第21話 兄、お嬢様学校に戸惑う

 自分が通学しているのとは別の学校に行くというのは、意外と緊張するものだ。妹が通っているとはいえ、お嬢様学校として知られている女子校なら、なおさらである。

 立派な生け垣に囲まれた敷地を回り込むように移動すると、通用門らしき扉があった。小さいが頑丈そうな金属製の扉で、インターホンが設置されている。


『一ノ瀬さんですね。要件は、うかがっております。扉を開けますので、しばらくお待ち下さい』


 俺がインターホンに触れる前に、スピーカーから男性の声が聞こえた。よく見ると、生け垣の中にカメラのレンズがのぞいている。なるほど、セキュリティは万全なようだ。



 家族用の入門証を渡された俺は、年配の警備員の男性に案内されて学院の中に足を踏み入れた。外からだと木々に囲まれて何も見えなかったが、敷地の中は白い玉砂利が惜しげもなく敷かれていて広々とした印象だ。学校というよりも、高名な寺院や博物館などの文化施設のような印象である。ところどころ、藤棚が設置されていて涼しそうな影を作っていた。


「あれが、この学院の名前にもなっている八重藤やえふじです」


 俺の視線に気づいたのか、警備員の男性が教えてくれた。


「あれが八重藤ですか、初めて見ますが立派なものですね。花の咲く時期は、さぞや壮観なのでしょうね」

「ええ、残念ながら今は散ってしまいましたが、今年も見事に咲いていましたよ」


 正直な感想を口にすると、年配の警備員は嬉しそうにうなずいた。自分の職場に愛着を持っているのだろう。それにしても、雰囲気に圧倒されて話し方が固くなってしまう。

 藤棚の下でくつろいでいた女子学生たちが俺に気づいたようだが、さすがはお嬢様学校だけあって、じろじろと見るようなことはしないようだ。ほんの少し視線を向けてきた程度である。俺の方も、変な態度をとると瞭子が怒るだろうから、女の子になど興味は無いという感じで進んで行く。


「警備員さんは、何か武道の心得があるのでしょうか。身のこなしというか、たたずまいに隙がありませんね」

「いえいえ、そんな大したことはしておりませんよ。少し、ほんの少しだけ合気道と居合道をかじった程度です」


 黙っていると女の子の方を見てしまいそうだったので、適当に話をしたのだが、返答に驚いてしまった。普通の人は居合道にふれることすら無いと思うのだが、警備員の中では珍しくないのだろうか。それとなく警備員の歩き方を観察してみたが、絶対にかじった程度ではない気がする。

 色々な意味で気を引き締め直した俺は、警備員の案内で校舎へと向かったのだった。



 校舎は、白い壁に黒い瓦屋根が印象的な建物だった。派手さはないが、品があるように感じられる。内部は、耐震性や耐久性に配慮しつつ木材が使われていて、とても良い香りがした。

 妹を迎えに来たはずなのに、歴史的建築物の社会見学に来たようである。警備員は「面談室」と表示のある部屋の前で立ち止まった。


「これから教員に連絡してきますので、こちらの部屋でお待ち下さい」


 警備員がノックをしてからドアを開けると、品の良い応接セットに瞭子が背筋を伸ばして座っていた。いつもと変わらない妹の様子にほっとしかけたが、妹以外に女の子がもう1人居ることに気づいて慌てて気を引き締める。


「警備員さん、兄を案内していただいてありがとうございます」


 瞭子が立ち上がって行儀よく頭を下げると、警備員は穏やかな笑みを浮かべて部屋を出て行った。応接室には俺と瞭子、そして知らない女の子の3人が残される。やっと緊張感から開放されると思ったのに、女の子が居るので気を抜くことができない。


「瞭子、母さんから電話があったときは驚いたけれど、元気そうで良かったよ」

「心配するようなことは何もなかったんだけど、みんな大袈裟なのよね。兄さん、ここに来るのは大変だったでしょう。ありがとう」


 学院内だからか、妹はよそ行きの口調で素直に礼を言った。俺としては、体育の時間の事故について詳しく聞きたかったのだが、部屋の中に居る女の子が気になってしまう。おそらく、瞭子の同級生なのだろうが小柄な子だ。少し癖のある髪に、色素の薄い瞳がフランス人形を連想させる。


