第25話
高校への通学路の途中に、同じ学校に通う生徒達が連日利用する駅舎がある。自宅から徒歩通学で登校している僕には殆ど縁がない自宅の最寄駅を、今日はめずらしく利用した。
僕と妹は昨晩に計画した通り、朝九時台の最後の電車に乗車した。といっても、田舎であるこの町では電車は三十分に一本しか通らないため、九時台最後とは九時後半のダイヤと同じ意味となる。
クラスメイトの話では、この時間帯の電車はそこそこに混雑していると聞いたけれども、あれは平日に限った話だったようだ。休日である今日は、ドアの両脇にある2人分の座席に座れる程度には空いていた。
乗客達に激しい揺れを伝達させつつ線路を滑走する列車。こんなに振動が強いのは車体が年代物だからだろうと脳内で感想をこぼしていると、隣にいる妹が僕に目を向けてきた。密接した彼女の目線は、座っていても僕より頭一つ分低い。
「おにいちゃん、いま考えごとしてたよねっ? 隠しても無駄だよっ! 理奈にはわかるんだよっ! ねぇねぇ、なに考えてたのー?」
「大したことじゃないよ。電車に乗ってでかけるのも久しぶりだなーって」
「おにいちゃん、あんまり外に出たりしないもんねーっ! もっとお外で遊べばいーのにっ!」
「外で遊ぶっていっても、周りはバイトとかで忙しそうだしね。それに平日は毎日外に出てるんだから、休日くらい家の中で過ごしたいんだよ」
「そんなんじゃ引き篭もりになっちゃうよ?」
「学校に行ってるんだから大丈夫だって。ちゃんと外に出てるし」
「んー、そういえばそうだねっ。じゃ、おにいちゃんは引き篭もりじゃなさそうだねっ。理奈安心したよっ!」
とても僕の生活を案じているようには見えないけれど、今日は彼女に満足させなければいけない日だ。ひとまず、不安を抱いていないようでなによりだ。
幸先が良いと胸を撫で下ろしかけた時、もう一度理奈が僕に声をかけた。
「ねぇねぇおにいちゃん。理奈の今日の服、どうかな? これ、理奈がひとりで選んだんだよっ!」
「それ、さっき家を出る前にも訊かれた気がするんだけど」
「えーっ! そうだっけー? 理奈忘れちゃったもーん! おにいちゃんが褒めてくれたこと忘れちゃったもーん! だ・か・ら、もう一回教えてよ~っ!」
「しっかり覚えているように聞こえるんだけど、これも気のせい?」
「気のせいだよっ! きのせいっ!」
「しかたないなぁ」
自宅の玄関口で集合した僕と妹は、寝間着のままの姉に見送られながら出発した。
外に出た直後、妹はスカートとコートの裾を風に踊らせながら、全体に目が行き渡るように僕の前でくるくると回って見せた。
今はその時は違い、椅子に座る体勢をとっている。僕は彼女の顔から更に視線を落として、その服装を再度観察する。
目を引くのは、雪が降ったら溶け込んでしまうような白いダッフルコート。正面の三箇所に茶色のループとトグルがあり、大きめのコートは腰と膝の中間あたりまで伸びている。その下から黒色のスカートが五センチほど覗き、素足の部分を挟んで黒色のブーツが履かれていた。首には白色のマフラーを巻いているけれど、今は指で凹ませて口元を晒している。
服装だけで評価すれば、大人びたコーディネイトのように思える。姉くらいの身長があれば、行き交う人々の多くが振り返るくらい周囲の視線を集めていたかもしれない。
しかし、現役の高校一年生でありながら外観で判断すれば小学六年生、せいぜい中学一年生の小さな妹が着ていると、背伸びした子供以上の感想が浮かんでこないのは仕方のないことだ。
「理奈に似合ってると思うよ」
「一番好きなとこはどこ?」
「白色のコートと、黒色のスカートの組み合わせかな。僕は派手すぎるくらいなら、シンプルな服装の方が好きだしね」
「わーっ! おにいちゃんが褒めてくれるなら、昨日たくさん悩んだ甲斐があったよっ! もちろん、一人で決めたんだからねっ! 理奈が一人で選んだんだからねっ!」
