第26話

「むー……なかなかおにいちゃんの好みにヒットしないねー……」

「あくまで僕個人の感想なんだから、そこまで重視しなくてもいいと思うんだけど」

「ダメっ! おにいちゃんが好きな服じゃないと、理奈は好きになれないもんっ!」

「そう言われてもなぁ」

「ねぇねぇ、ほんとに全部いまいちだったの? 一つくらい、良かったなーって思ったコーデはなかった?」

「ないことは、ないけど……」


 そうこぼすと、一筋の光明に縋りつくといった具合に、妹は食い入るように僕を見た。


「ほんとっ!? どれが良かったの? これ? これ?」


 一度試着してハンガーにかけ直した服を順番に提示しながら、妹は僕に回答を催促する。

 彼女の望みを叶えるため、僕は正直に最も自身の下した評価が高かった服を指で示した。

 人差し指を向けた先は、彼女が両手に抱えたハンガーの山の中ではなく、試着室の姿見の隣にかけられた一着の服だ。


「それ、かな」

「ん? どこ指してるのおにいちゃん。あれは、理奈が今日着てきた服だよ?」

「うん。色々見てわかったけど、この服が一番理奈に合ってると思うよ。他にも似合う服があるのかもしれないけど、少なくとも、理奈が持ってきた中にはないかな」


 具体的にどういった点がいいのかは答えられる自信がないけれど、装飾の少ない白色のコートは、穢れがなく透明感のある理奈の雰囲気や容貌に適しているように思う。少し大人びているという感想は残るけれど、他と比べればその度合いはやや薄いように感じた。


「むー……」

「理奈? もしかして怒ってる?」

「別に怒ってないよっ! これも理奈が選んで買った服だからねっ! おにいちゃんにそう言ってもらえるなら、今日これを着てきて良かったよっ!」


 試着した服を両手に抱えながら、ブーツを右、左の順番に履く。

 邪魔になるかと思い持っている服を受け取ると、気づいてくれた店員さんが近寄ってきて、バケツ回しのように大量の服を手渡した。


「お客様、こちらは全部戻してしまってもよろしいでしょうか?」

「うんっ。ありがとう、おねえさん!」

「――っ! 他に気になる服があったら、遠慮なく試着していいからね!」


 十着にも及ぶ服を一度に試着室に持ち込み、いずれも購入しないのは随分と迷惑な行為だと思う。店員に嫌な目をされると覚悟したけれど、妹の純朴な振る舞いに心を奪われたのか、若い女性店員は嬉々とした表情で試着された服を元あった売り場に戻し始めた。


「理奈、まだここで服見る?」

「服はもういいよ。次のお店に行こ?」

「他にも見たいものがあるの?」

「それは歩きながら決めるんだよっ! ここはそういう場所なんだからねっ!」


 目当ての品がなければ商店には訪れない僕にとって、それは理解できても共感はできない考え方だった。

 ただ、妹の性格を鑑みれば、〝らしいな〟とは思う。

 得意気に自論を展開する妹と共に、僕は初めて訪れた店に金を落とすことなく立ち去った。

 


 フードコートの混雑する時間帯が過ぎた後、僕達は遅めの昼食をとるために、数時間ぶりに椅子に腰を下ろした。


「もう二時過ぎちゃってるよ。しっかり見て回ると、意外と時間が経つのを早く感じるものだね」

「そうでしょーっ? 時間が早く経ってるって感じるのはね、楽しいって感じている証拠なんだよ?」

「まぁ、あんまり退屈はしなかったかな。理奈が色々な物を紹介してくれたし」

「おにいちゃんも、電化製品には詳しかったよね。パソコンを持ってるからパソコンには詳しいんだろうなーって知ってたけど、冷蔵庫とかテレビにも詳しくて理奈びっくりしちゃったよっ!」

「大したことじゃないよ。ネットなら簡単に多方面のニュースをチェックできるからね。僕はそれが日課だから、自然と知識が増えていくんだよ。と言っても、細かく調べたりはしないから、それなりの知識って枠は出ないんだけどね」

