第21話
部活動に勤しむ生徒達を眇めつつ校門を後にして、僕達は家路についた。
公道に出たというのに妹は頑なに腕を解放してくれず、何度お願いしても離れようともしない。校内で向けられた奇異な視線は宿主を変えて、現在は往来の一般人から集められている。
「ねぇ理奈。いつまでこうしてるつもりなの?」
「おにいちゃんが、理奈とデートを約束してくれるまでだよ!」
「まだそんなこと言ってるの?」
「むーっ! おにいちゃんが約束してくれるまで、家に帰ってからも離れないからねっ!」
「えぇ……」
普段はこれだけ頼み込めば仕方なく引き下がってくれるのに、今日の妹はいつになく頑固になっているようだ。
どうしたものかと思案を始めた際に、一歩後ろをついてきていた姉が、僕の隣を歩く妹に声をかけた。
「そういえば理奈、今日は放課後に何をしていたの? あたしと優くんは、あなたを待つために中庭で時間を潰していたのよ?」
「演劇部の友達に、小道具を作るのを手伝ってって頼まれたんだよっ!」
「ふぅん。それにしては早かったわね。理奈と合流した時点では、教室を出て三十分くらいしか経っていなかったわよ? 手伝いって、そんなに些細なことだったのかしら?」
「ううん、そんなことないよ? 一月の最後の週に街の小さなホールで公演をするらしくて、練習のためにも急いで道具を用意しないといけないって、みんな焦ってたよ?」
「つまり、理奈は途中で抜けてきたのかしら?」
「もうっ、おねえちゃん、変なこと言わないでよっ! 理奈がそんな悪いことするわけないじゃんっ!」
「そう。そういうことなら、だいたいわかったわ」
「いや、僕は全然わからないんだけど」
こんな他愛のない会話どれだけ続けたところで、利益に繋がる実りがあるとは思えない。
しかし、真相が明かされないままでいられるのも気分が悪いので、わからないことは素直に訊いてみる。
「あのね、理奈がおにいちゃんとおねえちゃんに『遅くなりそうだから先に帰っていいよ』って言いに行こうとしたら、偶然隼人おにいちゃんが近くにいてね」
「あ、理奈」
「ん? どうしたのおにいちゃん? 理奈の話、まだ始まったばかりだよ?」
「いや、僕もわかったから、その話はもういいよ」
「そうなの? んーっ、おにいちゃんがそう言うなら、これで終わりにするね」
「うん。教えてくれてありがとう」
「えへへー。でもでも、褒めてくれるなら、理奈の頭をなでなでしてほしいなーっ!」
「あ、頭を、なでなで……?」
「うんっ! ねぇねぇ、いいでしょー? 理奈がおにいちゃんのお願いを聞いてあげたんだから、おにいちゃんも理奈のお願いを叶えてよっ!」
安易に持ってしまった安物の探究心が、まさかこんな事態を招いてしまうとは。不覚だった。
手を繋いだり腕に抱きつかれたりする行為には慣れてきていたけれど、『頭をなでなで』なんていう上位の要求をされたのは初めてだ。
これは、兄と妹の関係からすれば普通の行いなのだろうか。
僕にはこれまで妹なんていなかったから、妹との接し方や距離感というものがいまいち掴めない。知識としても、周りに妹と仲良さそうにしている友人はいないので、どの程度までが普通なのかも調べられない。
どうすればいいのかわからず、つい無意識のうちに後ろを歩いている姉に視線を送る。
姉に頼ろうとしていると自覚した頃には、僕は目を向けた背丈のそう変わらない彼女から、冷ややかでじっとりとした目で見つめ返された。
「さすがのあたしも、いくら外見が幼いとはいえ、同年齢の妹の頭を撫でるのはどうかと思うわよ?」
「だ、だよね」
「もーっ! おねえちゃん余計なことばっか言わないでよっ! おねえちゃんだって、おにいちゃんになでなでされたいんでしょ?」
「どうしてそうなるのよ。あたしが優くんになでっ…………いえ……」
「ちょっと、どうしてそこで黙るんだよ」
「……い、いえ……その、確かに悪く…………いえ……なんでも、ないわ……」
微笑と苦虫を噛んだような表情を繰り返しつつ、歯切れ悪く返答される。
冷静で落ち着いた性格の彼女にしては、めずらしい感情の表し方だった。
「なんでもないなら、別にいいけど」
「そうよ。なんでもないわ。そんなことより、あたしは〝手がかり〟を見つけたわよ」
「……うん。僕もだよ」
そう。あの〝一言〟が〝手がかり〟である可能性に、僕と姉は気づいた。
妹が現れてからも、例の樹木は少しずつその体積を増やしている。だとすればそれは、僅かながらも条件を達成している証拠といえよう。
つい先ほどまで、現状の一番の問題は具体的な条件に見当がつかないことだった。
しかし、何気なく発せられた妹の一言を耳にした時、ばらばらになっていたピースが一箇所にまとまったような直感があった。
十三月から世界を救済する樹木、その樹木を成長させるための条件――つまり、妹。