「わかってるよ。理奈はいいセンスしてるよ」
「わぁっ! またおにいちゃんに褒められたーっ! えへへーっ!」
いくら真相を察していても、それを口にしたりはしない。服装についても、率直な感想を伝えれば機嫌を損ねられてしまうだろう。
妹に釣りあっていないだけで、服装自体が僕の好みであることは嘘じゃない。さすが〝彼女〟が協力しただけあると、僕は若干の恐ろしさを交えつつ感心した。
ふと、喋り声の大きい妹が数人の乗客達の目が集めていることに気づく。僕は恥ずかしくなって声量を抑えるよう指摘しようとしたけれど、彼らの視線が嫌悪感を含んだものではないと理解して、一旦思考を停止する。
意識を向けているのは、温和な顔立ちの老人ばかりだ。彼らは皆、その顔に相応しい穏やかな微笑みを浮かべている。
恋人同士であると誤解されている可能性を憂慮したけれど、どうやら僕達は仲睦まじい兄妹で、それ以上でも以下でもない関係と思われているようだった。
座席に座らず立っていれば、それだけで体力を消耗したであろう揺れに揺られて約二十分。都会とまではいかないけれども、それなりに発展した隣町が近づくにつれて密度が高くなった車内を、大半の乗客と共に降りて駅から歩いて更に十分。僕達はほぼ計画通りの時間に、目的地に到着した。
「ここに来るのも久しぶりだけど、相変わらず朝も早いのにすごい人だなぁ」
「車が次々入ってきて、駐車場がどんどん埋まってくね。理奈達より遠いところから来てる人もたくさんいるのかな?」
「たくさんいるだろうね。その人達からしたら、電車で二十分なんて近いって言われそうだ」
「二十分は近いよっ! だって、おにいちゃんと喋ってたらあっという間だったもんっ!」
「そ、そう。あまり距離と関係ないように思うけど、近く感じたなら良かったね」
「倍の四十分でも、たぶん三倍の一時間でも、おにいちゃんと一緒に出かけてるなら絶対近いと感じると思うよっ!」
「はは、そうかな? とりあえず中に入ろうよ、寒いし」
「うんっ! 早くはいろーっ!」
昼過ぎに入場客数のピークを迎える隣町の大型ショッピングモールも、開店して間もない今は比較的に見れば人は少ない。それでも吹き抜けになっている三階から階下を見下ろせば、どの角度から眺めても買い物客が目につく。客層は老若男女問わず様々であり、家族のような集団がいれば、友人同士、恋人同士と思しき集団もいるようだった。自分達のように兄妹だけで訪れている人は、おそらくそうはいないだろう。
来客は盛況する時間帯より少ないけれども、店内は充分に暖かかった。開店前から暖房を稼動させておいたのかもしれない。妹は入店してすぐにマフラーを首から外して、今は手に持っている。
「おにいちゃん、まずは服を見に行こうよっ!」
「服っていっても色んな店があるけど、どこで見るの?」
「そんなの全部に決まってるじゃんっ! おにいちゃん、なんのために朝から来てると思ってるの?」
「混雑を避けるためじゃなくて?」
「ちがうよ~っ! 隅から隅まで、抜かりなくお店を回るためだよっ! 知らなかったの?」
「いや、聞いてないけど。まぁいいや。それなら、そこの店から順番に回ってく?」
ショッピングモールの三階の西端あたりに立っている僕達の視界には、毛色の違ったいくつかのアパレルショップが立ち連なっている。その中でも、若い女性で賑わっている店を指差した。
「んー? おにいちゃん、あそこは女の子向けの専門店だよ? レディース物しか置いてないと思うよ?」
「賑わってるし、人気のショップなんでしょ? ちょうどいいじゃないか」
「だけど、あのお店にはおにいちゃんが着れる服は置いてないよ?」
「別に僕はいいよ。理奈が服を見たいんでしょ?」
「ううん。理奈、おにいちゃんが着る洋服を見たいって言ったんだよ?」
「えっ? 僕の服……?」
「そうだよっ! おにいちゃん、あんまり服持ってないでしょー? だから色んなかっこいい服を試着して、かっこいいおにいちゃんをたくさん見たいって、理奈はそう思ったんだよっ!」
