をされると、困ってしまう。椅子に座った瞭子は、俺たちのやりとりをおかしそうに眺めている。


「菫、それに莉世も、兄さん相手にそんな丁寧な対応をすることはないのよ」

「瞭子さん、何を言っているんですか。年上の方を相手に非礼なことはできません」

「ふふ、年上じゃなくて同い年よ。兄さんと私は二卵性双生児だから、生まれた時間は数分……いえ、数十秒ぐらいの違いかな」

「ふ、双子というわけですか。いえ、でも……」


 瞭子の発言に、白河さんは驚いたかのように俺をじっと見つめたあと、慌てて目を伏せた。人の顔を凝視するのは、失礼だと思ったのかもしれない。


「お姉さまの双子の……お兄さま?」


 十条さんが、不思議そうに俺を見上げた。小柄な彼女に「お兄さま」と呼ばれると、くすぐったいような気分になってしまう。だが、近くには本物の妹がいるので俺は平然とした態度を装う。


「両親や周囲からも、似ていない兄妹と言われています。あっ、結局みんな同級生なわけだから、こんな堅苦しい話し方をしなくてもいいのか」

「ふふふ……女子校にやってきて、真面目そうに振る舞う兄さんも、なかなか様になっているじゃない。莉世、だまされちゃダメよ。菫は……どうでも、いいけど」


 瞭子が愉快そうにしている中、2人の女の子は戸惑ったように俺たち兄妹を見比べている。特に白河さんは、驚きが大きかったのか瞭子のからかうような発言も届いていない感じだ。


「あの、一ノ瀬さん……、いえ、一ノ瀬君とお呼びすればいいでしょうか?」

「別にどんな呼び方でもいいよ、白河さん。あっ、でも、名字だと瞭子とまぎらわしいから、明でいいよ」

「私もそれに賛成ね。名字を呼ばれるたびに、兄さんと2人で反応するのは滑稽だし。ところで、菫も普通にしゃべったらどう? 猫を被っても、普段の様子を私が兄さんに話すわよ」


 白河さんは、楽しげに笑う瞭子にムッとしたようだが、すぐに落ち着きを取り戻した。彼女は瞭子を無視することにしたのか、俺の方を向いた。


「明さんは、どこの学校に通っているのですか? その、深い意味はなく、瞭子さんに双子のお兄さんが居たことが不思議で……」

「俺は、城本高校に通っているよ。この丘の上からも見えるのかな、名前の通り城跡にあるんだけど」

「そうでしたか。城本高校といえば、文武両道を標榜ひょうぼうする名門ですね。競争率が高いと聞いたことがありますが、さすがです」


 何故か白河さんに褒められてしまった。俺としては、妹が名門のお嬢様学校に入るので、あんまり見劣りしないように必死に勉強して受かった程度の認識だったのだが。


「いや、運が良かっただけだから。それに文武両道と言っても、勉強に集中する人と部活に集中する人に別れている感じなんだよね。それを外から見ると、どちらもがんばっているように見えるらしいんだけど」

「いえいえ、わたしの友人が通っているので事情はある程度知っています。部活や学校行事を精力的に行いつつも、勉強にも手を抜かないとか」


 白河さんの友人? 俺の知っている人だろうか。それにしても、彼女は俺のことを過大評価しているようで落ち着かない。高校は文武両道を掲げているが、俺は部活をやっていないし、学業に力を入れているわけでもないのである。

 話題を変えようと瞭子の方を見たが、我が妹はにこにこしながら俺と白河さんのやりとりを眺めているだけだ。くっ、楽しんでいるな。


 俺がなるべくイメージを損ねないように、苦労しながら会話を続けていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。今度は先生のようだ。俺は、誰にも気づかれないように、そっとため息をついたのだった。




 学院から解放された俺は、瞭子と2人で帰ることにした。

 十条さんが、家の車で送るようなことを言っていたが、なんとか辞退した。ありがたいのは確かだが、これ以上に緊張が続くのは勘弁してほしい。瞭子が、せっかくだから兄と2人で帰る、と言ってくれたおかげで十条さんが納得してくれたのである。


「ふう、疲れたな。女子校に堂々と入れるって、わくわくしていた俺がバカだったよ」

「ふふ、お疲れ様。意外とそれらしく振る舞えてたわよ、兄さん」


 高級住宅地の丘を2人でゆっくりと下っていく。学院から離れ、周囲も学生らしい人が居ないから気を抜いても大丈夫だろう。


「それにしても、あの菫がしおらしい態度になるなんてね。ふふ、兄さんも、なかなかやるじゃない」

「よく意味がわからないぞ。ええと、その白河さんとは友達なんだよな。若干、会話にトゲがあったような気がするんだけど」

「まあね。ある程度は親しくないと、ああいう言い方はできないから」

「なるほどね。しかし、お嬢様学校に通うのって大変なんだな。雰囲気とか、お嬢様っぽい女の子と話すだけで気疲れするよ」

「どう、兄さんにも私の苦労が少しはわかったでしょう」


 ため息をつく俺とは対照的に、瞭子は明るく笑った。

 空を覆っていた雲が切れ、隙間から夕方の日差しが街へと降り注いだ。ここは高級住宅地というだけあって、丘の上から俺たちの住んでいる街を見渡すことができる。こうやって、いつも生活している場所を眺めるのは不思議な感覚だった。

 バス停で時刻表を確認すると、あいにくバスは出発した直後である。次のバスまで時間があるので、歩いて帰ることにした。

 まあ、こういう日があっても良いだろう。

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