第20話

 在籍していないはずの生徒が二名も加わっているのに、新学期を迎えた僕のクラスには連休前と同じ空気が流れていた。

 正常を偽装した日々が数日経過したある日の放課後、西の空に沈んでいく夕日の光を浴びながら、僕と〝もう1人〟は、高等学校の物にしては豪華すぎる庭園に設置されたベンチに隙間を空けて腰かけていた。


「なかなか尻尾をみせてくれないわね」

「ごめん姉ちゃん、いきなりすぎて何の話か見当もつかないんだけど」

「優くん、以前より察しが悪くなっていないかしら? あたしが何を言いたいか、声のトーンから推測できるでしょう?」

「そんな無茶な……って思ったけど、まぁ、なんとなくわかったよ。理奈のことだよね?」

「やっぱりわかってるじゃないの。いちいち隠さなくたっていいじゃない」

「姉ちゃんが唐突すぎるんだよ。妹の話だって前置きを言ってくれれば済むのにさ」

「そうかしら? いえ、そうね。でも、優くんにならこれで伝わると思ったから省略したのよ?」

「わかるにはわかるけど、勘違いすると面倒だから。ちゃんと明言してほしいよ」

「そう。わかったわ。次回から気をつけるよう心がけるわ」


 声色を変えぬまま答えた姉は上体をやや前のめりにすると、顔を横に向けて僕に視線を送る。


「それで、話の続きなのだけれど、優くんは彼女について新しく気づいた点はあるかしら?」

「ないよ。最初の日に抱いた違和感だけが、今日までずっと続いてる。姉ちゃんは?」

「あたしも似たようなものよ。高校生と呼ぶにはあまりに幼さすぎる外見と性格。それなのに高等学校の生徒に相当する知識は持っているし、なによりも周囲の人間は彼女がクラスに馴染んでいることに疑念すら抱いていない。これはあたしにも当てはまる話だから、なんとも言えないけれどね」

「だけど姉ちゃんはそれを自覚していて、彼女はしてないでしょ。この差は大きいよ。十三月を解決するために顕現した姉ちゃんと違って、彼女は何を目的として現れたのか全然わからないんだから」

「そうなのよねぇ。彼女、本当に何者なのかしら? 間違いなく先代の仕業であることは確かなんでしょうけど、数日経ってもまったくボロを出さないというか、おかしな言動を見せたりしないし……おかげで付き合い方がいまいち分からなくて困ったものだわ」

「姉ちゃん一緒の部屋で暮らしてるもんね。彼女、姉ちゃんと二人きりの時はどんな感じなの?」

「いい妹よ。素直で純粋で、姉妹としては申し分がないくらいだわ。あたしと一緒にいる時でも優くんのことをよく話題に出すあたり、優くん的にも、自分の妹としては満足かしらね?」

「僕のいないところでも、僕の話をしてるんだ」

「それはもう、彼女から持ちかけてくる話はそればっかりよ。今日の授業中に居眠りしてたとか、昼休みにしたお喋りが楽しかったとか、帰り道でかわいい女の子に見とれてたとか、ね」

「ほとんどストーカーじゃないか! っていうか、最後のは何? そんな姿見せた覚えないけど」

「大丈夫よ。だって、かわいい女の子っていうのはあたしのことだから」

「……あぁ、そう。じゃあいいや」

「ちょっと優くん、反応が冷たすぎないかしら? 少し前までは、こうして二人きりでいるだけでも落ち着かない様子だったのに、いつの間にか随分とお姉ちゃん慣れしたのね?」