僕と、そしておそらく姉も、妹の口にした言葉から同じ結論を導き出した。
存在しないはずの妹の願いを叶えることで、樹木に栄養を与えられるのだと。
「理奈、頭をなでるのは勘弁してほしいんだけど、代わりに、さっき言ってた願いを叶えてあげるよ」
「さっきのってどれのこと? ……あっ! もしかして、理奈とデートしてくれるのっ!?」
「デートって呼ぶかはわかんないんだけど、理奈は僕と一緒にどこかへ遊びに行きたいんだよね?」
「それがデートなんだよっ! ねぇねぇ、遊びに行くのは決まりだとしてー、どこまでだったらオッケーなのー?」
「うーん、電車で片道一時間以内なら大丈夫かな?」
「えーとっ、それじゃあねー」
自分で考えるのも恥ずかしいけれど、妹の願いが〝僕と一緒の時間を過ごすこと〟ならば、それを心から願っているとしたら、間違いなく現在進行形で叶えられている。それも、昨日今日に成就したわけでもなく、自室のベッドの上で彼女と初めて対面した一週間前からだ。
樹木が成長を続けているのは、願望を満たし続けているからなのだと思う。
成長の度合いが小さいのは、それが彼女にとっての本命ではないからだ。
桜庭理奈には更に強い思いを込めた大切な願いがあり、それは未だに達成されていないのだろう。
「じゃあねー、日にちは、今度の土曜日でどうかなーっ? おにいちゃん空いてる?」
「十三……じゃなくて、一月十九日? その日なら、今のところ特に予定はないよ」
「じゃあじゃあっ! その日に、電車に乗って隣町のショッピングモールに行こうよっ! もちろんっ、理奈とおにいちゃんの二人だけでだよ?」
「買い物に行くってこと? 何かほしいものでもあるの?」
「ううん。別に、これといって買おうと思ってるものはないよ?」
「えっ? だったらどうして、わざわざ電車に乗ってまで遠くにある店に行きたいの?」
「もーっ! おにいちゃんは全然わかってないなーっ! 男の子はどうなのか知らないけど、女の子はね、かわいい服とか小物を見るのが好きなんだよっ! 買わなくたって、そのお店に行けばいつでも何度だって見られるでしょ? あそこには、理奈のお気に入りがたくさんあるんだよっ!」
「ええと、そういうものなの?」
「そういうものらしいわ」
妹の主張の正当性を姉に確かめると、彼女は伝聞された情報にもとづいていると思しき曖昧な口調で肯定した。
利益に貢献してくれない客など店からしてみればいい迷惑のように思うけれど、店の雰囲気が活気づけば購買意欲のある客も集まりやすくなるのかもしれない。一番は、訪れた全ての人に商品を買ってもらうことだとは思うけれど。
「そういうことだからおにいちゃん、今度の土曜日は理奈のために絶対に空けといてねっ! おねえちゃんは、悪いけどお留守番だよ? 理奈はおにいちゃんとデートするんだから、ついてきちゃだめだよ?」
「仕方ないわね。まぁ、たまには妹に譲ってあげないと、お姉ちゃんとしての尊厳に傷がついてしまうわよね」
「絶対に、絶対についてきちゃだめだからねっ!」
「そんなに念を押さなくても、ちゃんとわかっているわよ」
「絶対に、絶対だよっ!」
「……そこまで言われると、逆についてきてほしいのかと勘違いしちゃうわよ?」
「あーっ! やっぱりついてこよーとしてるーっ!」
「理奈、あなた、なかなかめんどくさい性格をしているわね」
僕は「姉の影響を受けてるんじゃない?」という横槍を入れたくなったけれど、それこそめんどくさい会話に発展しそうだと想像できたので、やめておくことにした。
咄嗟の考えを発端とした決断ではあるけれど、今週末、僕は妹の願いを叶えるために一緒に出かけることになった。
何が起こるかわからないので、可能なら姉にもついてきてほしいというのが本音だ。
しかし、妹が僕に願いを叶えてほしいと望むなら、僕だけでやるしかない。
ただの買い物に付き合うだけで世界の破滅を阻止に繋がるのなら、それはあまりにも些細なことだ。
ごく当たり前の感想だけど、そんな矮小で簡単な行動で世界が救えるだなんて、いくら楽観的に考えたって結びつくはずもない。おかしな世界に囚われてしまっている状態ではあるけれど、人間としての普遍的な価値観は忘れたりはしていないはずだ。自らの抱く認識は、きっと世間一般的な見解と同じだろう。
けれども、そういった〝ありえない物事の結び付き〟が蔓延しているのが、十三月という世界の特性であることも理解している。
――これで妹の欲が満たされて、樹木が成長してくれればいいけど。
次の土曜日はどのように過ごすのだろうと想像を膨らませつつ、僕は胸の内で自分の選択が奏功することを祈った。
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