「き、気持ちは嬉しいけど、僕はいいよ。理奈の思ってる通り、服にはあんまり興味ないし……」
「えーっ! もったいないよーっ! おにいちゃん着る服を変えれば、絶対もっとかっこよくなれるのにーっ!」
「わからないけど……それより、僕は理奈に色んな服を着てみてほしいかな?」
「理奈の?」
まったくの想定外であった言葉でも聞かされたように、口をぽかんと開けたまま時を止める理奈。
そこまで意外な提案でもないように思えたけれど、とりあえず何か声をかけるべきかと迷っていたところで、彼女は一旦口を閉じて、弾むように笑った。
「うんっ! そういうことなら、今日は理奈、おにいちゃんが選んだ服を全部着て見せてあげるよ。おにいちゃんは、色んな理奈が見たいんだもんね?」
「えっ? えーと、まぁ、それなりに」
「だったら早く行こうよっ! いい? おにいちゃんが考えて選ぶんだよ? そう約束したんだからねっ!」
「僕が選ぶとまで言った覚えはないんだけど」
「細かいことはいいのっ! さぁさぁ! あそこのお店に入るよっ!」
妹は僕の腕に手を伸ばし、強気な態度で指示をする。
抵抗すれば労せずに振りほどける弱々しい力で引っ張られながら、僕は女性客で賑わうレディース専門のアパレルショップに足を踏み入れた。
店内には様々な趣向を凝らした洋服が置かれている。女性用の洋服は種類が多く、誰かが着ているのを見かけたことのあるデザインでも、その正式名称には聞き覚えがないものが多い。
「ねぇおにいちゃん、こんなのはどうかな? 理奈に似合うと思う?」
「ピンクと白のストライプ柄のセーターか。理奈はこういうデザインが好みなの?」
「それはこれから決めるんだよっ! ねぇねぇ、早く答えてよおにいちゃんっ!」
「うーん、正直あんまり似合ってないかなぁ。ちょっと派手すぎる感じがする」
「理奈にはもっと、落ち着いたデザインの方がいい?」
「かもしれない。そこにある首元まで隠れる白色のセーターはどう?」
「あー、そっちはね、理奈にちょうどいいサイズがなかったんだよ。1つ上ならあったんだけどね」
「そうなんだ。てことは、人気の商品なのかもしれないね」
「だけど、おにいちゃんが理奈に似合うと思うなら、試着してみようかなー?」
「試着しようにも、ちょうどいいサイズがないんだから無理じゃないの?」
「ふふーんっ! あのね、あえて大きなサイズを着るっていうオシャレテクニックがね、理奈はあると思うんだよっ!」
「それ本当? どこかで紹介されてたの?」
「雑誌に書いてあったんだよっ! でもね、それはあんまし関係なくてね、理奈のオシャレ本能が、そういうファッションも良いかもって教えてくれるんだよっ! 理奈のセンスに間違いはないもんねっ!」
「なんかすごい自信だね。そこまで言うなら、試着してみたら?」
「まだ着るのは早いよっ! 他にもいくつか良さそうな物を選んで、一度に試着した方が面倒が少ないんだよっ。これ、理奈の豆知識だから、おにいちゃんも覚えておくといいよっ!」
所有している洋服が少ないことを認知されているように、服装に頓着しない僕は自分の服を買う際に時間をかけて厳選したりはしない。サイズさえ合っていれば最低条件をクリアして、派手すぎず、どこかで誰かが着ていた見覚えのあるありきたりなデザインであれば、試着すらせずにレジへ直行する。それが僕の服の買い方だ。
申し訳ないが、理奈の教えてくれた知恵が日の目を見ることはないだろうと心中で謝罪しつつ、店内を巡り始めた妹の後ろをついていく。カップル連れが二組いたおかげか、レディース専門店に男の僕がいてもあまり目立っていないようだった。
「おにいちゃん、これはどうかな?」
「いいと思うよ」
「これは?」
「少し布地が薄すぎないかな。これからもっと寒くなるだろうし、買ってもすぐに着なくなるんじゃない?」