「あ、あれは、どういう風に接したらいいかわからなかったから……! 一週間以上も毎日のように話していれば、誰だって慣れるよ」

「ふぅん。あたしも優くんのそういった冷たい応対に、徐々に慣れていってしまうのかしらね?」

「それは、僕に訊かれたって知らないよ」

「…………たぶん、しばらくは慣れないと思うわ……」


 困っているのか悩んでいるのか知らないけれど、姉は俯いたまま片手で額を押さえた。

 気分が悪いようには見えないので、脱線した無駄話を遠慮なく本線へと戻す。


「話を元に戻すけど、いくら彼女が現れた理由が不明だとしても、少なくとも十三月に関係してることくらいは間違いないよね?」

「そうでしょうね。樹木の成長に関係していると思うけれど、彼女をどうしたら条件を満たせるのか、現状では皆目見当もつかないわ」

「いないはずの彼女が現れた……なら、彼女を消してしまえばいい、とか?」

「さらっと恐ろしいことを言うわね、優くん」

「別に、殺そうとかそういう物騒な話をしてるんじゃないよ。何かをすることで、幻だったみたいにふわーって消えるんじゃないかなって思っただけだって」

「その〝何か〟を、さっきから探っているのよ?」

「わかってるよ。でも、そうだなぁ……」


 仮に、妹の願望を叶えることが条件だとして考えてみる。

 彼女の願いとはなんだろう。

 どうも妹は妙に僕にこだわっているし、願いがあるとすれば、それは僕に絡んだものになるのだろうか。

 僕達が十三月と呼んでいる異常は、姉から聞いた話によると僕を起点に発生しているものらしい。

 そう考えると、存在しないはずの妹が出現したことも、僕に何かしらの関係があると推測するのが道理だと思う。


「僕と関係しているとは思うんだよね」

「優くんが? そうね。十三月に関係している以上、優くんか、もしくはあたしに関係していると考えるのが当然よね」

「そうか。姉ちゃんは僕とは違う立場にいると思ってたから考えてなかったけど、彼女の件に関しては同じなんだね」

「ええ。あたしと優くんにとって、彼女は〝いないはずの実の妹〟で、彼女からすればあたし達は〝いて当然の実の姉と兄〟なのよ。そこに、言葉以上の要素は介在しないわ」

「まぁ、僕と姉ちゃんのどちらに関わっているのか知ったところで、彼女をどうすればいいのかも、彼女にどうされればいいのかもわからないんだけどね」

「多少は絞り込めるかもしれないけれど、具体的な条件についてはそれだけじゃ判明しないでしょうね。十三月も上旬が過ぎてしまっているから、早いところ解決して樹木を成長させたいところではあるけれど……」


 彼女が言うように、十三月が始まってそろそろ2週間が経過しようとしている。今日は十三月十四日の月曜日だ。

 上旬というより殆ど半分が過ぎてしまっているけれど、一週間前に妹が現れたこと以外には特別おかしなことは起こっていない。

 ただし、以前から発生している事象も、何一つとして解決されていない。

 純白の空間にある樹木は順調に成長を続け、その大きさを見るたびに増している。伸び方が停滞していないあたり、細かな条件をいくつか満たしているのかもしれないけれど、要求されている達成条件は花を咲かせることだ。ただサイズが大きくなるだけじゃ、その条件は満たせない。

 それなのに、樹木の枝には未だに蕾すらできていない。


「このままあの大木が花を咲かせなかったら、この世界が破滅するんだよね?」

「そうよ。あらゆる物が消え去って、全ての生き物は消滅するわ。その後で再び創世が行われるのかまでは不明だけれど、一度完全な破滅を迎えるのは確実よ」

「姉ちゃんが言うんだから、本当に起こるのかもしれないけどさ……」


 もう何度繰り返した問答か覚えていない。

 だけど、どうしても僕には、世界が終わる予言を心から信じることができなかった。


「やっぱり僕には、あと三週間も経たずに全部が終わってしまうことが信じられないよ。だって異常が発生して二週間も経ったのに、多くの人の生命に関わるような災厄どころか、自然のバランスが崩れるような天災も、身近な人や環境に影響する事件すら起きてないじゃないか。身の回りで常識から外れた出来事はいくつか起きてるけど、世界は平和そのものだ」

「優くんの気持ちはわかるけれど、これだけは真実だと断言してもいいわ。先代にとって世界の破滅というのは、実現できなければ意味がないのよ」

「それ、どういうこと?」

「世界の破滅を目論見つつも、一方では救済方法を用意していた先代が、いったい何を意図しているのか、その思惑を色々と推察してみたのよ。それで思ったのだけれど、先代はあたし達を利用して、自らの願望を果たそうとしているんじゃないかしら?」