「でもでも、おにいちゃんみたいにたくさんのことを知ってる人って少ないと思うよ? 理奈、興味がないことは調べようって思わないもん」

「そういう意味だと、僕はこれが一番って断言できる趣味とかがないからなぁ。強いていうなら、そうやってニュースを見ることが一番の趣味なのかも。そう考えると、興味があるから調べてるわけだから、理奈の考え方とそんなに変わらないと思うよ?」

「んー、そうなのかなー? でも理奈は、おにいちゃんって物知りですごいなーって思うんだけどなー」

「この程度で褒めちゃってたら、理奈は世の中にいるほとんどの人を褒めなくちゃいけなくなるって」

「ううん、ならないよ? だって理奈が褒める人の条件は、もうひとつあるんだもんっ!」

「もうひとつ? それが何か関係あるの?」

「大ありだよっ! 理奈の言うもうひとつの条件は、理奈はおにいちゃんしか褒めないってことだもんっ!」

「そ、そう。それはまた、ずいぶんと限定的な条件だね」


 この妹は、どこまで兄を贔屓してくれるんだ。

 もはや照れを通り越して呆れに近しい感情を抱いた時、不意に妹の前に置いてある店名とナンバーの記載された四角形のブザーが振動した。同時に、けたたましい大音量のアラームを鳴り出す。


「あ、理奈の料理できたみたい。先に取りに行っていい?」

「僕が残ってるから問題ないって。店の人が困るだろうから、早く行った方がいいよ」

「わかったっ! じゃ、行ってくるよっ!」


 薄いベニヤ板とパイプで作られている簡素な椅子の背を引いて立ち上がった妹が、空席が二割、三割ほどのフードコートの通路を歩いていく。

 ただなんとなく、彼女の背中を目で追ってしまう。手元にあるファストフード店で購入した安価なハンバーガーを一口齧りながら、無心に妹の軌跡を追尾する。

 こうしてフードコートに腰かけるまでに、アパレルショップ、雑貨店を三店舗、CDショップ、電化製品の販売店、おもちゃ売り場、靴屋と、一階から三階までを行き来しつつ様々な商店を経由してきた。最初に寄った店舗以外のアパレルショップを除けば、この広大なショッピングモールの半数以上は見て回っているはずだ。

 まったく毛色の違う店が名を連ねているけれど、どこを見ている時にも、妹は必ず僕基準で物の良し悪しを判断しているように見えた。

 妹が僕のことを異常なまでに慕ってくれているのは、彼女が、先代の神様によってそう考えるように思考回路を組まれているからなのかもしれない。

 いや、実際にそれは正しいのだと思う。

 けれども、それだけなのだろうか。

 妹が僕を自身の誇りのように扱ってくれるのは、機械的な仕組みによる理由だけなのだろうか。

 そこに、人間らしい思考や感情は、一切介在していないのか。

 僕はどうしても、彼女に自我が存在しないとは思いたくなかった。

 こんなにも僕を大切に想ってくれる人間が、十三月を救済するシステムの一部でしかないなんて、そんな風には考えたくなかった。

 彼女の好意も世界にありふれているものと変わらないと、都合が良いけれどそうであってほしいと、そうでなければ悲しいと、そう考えるのが普通ではないだろうか。


「どうしたの、おにいちゃん? なに見てるの?」

「あ、うん。なんでもないよ。ちょっとぼーっとしちゃってたみたいだ」

「歩き回って疲れちゃったの?」

「そうじゃないよ。理由なんてなくて、なんとなくそうしてただけだよ」

「そうなんだ。じゃあまだ遊べるねっ!」


 理奈はトレーに載せて運んできた一舟八個入りのたこ焼きに爪楊枝を刺して、生地を中心から割って順番に穴を空けていく。全部に施工を終えると、彼女は鰹節が吹き飛ばない絶妙な加減で、熱を冷ますために吐息を吹きつける。