「あの、申し遅れました。わたしは、十条莉世じゅうじょうりせと申します」


 俺の態度に気づいたのか、十条さんは深々と頭を下げた。あらためて正面から見ると、まさに人形のように容姿が整っている。ううむ、この学院は色々な意味でハイレベルなようだ。


「兄さん、莉世は同じクラスの友達なのよ」

「あっ、これはどうも。兄の明です。妹がお世話になっているようで……」


 瞭子の同級生だから、俺とも同学年でもあるのだが、学院の雰囲気もあってどうも話しにくい。馴れ馴れしくないように挨拶したのだが、十条さんは顔をくもらせた。


「あ、あのう、申し訳ありません。お姉さまが怪我をしたのは、わたしのせいなんです」

「えっ?」


 過剰なほどに頭を下げた十条さんに、頭の中に多数の疑問符が浮かんだ。お姉さま、とはどういうことなのだろう。瞭子のこと言っているようだが、当然ながら十条さんは俺たちの妹ではない。お嬢様学校特有の風習とか、人間関係なのだろうか。

 ちらりと瞭子の様子をうかがうと、「バカなことは言うな」というオーラを感じとったので、首をかしげる程度の反応にとどめておく。


「兄さん、私が怪我をしたのは、莉世のせいじゃないから。いえ、そもそも怪我ってほどでもないけれど」

「で、ですが、わたしがぼんやりしていたから、お姉さまが……」

「とにかく、一度落ち着いて事情を話してもらえるかな?」


 俺は、なるべく穏やかに見えるように十条さんに微笑みかけた。彼女は、はっとしたように胸に手を当て、取り乱しかけたことを恥じ入るように頬を赤くする。


「ご家族の前だというのに、すみませんでした。……事故があったのは、体育の時間です。本日はバレーボールで……」

「兄さん、事故じゃないからね。莉世は、体調がすぐれないから見学していたのよ」

 

 瞭子が、深刻そうに話す十条さんに口を挟んだ。責任を感じている様子の十条さんに、気を使ったのだろう。


「はい、見学していたのですが、ぼんやりしていた所にボールが飛んできたのです。それを、お姉さまがかばってくださったのですが……」

「誤解のないように言っておくけれど、莉世の方へ来たボールはきちんと弾いたのよ。ただ、勢いがつきすぎて、そのまま壁にね。……はあ、私としたことが」


 なるほど、これで状況が想像できた。瞭子の不本意そうな様子からすると、おそらくボール弾いて十条さんをかばったことに満足して、壁が迫っていることを失念していたのだろう。我が妹はしっかりしている方であるが、何か1つうまくいくと、その成功に気を良くして小さな失敗をすることがあるのだ。今回の件も、大方そういうことではないだろうか。

 瞭子の方を見ると、「余計なことは言うな」との気配を察したので、黙ってうなずいておく。


「ともかく、大した事じゃなかったのよ。壁にあたったあと、少しふらついただけなのに、みんなが大騒ぎするから」

「ですが、お姉さまの身に何かあれば一大事です。保健の先生に、無事だとお聞きしたときは本当にほっとしました。……わたしを守ってくださったお姉さま、とても素敵でしたね」


 十条さんは胸の前で両手を合わせると、きらきらとした視線を瞭子に向けた。これも、お嬢様学校特有の何かなのだろうか。瞭子の方へ視線を投げかけてみたが、困ったように首を振るだけである。


「兄さん、先生が説明に来ると思うから、悪いけれどもう少し待ってね」

「ああ、別にかまわないよ。……それにしても、この学院ってすごく立派だね。外の景色も、まるで日本庭園みたいだ」


 俺は、窓際に移動して景色を眺めることにした。特に興味があったわけではないが、この場に居ると、憧れの念がこもったような視線を瞭子に送る十条さんが気になってしまうのである。彼女のことは、家に帰ってから聞いてみることにしよう。

 応接セットから離れ、よく手入れされた庭に目をやったところでドアをノックする音が聞こえたのだった。

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