「それってつまり、樹木に花を咲かせること?」

「表面的な目的はそうなるわね。今まであの樹木は十三月を解決するために用意された物だと決め付けていたけれど、もしかしたら逆なのかもしれないわ」

「樹木を育てるために、十三月をもたらした?」

「ちょっと違うわね。育てるために準備したのは、あたしと優くんよ。十三月は、直接的には関係ない」

「じゃあ、なんで十三月を……」


 樹木に花を咲かせることで、どのような利益が得られるのかは知らないけれど、僕と姉を利用してそれを達成させたいなら、どうしてわざわざ現実にはない時間を作り出したのか。

 外れた時間を生み出さずとも、育てる役割を担う僕達だけいればそれで充分じゃないか……。


 ――いや、違う。


 僕達に命令したところで、僕達が自分に一切の利益がない行為を従順に遂行してくれるとは思わないだろう。

 先代にとってみれば、僕達は駒だ。

 駒は自分の意思では動かない。

 動かすためには、動力に当たる外的な力が必要だ。

 動かない駒に動いてもらうだけの、駒と密接に関わる理由が必要なんだ。


「僕達を、思い通りに動かすためだね」

「ええ。十三月というのは、あたし達を動かすための脅しなのよ。拳銃を後頭部から突きつけられても、それが玩具のモデルガンだったら脅威にはならないでしょう? そんなのは自明の理だから、犯罪を働く輩はそんなことはしない。弾丸が装填された、本物の銃を用意する。たとえ発砲する気が微塵もなくともね」

「それなら、先代の神様は世界を破滅させることはできるけど、実際に破滅させる気はないかもしれないってことだよね?」

「自身の目的さえ満たせれば、破滅は止めてくれるかもしれないわ。でも、世界を終わらせる覚悟はできているはずよ。万が一あたし達が条件を満たせず樹木に花を咲かせられなかったら、確実に全ては終わってしまうでしょうね」

「そんなこと……なんとか説得すれば、思い直してくれるかもしれないじゃないか」

「そうね。先代がまだ存命であれば、その可能性もあったかもしれないわね」

「あっ――」


 ……そうだった。

 世界の破滅をもたらそうとしている先代の神様は、既に世界のどこにも、手の届かない裏側にさえ存在していない。

 神様と呼ばれている超越者は、自らがいなくなった世界で、樹木に花を咲かせることで何を起こそうとしているのだろうか。

 深く考えを巡らせれば巡らせるほど、先代の神様が意図した意味がわからなくなる。

 ただ一つ確かなのは、失敗してしまえば、何かもが終わってしまうことだけだ。

 仮に成功したところで、僕達が得をすることは一切ない。

 じっくりと状況を鑑みてみると、僕達が十三月と呼んでいる時間は、あまりにも理不尽極まりないものだと再認識した。


「理解したようね。一ヶ月の時間制限を設けたのは、あたし達を焦らせる目的もあったのでしょうけれど、最たる理由は、そうすることでしか世界を終わらせられないからでしょうね」

「破滅へのカウントダウンを止められる人は、もういない。リミットを迎えれば、自動的に世界は終わる……」

「いいえ。違うでしょ、優くん」

「……そうだね。そのために、僕達は世界が破滅する運命を知らされてるんだったね」

「先代が命を失ってまで叶えようとした願いに毛ほどの興味がなくとも、あたし達は大切な存在を守るために救済を成し遂げなくてはならないわ。他界した存在の手のひらの上で踊らされるのは癪に障るけれど、そうするしかないのよ」