「ふーっ、ふーっ」

「理奈はたこ焼きが好きなの?」

「たこ焼きが理奈の大好物だなんて、おにいちゃん昔から知ってるはずじゃんっ! 理奈の好物、忘れないでほしいなっ!」

「そうだったっけ。そういえば、そうだったかも」

「……もしかして、やっぱりおにいちゃん疲れてる? 疲れてるなら、これ食べ終わったら帰る? ……理奈は、おにいちゃんが帰りたいなら、帰っても、いい、よ……?」

「そんな落ち込まないでよ理奈。大丈夫だって。僕は疲れてなんかないよ」

「……ほんとに?」

「嘘じゃないって。運動不足の自覚はあるけど、これくらいで疲れたりしないよ」

「じゃあ、この後も理奈と遊んでくれる?」

「いいけど、これ以上どこを見るつもりなの? もう大体回ったような気がするけど」

「えっとね、あと一箇所だけ、おにいちゃんと行きたい場所があるんだ」

「あと一箇所か」


 そういえば、まだあそこには寄っていなかったなと、妹の発言を耳にして風景が頭を過ぎった。浮かんだ場所で合っている確証はないけれど、まず間違いはないと思う。


「そこに寄ったらおうち帰るから、あと一箇所、理奈に付き合ってほしいな」

「心配しなくても、理奈の気が済むまで付き合うから。僕、そう約束したでしょ?」

「やったっ! ならならっ! 早く食べてできるだけたくさん遊べるようにしないと!」


 半分に割れたたこ焼きからは、依然として白い湯気が立ち上っている。けれども構わずに妹は爪楊枝に刺して、ギリギリ収まるくらいの小さな口に運ぶ。

 口内に熱気を閉じ込めると、目を見開いて口元に手を当てて、彼女はじたばたと暴れ出した。


「んーっ! あふっ! あふぃよっ!」

「まだ冷め切ってないんだから当たり前じゃないか! ほら水!」

「んーっ!」


 手渡した紙コップに注がれた水を流し込んだ妹は、一息ついてから空のコップをトレーに戻した。


「ふぅー。おにいちゃんがいなかったら危なかったよ~」

「何やってるんだよ。ていうか、理奈って猫舌? だったらもっと冷ましてから食べないと駄目じゃないか」

「えへへっ。一秒でも遊べる時間を長くしようとしたら、理奈が猫舌だったってこと忘れちゃったんだよ」

「慌てなくたってまだ昼過ぎなんだから、充分に遊べる時間は残ってるって。待っててあげるから、自分のペースでゆっくり食べなよ」

「うん。ありがと、おにいちゃん」

「こんな些細なことでいちいちお礼なんていいから、冷めすぎないうちに食べなよ? まずくなったら勿体ないからね」

「そだねっ! ……ふーっ! ふーっ!」


 割れて中身が露になっている断面に、追い討ちをかけるように理奈は自らの吐息を吹き付ける。そうすれば流石に彼女でも難なく食せる温度にまで落ちたらしく、「はふはふ」なんていう擬音を漏らしつつ頬をほころばせていた。

 その幸福に満ちた顔を眺めながら、思う。

 やっぱり僕は、彼女が誰かの作り物であってはほしくないと。

 十三月を救済すれば用済みになる道具であってほしくないと。

 好きな食べ物があって、好きな洋服があって、好きな趣味があって……なのに、それを楽しめなくなってしまうのは悲しいと。

 もしも今日の出来事で彼女の願いが満たされてしまったら、彼女は明日にもいなくなってしまうかもしれない。十三月の救済にあたって、彼女はもう不要な存在となるのだから。

 しかしそうしなければ、十三月の破滅からは逃れられない。


「おにいちゃん? またぼーっとしてるの?」

「……いや、なんでもないよ」


 僕は、理奈にいくつも嘘をついていた。つかなければならなかった。

 僕が守れる可能性があるのはこの世界だけで、彼女を守る方法は知らないから。

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