第54話
ある日は、コテージのある山に雪が降り積もった。
天窓は白色の雪で蓋をされ、寝室がいつもより暗かった。空気も異様に冷たく、目が覚めたのに毛布に包まり、僕は無意識に布団から出ることを拒絶した。
頭も埋めようと丸くなった際、隣で物凄い勢いで掛け布団を捲る音が響く。続いて両足で床に着地する音。音は部屋の隅に移動して、おそらく階段側の壁に取り付けられた窓の辺りで動きを止める。
「――そうだっ!」
誰に向けるわけでもなく弾むように声をあげた姉は、滑るようにして階段を下りていった。それから暫くして、玄関の開く音と、外の階段を踏み鳴らす音が聞こえた。
こんな寒い日にどうしてそんなに元気なのかと斜に構えつつ、しかしその理由がどうにも気になって、仕方なくベッドから起きることにする。凍てついた空気に挫けそうになるけれど、弱音を押し殺して一階へと下りた。
居間に行くと、呆れたことに暖炉すらついていなかった。寒さを厭わず、暖炉もつけずに外へ出て行ったのか。見れば、ソファの背もたれには、脱ぎ捨てられた彼女の寝間着が垂れている。
僕は彼女に教わった方法で暖炉に火を灯し、熱に手を当てて暖をとった。それから数分、充分に体温が上昇したのを感じると、暖炉の前で着替えて玄関の扉を開いた。
扉を開けると、昨日までと同じ場所とは思えないくらい、景色が白く染まっていた。世界を塗り替えた雪はまだ降り続けており、視界の中を絶えず舞っている。
欄干の上に積もっている雪の厚さは、目測で十センチほどあった。充分に大雪と呼べるだけの積雪だ。
用意がいいことに、コテージには長靴も常備されている。一度玄関の扉を閉めて、脇にある下駄箱を開く。すると、案の定二足あるうちの片方がなくなっており、代わりに姉のスニーカーが置かれたままになっていた。
僕は残っている長靴に履き替えると、玄関前の広場の欄干に積もっている雪を払い落とし、そこに手を置いて姉の姿を探した。
彼女を見つけるまでには、五秒すらも必要なかった。
階段を下りたすぐ傍に、どこから持ってきたのかわからない巨大なスコップで雪をかき集めている姉の姿があった。降り続けている雪に髪が濡れることも気に留めず、夢中で作業に没頭しているようだ。
僕は手すりを持ちつつ、滑らないよう階段を下っていく。
「何やってるの姉ちゃん。風邪引くよ?」
「風邪を引くリスクなんて気にしている場合ではないわ。雪が降っているのよ? 雪がこんなに積もっているのよ? だったらやるしかないじゃないのよ!」
「やるって、雪かきでもしてるの? 確かに、それはそれで必要なことかもしれないけど、まだ降ってる最中だし、後の方がいいんじゃ」
「そんな無意味な行為をするはずがないじゃない。断じて、邪魔な雪を退けているわけではないわ」
「だったら何してるの? スコップで雪をすくって、端に山を作って、どう見ても雪かきにしか見えないんだけど」
「優くんは雪国出身ではないから、勘付かないのも無理ないわね。雪に馴染みのある人なら、あたしが何をしているのかなんて一目瞭然のはずよ」
「だとしたら、確かに僕は雪国出身じゃないね。で、結局何を作ってるの?」
「かまくらよ」
なるほど。
無茶苦茶な説明をされているのかと疑ったけれど、正解を教えられると得心がいった。画像や映像などで完成品を見たことがあっても、作成過程は見た覚えがなかったので気づかなかった。彼女の言うとおり、スコップを手に雪山を作り始めたら、かまくらの作成に着手することと同義なのかもしれない。
……いや、そんなことはないだろう。少なくとも、〝山〟と表現するよりは〝丘〟と呼称すべき雪の集合体を見ただけでは、まだかまくらを作っていると予測できる段階ではない。
僕は自分の意見を述べようとして、彼女を見た。
無我夢中に周囲の雪をかき集める彼女を眺めていると、そんな些細なことは口にしても仕方がないと思えて、僕は発言しようとした感想を雪に溶かした。
「かまくらか。これだけ積もってれば、立派な物ができるかもね」
「そうでしょう? 今日雪が降ったのは、あたしにかまくらを作れという啓示に等しいわ」
「それってつまり、全部姉ちゃんの意志ってことだよね」
「あら、おもしろい解釈ね。そこまで深く考えていなかったわ」
「姉ちゃんが尋常じゃないくらいかまくらを作りたい欲求に駆られているのは伝わったよ。僕も興味あるし、手伝っていいかな?」
「大歓迎よっ! スコップはコテージ入口の階段下にあるから、そこにあるものを使えばいいわ」
姉はスコップを雪原に刺して、もう片方の手で階段を指差した。
指し示された方向を一瞥してから、僕は姉に顔を向ける。
「だけど、その前に朝ご飯くらい済ませようよ。すぐに終わる作業でもないんでしょ?」
「そうね。知識と知恵があっても、実際に作るのは初めてだから思い通りにいかない点もあるでしょうし、あんまり焦っても仕方ないわね」
「暖炉をつけておいたから、スープも作って、一度暖まろうか」
「素晴らしいわね。雪が降る景色を窓から眺めながら、暖炉にあたって温かいスープを飲む。まるで雪国に旅行に来ているようで気分が高揚してしまうわ」
「だったら、起きた時に暖炉くらい付けてから外に出てほしいな」
「ごめんなさい。起きて一面の雪景色を見たら、どうにも胸の高鳴りが抑えられなかったのよ」
「姉ちゃんって相当な雪好きだったんだね」
「そのようね。あたしも、自身の感情の昂ぶり方に若干たじろいだわ」
「なにそれ」
「困ったものよね」
冗談ではなくて、真面目に自分がおかしいと話す姉が滑稽で、僕は思わず笑いを漏らす。
談笑しつつ、コテージへと戻り始めた。
途中、雪が好きだと語った彼女の心情について考えてみる。
もしかしたら、真冬に生まれたから人よりも雪に惹かれるんじゃないだろうか。そんなどうでもいい考えを浮かべながら、僕は充分に温まったコテージの入口に手をかけた。
それは、十三月三十一日の早朝の出来事だった。
朝食後に見た純白の空間にある樹木は、最後の日も変わらない姿で佇んでいた。
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