「早いところ、解決したいね」


 現実からは目を背けられない。どれだけ逃避したところで、避けようのない、迎えれば取り返しつかない未来がすぐ手前まで迫ってきている。

 僕達が問題を解決しなければ、遠い過去から現在、これから僕が生きていくはずだった遥かな未来も、跡形もなく等しく消失する。

 人々に神様と呼ばれた上位存在が宣告したのだから、文字通り一瞬のうちに世界を破滅させることが可能なのだろう。

 刻限への時間を数える針は既に動き出しており、もう半分を回ろうとしている。

 破滅の瞬間までのカウントダウンを刻む針を止める手段は、ただ一つ。 

 僕達は、なんとしてでも純白の空間にそびえる大木に花を咲かせなければならない。

 二人並んで腰かけているというのに、僕も姉も、事態を打開するための対策を練りながら有用な策を思いつかず、黙したまま地面に視線を落としていた。


「――おにいちゃーん!」


 聞き慣れつつある声が遠くから発せられ、僕は顔を上げて中庭を見回した。

 正門に続く通路から、舗装された道に靴音を鳴らしながら妹が駆け寄ってきている。

 姉を一瞥すると、彼女は頷いて立ち上がり、僕もまた同じように腰をあげた。

 世界を救済する。

 そのためにはまず、妹の正体を突き止めなければならない。

 肝心の彼女は僕のそばまでやってくると、破裂せんばかりに頬を膨らませて僕の右腕を細い両手で引っ張った。


「もーっ! こんなところでまたおねえちゃんと二人きりになってーっ! ずるいずるいずるいっ! おにいちゃんっ、理奈ともデートしてよっ!」

「いやいや、別にデートしてたわけじゃないから」

「してたもーん! 女の子と男の子が二人っきりになったら、それはデートなんだよっ! 理奈知ってるもん!」

「あら、理奈は賢いわね~。その通り。お兄ちゃんは恥ずかしくて嘘を言ってるのよ」

「ほらやっぱりっ! ……って! おねえちゃんが自分で言ったらほんとにそうなっちゃうじゃん! おねえちゃんばっかデートしてっ! ずるいずるいずるいっ!」

「お姉ちゃんの特権よ。我慢なさい」

「そんなの嫌っ! おにいちゃーん、理奈とデートしよーよー! ねぇねぇねぇー!」

「はぁ……姉ちゃん、お願いだから話をややこしくしないでくれるかな?」

「うふふっ、ごめんなさい。優くんの困ってる顔が見たくて、つい余計なことを口走ってしまったわ」

「あーっ! また理奈を置いて二人で話してるーっ! さぁおにいちゃん、おねえちゃんから離れるために早く帰ろうよ」

「家に帰ったって、姉ちゃんと離れることにはならないと思うんだけど」

「むーっ! いーのっ! 理奈はちょっとだけでもおねえちゃんと離れたいんだもんっ!」

「あら、随分と嫌われてしまったようね」

「別におねえちゃんは嫌いじゃないよ? でーもっ! それとこれは違う話だよっ!」

「あたしも、理奈のことは好きよ。もちろん、お兄ちゃんのこともね?」

「むーっ! またそうやって理奈からおにいちゃんを取ろうとするーっ!」

「当たり前じゃないのよ。いくら妹といえども、これだけは譲れないわ」


 姉は胸元で腕を組みながら、余裕のある態度で妹を上から見据え、妹は僕の腕に抱きつくように密着しながら興奮に顔を紅潮させて睨み返している。

 このいがみ合いも、もう何度見せられたのか覚えていない。

 二人は同じ部屋で暮らしているし、そこで喧嘩になったことは一度もないと聞いている。なのに、僕がいる場所ではすぐに諍いが起きてしまう。

 姉はさっきまでは深刻な表情で話をしていたのに、今は頬を弛緩させて、純真無垢な妹をからかう行為を楽しんでいるようだ。

 傍から眺めているとじゃれているようにしか見えないけれど、妹の感情を意のままに動かす彼女の行為にも、何かしらの意図があるのだろうか。


「おにいちゃんは理奈のものなんだからっ!」

「いいえ、優くんはあたしの伴侶なのよっ!」

「ん? ……はん、りょ……?」

「あら? 理奈にはちょっと難しい言葉だったかしら? でも、頭の悪い子はお兄ちゃんに嫌われるかもしれないわよ?」

「そ、そんなのおねえちゃんが勝手に言ってるだけでしょっ! おにいちゃんは理奈を嫌いになったりしないもんっ! ねっ? おにいちゃん?」


 腕を更に強く引っ張られる。

 けれども、こんな風に腕を引かれるのにも慣れてしまった。初めの頃のように、いちいち体のバランスを崩したりはしない。力の配分を調整して、直立している体勢を維持した。

 問いかけてきた妹と、隣に立っている姉を順番に見てから、僕は二人に聞こえるように声をかける。


「よくわからないけど、そろそろ帰ろうか」


 なんとなしに口から出た「よくわからない」という台詞は、まさしく僕の心境を的確に表現した言葉であった。

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