「じゃあこれは?」
「悪くないかも」
「こっちはどうかな?」
「いいんじゃない?」
ボトムスとトップスのコーナーを何度も往復して、理奈は両手に抱えられる限界の量まで試したい服を選び、店内の隅にある試着室へと移動する。
「すぐに着替えるから、そこで待っててねっ!」
「うん。わかったよ」
了承の返事をすると、縦長い試着室に取り付けられているベージュ色のカーテンが閉められた。
薄い布一枚を隔てた向こう側から、衣擦れの音が嫌でも耳に入ってきてしまう。幸い、隣に並んでいる使用中の個室から聞こえてくる音については、店内に絶えず流れている音楽が阻害してくれていた。
近すぎることが原因かと思い、僕は試着室の並ぶ一角から少し距離をとり、妹の入っている個室のカーテンが開くのを待った。
妹と離れたため、今は男一人で店内にいる状況となる。そう意識した瞬間から、ともすれば僕は他の女性客から訝しい視線を一身に受けているんじゃないかと思い込み、どこへ目を向けていたらいいかわからず携帯電話を手に持って俯いた。
特にすることもなく時刻が表示されているホーム画面に目を向ける。操作はせず、見慣れた奇異な数列が表示されている画面をただジッと見つめていた。
「おにいちゃーんっ!」
店内に流れている歌に妹の声が混じり、僕は我に返る。
反射的に試着室の方を確認すると、カーテンを開け放った妹が手を振っている。僕は慌てて携帯電話をポケットにしまい、彼女の場所に駆け寄った。
「ちょっと理奈! 声が大きいよ!」
「だって、おにいちゃんが気づいてくれなかったんだもんっ」
「それは謝るけど、もう少し声を抑えてくれても聞こえるから!」
「ぶーっ。おにいちゃんが悪いんだよっ? 理奈は悪くないもんっ!」
「わかったわかった。悪かったよ、理奈」
「うんっ! ちゃんと謝ってくれたから、理奈、おにいちゃんを許したげるよっ! でもでも、次からは、理奈が出てきたらすぐに反応してねっ! そ・れ・よ・り~」
わがままの究極系と称しても問題なさそうな態度をとった後、試着したぶかぶかのセーターの裾を両手でつまみ、軽く引っ張ってみせる。
「どうかな? サイズはやっぱり大きいけど、これはこれでオシャレかなって理奈は思うんだけど、おにいちゃんはどう思う?」
「ぶかぶかすぎない? セーターというより、ポンチョみたいな感じになっちゃってるけど」
「それはそれで、良い意味でオシャレになってないかなー?」
「うーん……なんというか、不適切なサイズのせいで、幼さが増しちゃってるような……」
「おにいちゃんは、大人っぽい理奈の方が好み?」
「見てみないとわからないけど、幼くなるよりは、そっちの方向で考えた方がいいとは思うよ」
「じゃあじゃあ! そっち系の服も持ってきてあるから、着替えてみせたげるねっ! あ、今度はちゃんとすぐ気づいてくれないと、理奈また怒るからねっ!」
いつにも増して上機嫌な様子で、妹が再びカーテンで僕の視界を遮った。
洋服は何を着るかではなく、誰が着るかで印象が変わるというひねくれた発言を耳にした覚えがある。斜に構えた意見ではあるけれど、同感してしまう部分があったのもまた事実だ。
先ほどの感想は僕の心からの偽りない感想だ。そう感じたからそう答えたのだけれど、原因がどこにあったのかと問われれば、服装ではなく容姿だと答えるしかない。
どれだけ着飾っても、体型が子供であれば子供にしか見えず、大人であれば大人にしか見えない。美形ならば美形で、醜ければ醜い。服装で多少はごまかせるのかもしれないけれど、それが可能というには、妹の外見はあまりにも幼すぎた。
最初の一回でそんな評価を下してしまったので、以降の彼女がどれだけ大人っぽい服を着て見せてくれても、子供っぽいという感想が頭を離れることはなかった。
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